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JTC僻地工場の思い出 (1) --僻地のこと--

割引あり

はじめに

 下記の記事に書いたように、僕は以前とあるJTCの僻地工場で機械設計をしていた。それは僕の職業人生にとってとても幸せな幼年期の思い出として今も残っている。いろいろな事情でその僻地工場を退職したわけだが、そのときの思い出をここに残しておきたい。
 なお、実はこの記事もいずれリリースするであろう記事につながる一つの布石になっている。個人的なことを書くところについては有料パートとさせてもらった。製造業が今や日本の主力産業ではなくなって久しく、今の製造業従事者数は1000万人に届かないので、人口比率でいうと10%程度となりそれなりにマイナーな業界であるからなかなかこういう情報発信もない業界とは思うので、何か動物園で珍獣を見るかのような気持ちでお付き合いいただければ幸いだ。


僕のいたJTC僻地工場の立地

 多くの人が無定義に僻地工場というふうな言い方をしているが、厳密な定義は面倒なのでここではそのままにしておく。ではJTC僻地工場とはどんなところかというと、よくX (ツイッター)で言われるような古い製造業の地方にある工場のことである。そもそも東京以外全部僻地とかいう東京原理主義者や、関東圏以外全部僻地とかいう人や、政令指定都市以外は僻地という人とか色々いるが、概して東京から遠くにある工場程度のイメージで語られており、そしてそこには東京にあるような文化や文明などないと暗に思われている。これは半分本当で半分嘘なのだが、X (ツイッター)っていうのは極論をいう方が目立つような場所なので、そういっている本人たちがどう思っているかは定かではない。よく個別の工場が名指しで挙げられるが、正直なところ気分のいいものではない。
 どこの大学でどれだけのものを学んだかよくわからない若造が地元に根を張り、世界を相手に戦うために日々工場で仕事に励んでいる工場の労働者を田舎に住む非文明化人であるかのようにいうのは全く以て愚かなことで、そのちに工場を誘致した地元に雇用を生み出したい地元の有権者、職がないと言われる地方でそこにできた工場で家族を養うために働いている労働者をバカにしている。
 そんなことはどうでもいいのだが、僕はある上場しているJTCの僻地工場で働いていた。そこは某政令指定都市から電車で一時間、そこからバスで30分のところであり、典型的な企業城下町だった。なお、これらの情報には身バレ防止の為若干のフェイクが入っている。因みにその工場は西日本にある。
 さて、JTC僻地工場なので、色々と不便そうだなと思うかもしれないが、そこはそうではなく、

  • 会社で経営している病院があった。ヤブかもしれないが、これで急に病気になってもとりあえず運ばれる先があることがわかったので安心だ。

  • 会社の子会社で経営しているスーパーが工場の周りに5軒ほどあった。こでれ買い物には困らない。

  • コンビニも会社の周りに3軒あった。完璧である。

  • 銀行も、地銀が工場の周りに3軒支店を構えていた。

  • 工場の周りには接待のための料亭が2軒、スナックも沢山あった。これでさしあたり酒を飲む場所には困らない。

  • 電車も工場から車で15分くらいのところにある。都会で飲んで帰ってきてもタクシーで帰れる距離である。

  • 映画を見たければ寮から20分くらいのとこにあるショッピングモールにあるシネコンに行けばよい。

  • 買い物をしたければ車で1時間のところにあるアウトレットモールとか、イオンモールとか、地場の百貨店にいけばよかった。

  • なお、カラオケは工場の周りのスナックでもできるし、工場から車で15分くらいのところにある駅前のカラオケボックスに行けばよかった。

  • 書店は市内に2軒あり、漫画の新作買う程度なら問題なかったし、車で1時間のところにある政令指定都市には丸善と紀伊国屋と三省堂が支店を構えていた。

 文明と切り離された僻地であるかのようなイメージがあるが、僕がいた僻地工場はそんに悪くなかったんじゃないかと思う。何より政令指定都市にすぐに出れるのが強かった。それに都内や近郊に住んでたとして、大都市に出るのにドアトゥードアで考えれば1時間かかるのを考えると街場に出る時間は東京の不便なところと比べるとそう変わらない。
 美術館とかはないが、いい音楽を聞こうと思えば政令指定都市に日本3大オーケストラのうちのひとつは演奏会に来てくれるのである。
 しかしここで言っておきたいことは、 JTCの僻地工場最悪、文化がないど田舎だと言ってる人たちのどのくらいが足繁く美術館とかコンサートとかアーティストのライブとか書店巡りとかするのだろうか? ということだ。 

 なお、僕の所感としては僕の僻地生活は割と恵まれた方であったと思うが、同業他社と比べると真ん中くらいだったように思う。本当のガチの僻地の工場はいくらでもあるし、割と町中にあるのに僻地と言われるところもある訳で、この辺は無定義に僻地とか言ってる弊害があるように思う。
 もし読者の皆さんが僻地勤務になりそうならこういう観点で見てみたらいいかもしれない。

  • 基本データ:

    • 工場のある自治体の人口。人口が多いほど街が大きく栄えてる。ただ、平成の大合併でクソデカ自治体になってるパターンもあるので要注意。

    • 近所に他の会社の工場があるか。他の会社の工場があると街がデカいので、色々便利になる可能性がある。ただ城下町ではなくなるので、市内での言動には注意が必要だと思う。

  • 交通の便:

    • 最寄りの鉄道駅までの時間。運行頻度。

    • 最寄りの新幹線駅までの時間。

    • 最寄りの空港までの時間。これは出張のときの便利さに関わるので重要。

    • 最寄りの人口10万人都市までの時間。電車とバスと車でそれぞれ調べる。

  • 生活面:

    • 生活圏に歩いて行けるコンビニがあるか。(僻地にそんなところがあるわけないと思われるかもしれないが、今のコンビニのロジは恐ろしく、工場側も従業員の生活利便性向上のために構内や、会社の近くにコンビニを呼んだりする。)

    • チャリンコで行けるスーパーがあるか。なお、ホムセンは絶対にある。農村地帯にホムセンはなくてはならないものだから。

    • 車で一時間以内にアウトレットモールとかイオンモールがあるか。

  • 文化面 (この辺は個人の趣味による):

    • 会社の近所に書店があるか。

    • 映画館が車で一時間くらいのところにあるか。

    • 最寄りのクラブはどこか。

    • 近所に面白いご当地グルメがあるか。

    • その他

僕のいたJTC僻地工場での社畜生活序論

 今でも思い出すのは僻地工場で生産している某機械を自分で設計して連日に及ぶ試運転を続けてたときのことで、毎朝安全体操ってやつをして事務所から工場に向かうわけだけど、チャリンコをこいで試運転場まで近づくと中からテストエンジニアが既に機械を回してる音がして、どんな試験やってるのかとか、機械の音がいい感じだなとか思いながら自転車置き場に自転車を停めて、現場の制御室に挨拶しながら入っていくところだ。これは子供がちいさいころに添い寝して寝かしつけたのと同じくらい僕の中の大事な思い出になっているらしい。
 僕は設計で採用され、その後開発に行ったり、研究部門に飛ばされたりして偉くなりそうな道を歩かされたわけだが、工場なので、工場の人たちと仲良くしなければならなかった。時代は丁度パワハラ、長時間残業上等の時代から変わりつつある頃だった。そういう中で昔より激しいしごきや厳しい現場のおじさんていうのは減っていったみたいだった。
 僕みたいな大学院まで行った年を食った新入社員なんていうのはそういう、工場みたいな今でも「男の子の職場」 (なお、男の子の職場というイメージがある製造業だが、実は女性の比率が高い所もある。この点についても別に論じようと思う) といわれるような所では邪魔な存在であり、工場の中を歩くにも色々なお作法があったので、まずそれを年下の先輩から学ぶところから始まった。ちなみにその年下の先輩はめっちゃ偉くなるコースに乗せられてたみたいだったので、後々僕の手柄をその年下の先輩に押し付けて訳の分からん発表会とか、そういう人前に出る面倒な仕事を全部やってもらっていた。
 ともあれ、僕ら大学卒、大学院卒の事務所の人間というのはまず現場のおじさんたちに受け入れてもらう必要があった。これはある種のイニシエーションなわけだが、そのイニシエーションにもいくつか種類があり、そのうちのいくらかは不要とは言い切れないものがあったと思う。これはまた別の機会に述べようと思う。ともあれ一つ言えることは、 安全が第一 であるってことだった。ただ、後に管理職になったときには現場のおじさんたちに仲良くしてもらうためのイニシエーションが軽くなるような施策も講じて、新入社員がなるべく早く職場に溶け込めるような努力もしていた。
 そして、僕も最初の3年くらいは直属の上司とか、現場のおじさんたちに色々としごかれながら受け入れられていき、最後には現場からお伺いを頂くようになったのだ。後々自分が管理職になったときに僕はこのレベルに到達するのを以て一人前と認定していた。個人的には育成プロセスがOJTではまずいと思っていたので、教育資料を充実させ、達成基準を明確化させたうえで年次年次のフォローアップをしていたわけだが、やはり最後は現場と仲良くやれてるかが一番大事だと思っていた。何故なら 現場のおじさんたちなしに製品は組みあがらず、売り上げに繋がらない からだ。
 そういうようなマイクロアグレッションのようなものがありつつ、いずれ僕も現場のおじさんたちと仲良くなっていき、ついには自分の部署の同僚よりも現場のおじさんたちとの方が仲良くなってしまい、退職するときには現場のおじさん主催のお別れ会を開いてもらった。これはR&Dにいる人間としては中々ないことであり、大変光栄なことであった。僕の中ではどんな表彰状よりこっちの方の価値が高い。

僕のいたJTC僻地工場の待遇

 一応上場企業であったので、下記のような大企業に務めるようなメリットがあった。これは 大企業に務める人間がごく当たり前に空気を吸うかのように享受しているわけだが、大企業をやめると初めてそのありがたさに気がつくもので、そしてこれらはあまり会社紹介の待遇欄からは読み取れないものである 。

  • 会社の独身寮があり、そこの寮費が考えられないほど安く、高校生のお小遣い程度であった。これはたいへん助かることであり、東京で住宅手当のない会社に就職して手取り20万、うち、都内にワンルームの部屋を借りて家賃8万とか持ってかれるのに比べると、こちらは手取り20万で家賃3000円とかなのである。ほぼゼロに等しい。上場企業最高!!

  • しかもその独身寮は朝晩のメシが出る。メシ代は差っ引かれるのだが、一食300円くらいだったので、こちらもほぼゼロに近い。何よりも仕事で疲れて帰ったときに自分でメシを何にするか考えなくていいし、そのまま出てきたものを食うだけで済むのでこれは僕には大変ありがたかった。

  • 昼メシも会社の社食とかで激安に収められる。東京では社食もあろうが、オフィス街のランチは戦場であり、しかも毎食1000円も取られるのだ。方やこちらの僻地工場では一食300円でメシにありつける、しかも出てくるのが爆速である。だから昼休みもしっかり昼寝できる。これ大事。

  • 車の保険が会社の団体保険なので、めっちゃ安い。それまでも無事故で何年も乗ってたので安かったが、更にそこから3割安くなった。最早こちらもゼロ同然である。確か月々3000円程度だったと思う。アラサーの頃でこの保険料はそこそこ安いのではないだろうか。ちなみに車両保険とか、弁護士特約とかいろんなもんつけてこの金額であった。なお、そのJTCを退職したあともそのJTCのOBとして扱われて、しばらくは団体保険の対象になっていた。意味がわからない!!

  • ちなみに会社の寮の駐車場も激安で、月々500円くらいだった。都内で駐車場借りるとときには数万円するので、これも意味不明な制度であった。

まとめ

 この記事ではJTC僻地工場について簡単に自分の経験も踏まえてまとめた。まず、僻地工場というのは現状明確な定義が与えられておらず、一言で僻地といっても多種多様なものがある。そこで、僻地度合いを見るためにいくらかの指標を提示した。自分のお好みで志望する僻地工場を選んでもらいたい。その次に、僻地工場での新人の受け入れられ方についてまとめたが、ここは個人的な経験をあまり出すつもりはないのでぼやかして書いてある。興味のある方は有料パートを見てほしい。最後に僻地工場の待遇を簡単にまとめた。文明の果つる僻地工場といえどもJTCであるからJTCのメリットはそれなりにあることが伝われば幸いである。少しでも僻地工場への偏見が少なくなれば幸いである。筆者の能力不足で僻地工場の魅力が伝わらなかったかもしれないが、それは今回はフラットに僻地工場の生活を伝えたかったからであり、別途僻地工場最高!!っていう記事も書いてみたい。
 なお、これ以降は僕の個人的な経験や、その他あまり大っぴらにしたくないことを書くので有料にしてもらった。なお、有料パートでは僕がこれまで見た面白おじさんのこととか書いてあるので、興味があれば見てもらえると嬉しい。
 ではここまで読んでくれた皆様、貴重なお時間を頂きありがとうございました。また別の記事も読んでもらえれば幸いです。
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