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JTC僻地工場の思い出 (3) --僻地工場サバイバル生活と結婚--

割引あり

はじめに

 まず、前回の記事で僕が勤めていた僻地工場とその周辺のことを紹介した。今回はそこで一般的な理系院卒の若者がどのように生き抜いてきたかを解説したい。従って、主に僕の同僚や、僕の元部下がどのようにして僻地工場に順応し、また僻地工場に受け入れられていったかを書く感じになる。
 なお、僕の個人的な経験はこの場合については大変参考にならないのと身バレが嫌なので有料部分で書くことにした。

 なお、僕のNOTEを始めて見る人のために、簡単な自己紹介を書いたので、こちらももしよろしければ読んでくれると嬉しい。


配属ガチャ

 まず、採用された人はほとんどの場合採用ガチャで色んな部署に振り分けられる。このとき、一応本人の志望みたいのは聞かれるので、それに沿って志望度の高い部門、事業所、部署へ振り分けられる。 (なお、僕の場合は、 念のため聞いとくけど、君ほぼ99%の確率でここだからねって言われて、その通りになった。当然の如く志望度超低い所だった。)
 このやり方は会社によっては色々とやり方が違ったりするかもしれないが、大体ドラフト会議みたいのが開かれる。色々な事情で本人の志望が通りやすい所もあったりするが、大体数の人はドラフト会議で配属ガチャだ。
 なお、ここでのキーポイントを上げておくと、

  • 将来偉くなりたい人向け:

    • 会社の収益により貢献してる部門が社内での発言力が強いので、そういう部門を志望するべき。

    • 大体は営業、製造部門、設計が直接部門で偉くなるコースなことが多い。自分の性格に合わせて志望部署を選ぼう。

  • 将来偉くならなくていい人向け:

    • ほどほどの暮らしがよいと思ってる人は設計だけはクソみたいに忙しくて、メンタル削られるのでやめた方がいい。

    • 将来身売りされる可能性が低いのは収益低い部門なので、収益上げてる部門を志望したほうがいい。

 つまり、 花形部門を選んどけってこった。ちなみに僕のころはあるリクルータのおじさんと話したときに、環境問題とかに配慮した製品、施策を。。。まで話したところで、普通の会社でそういう部門はコストセンターだからそのうち消えるので、そういうことを言ってはいけない。何も考えないで 一番利益あげてるところで働きたいって言え。そうじゃないと先々積むぞって言われたのだが、これは人生で5本の指に入るくらい有益なアドバイスだった

配属と研修とソルジャーへ

 そして配属は入社の日には決まっているので、入社式があって、すぐに引っ越しをすることになる。配属先は決まってるので事前に僻地工場の独身寮に荷物を送っとかないといけない。大体なんか会社の人事が読みにくいお手紙で案内してくれる。大体移動は週の後半にあるので、土日に荷ほどきして、内定者懇親会とか、入社式とか、その後の簡単な研修で仲良くなった同期たちとつるむことになる。そして、まず僻地工場のマストアイテムであるママチャリを僻地工場の近くのチャリ屋に買いに行く。
 そして、その足で僻地工場からちょっと離れたところにある飲み屋に繰り出し、同期と楽しくお酒を飲むことになる。
 週が明けると研修が始まる。
 なんかやたらとオーラのある工場長とかのありがたいお話をして、ずっと座学で会社の製品のことを学ばされたり、開発に必要な大学のお勉強のおさらいをさせられたりする。なお、その間も給料は支払われるので、JTCって凄い。
 こうして、食って、寝て、座るだけの生活を1カ月から3カ月くらい続ける。この間期待されるのは毎朝決まった時間に起きて、決まった時間まで座ってること だけである。学生のうちは実家暮らしでお母さんに起こしてもらってた理系たちが、自分で朝起きて、会社に行って僻地工場になれるための時間なので、ここで負荷をかけることはしない。それまでの生活から一気にいろんなものがかわるから、こういう慣らし運転は重要なのだ。

 大体数年に一度この期間に最初の退職者が出るが、まだ会社で何も成し遂げてないし、同期に人となりもあまり把握されてないので、なんか 入ってN日で退職 したやついたらしいなで終わる。さながら某セクシービデオのシリーズのようだ。

 そして、社内的には研修の時点ではすでに配属が決まってることがおおいのだが、研修は朝から晩まであるので、部署の人とはほぼ顔を合わせない。しかしながら、この研修期間中に歓迎会が開催されることもある。そして、仕事 (朝から晩まで椅子に座って人の話聞く仕事) が終わった後は寮で同期とおしゃべりしたり、剛のものは僻地工場の周りのスナックの開拓にいそしんだりする。なお、僕はコミュ障なので、寮の食堂の隅っこでメシを食って、食い終わったらすぐに自分の部屋に戻り、コーディングしてた。何やねんその生活。
 とにかくこの時期に同期と仲良くなっておくのが大事だ。同期はその後の会社生活で味方になったり敵になったりするが、かけがえのないものだ。特に 学校から離れるとそれまで周りは同じ年齢の人ばかりだったのが、急に色んな年齢の人たちの中で生きてくことになる同じ年齢の人というのは思いのほかいろんなもの、例えばガキの頃に遊んだゲームとか、大きな事件があったときが同じとか、同じものを共有していることが多く、それがふとしたときにとてもありがたく感じることがある。別に仲良くしなくてもいいけど、顔と名前は覚えとくと後々ありがたみを感じることになる。
 ちなみにこれと反することだが、僕はなるべく同期は同じチームに入れないようにしてた。終末的に馴れ合うからだ。

 そしてこの研修の後、色んな人のみ守られながらソルジャーとしての生活を始めることになる。この辺はあまり面白いことはないし、僕がいた頃と事情が変わってるだろうから割愛する。ただ、僕がどうやってソルジャーを育成してたかというのを説明しておくと、僕が管理職やってた頃は大体みんながどこで失敗を犯すかわかってたので、仕事させるときにわざと小さい失敗するかもしれないトラップを仕掛けてた。そしてそのトラップに対する対応でどうするか見極めてた。
 もしかしたらみなさんの上司にもそういう性格の悪いやつがいるかもしれないから要注意だ。

車を買う

 JTC僻地工場になくてはならないものが自動車だ。移動手段は大体こんな感じに分類される。

  • チャリ、徒歩:

    • 会社行くときとか、工場内の移動手段。チャリは工場勤務時代のかけがえない戦友である。

  • 車:

    • 主に土日休日に大活躍する。車があると休みの日に同期とか、僻地工場の周りの都市で知り合った女性とお出かけに行ったりできる。

    • 何なら帰省もできる。

  • 電車、飛行機:

    • 出張のときしか使わない。

 このとき何が重要になるだろうか。
 そう、JTC僻地工場の看板だ。
 世間ではJTCの僻地工場とかバカにする怪しからん輩もいるが、腐っても現地では重要な税収源だったり、主要顧客だったり、雇用の受け皿なのだ。つまり、信用力が高い。すなわち、ペーペーの若者でも簡単にローンが組める。しかもそれほど悪くない条件で。これがJTC僻地工場パワーを感じる最初のステップであろう。
 このときは前の記事で述べた通り、 給料 = お小遣い なので、好きな車が買える。調子こいて高い車を買うやつが沢山いた。僕はマニュアル車を買った。

 そう、そしてこのころから段々会社の同期達でつるむより、地元でいろんな人間関係を構築していくことになる。僕はやたらと温泉行ったり、会社のラグビー部入って楽しい会社員生活を送っていた。
 なにしろ、この記事 (JTC僻地工場の思い出 (1) --僻地のこと--|港区IT下働きおじさん (note.com)) 少し触れた通り、平日はほぼ金を使わないのだ。だから休日は狂ったように金を使える。
 僕は週末はラグビーやるか、僻地工場から1時間くらいの政令指定都市のクラブとか、飲み屋でバカな金の使い方をしていた。そこで知り合った友達たちは結婚するまでの大事な友人であったし、今でも一部の人とは連絡を取り合ったりしている。そしてこのときの活動が後々の結婚というステップへの重要な布石になる。会社以外のコネは重要だ。

そして結婚へ

 僕がJTC僻地工場で見た中で結婚してる理系の率は大体半分を超えてたと思う。それが30代を超えると大体7割から8割の理系の男性は結婚していたように思う。ときのパターンはいくらかある。それぞれ例示してみようと思う。因みにこれらは僕が直接見た事例に限られるものであり、別のJTC僻地工場ではちょっとちがうかもしれない。ただ、同業他社や、顧客にあたる工場や、別の下請け工場でもだいたい似たような感じに見えた。

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