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「◯◯だから好き」とは。

「だから」「なので」「そのため」「それゆえ」。これらは、言わずと知れた接続語たちです。接続語の前には「理由・原因」、後には「結果」を表す語句がくる、それが接続語の決まりとされています。(以下余談:「接続詞」と表現していたのですが、「なので」はそれにあたる言葉ではないことにさっき気付いたので、ここでは「接続語」を採用しました。危なかった。)

さて本題に。では、その決まりを、タイトルにしている文にあてはめてみましょう。「◯◯」という理由で、結論として「好き」。「◯◯」が主部、「好き」が術部になっているということは、この文は「◯◯」のほうに重きが置かれた文であるということが分かります。(また少し脱線。ここで言う、「重きを置いた」というのは、もう少し簡単に言うと「主張したいこと」とほぼ同義です。例:私は、今日カレーを食べた←主張したいのは「私」。カレーを食べたのは、私だ←主張したいのは「カレーを食べた」こと。)

はい、本題の続きです。◯◯に入るのは、例えば「優しい」「面白い」などでしょうか、他にもいろいろあります。「彼の優しいところが好きなの!」「彼女の面白いところが好きなんだ」……うんうん、よく耳にするフレーズですね。しかし、私はこのフレーズに違和感を抱かずにはいられないのです。このフレーズを聞いたり見たりする度に、心がザラっとしてしまいます。それはどうしてか。

その理由は、「◯◯だから好き」というフレーズ自体、その論理が「破綻」しているからです。つまり、「◯◯だから好き」という文は、論理的に考えるとおかしい文なのです。だって、「◯◯だから好き」って文は、「◯◯という特徴があれば好き」と言い換えられるのですよ。先ほどの例文を使うと、「優しい人であれば」「面白ければ」好き、このようになります。

……いやいや、「◯◯という特徴があれば好き」だとか、それを「論理の破綻」とまで言ってしまうのは、いくらなんでも言いすぎ&決めつけすぎではないか?そんな声が、リニアモーターカー並の勢いで私の耳に飛んでくるのが想像できます。まあ、そう考える気持ちも分かります。「◯◯だから好き」と言う人は、「彼(彼女)、◯◯なところがあるんだよね〜」と言いたいだけで、論理を破綻させるために言っている訳では無いのだろうと思われます。(いわゆる惚気ですね。)

私が言いたいのは、「好きという気持ちに、前提はあるのだろうか、いやない!(反語)」ということ。少し極端ですが、前提のある「好き」などないのです。だから、私は「◯◯だから好き」という言葉をあまり信じていません。そこには、偽物の、胡散臭さを纏わせるような「好き」がある気がして。

では、私はどのような時に「好き」という言葉を使うのか。ズバリ、あまり使いません!(笑) ただし、私の中の「好き」界では、「好きだから好き」という理論を採用しております。この文は、前半に出た「決まり」に則ると、「好き」という理由で、結論として「好き」。こうなるわけです。

ここで私が言いたいのは、「好き=理屈ではないもの」ということなのです。だからこそ、「◯◯だから」なんて理由とか、「好き」という感情を説明するための言葉などは不必要なのではないか、私はそう考えます。

「気づいたら、好きになっていた」これが私の持論です。この一言に尽きるなあ。

これまで述べてきた理論、傍から見たら相当むちゃくちゃな理論な気もしますが、、こんな考え方もあるのね〜くらいに思ってもらえれば嬉しいです。私の考える「好き」の理論に、隙はいくらでもありますからね。


今日のところは、こんなもので。

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