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ヤギ語り                             #5


前回記事の続き


 車でのドライブは 我が家にやってきた日以来の ふぶきは 藁の敷き詰めてある車内に乗り込むところまでは順調だったけれど、車が発車すると、不安げにきょろきょろ。夫が 極力穏やかな運転に努めてくれたが、車が揺れるたびによろけ、座ってくれたらいいのだけど、落ち着かないのか 終始、立ちっぱなしで 足が小刻みに震えていた。

 ふぶきは その内慣れてくるだろうと思っていたが、息子がナーバスになるのではないかと、そちらの方が気になった。
 ふぶきと 息子の様子を見るために 後部座席を振り返った時、
後ろに着いた車の様子が目に入った。
 丁度、ふぶきが 後部の窓に近づいて 外の様子を見ているのを見つけた家族が、こちらを指さし、何か話し、盛り上がっている。普通の軽乗用車に、ヤギが乗っているのだから、ちょっとした話題を提供できたのだろう。
 「あ、後ろの車の人が、ふぶきに 気が付いた…」 と言ったら、
さっと振り向いて、後ろの家族を見た息子。
 「そりゃ、ヤギが こんな車に乗ってるって、普通 思わんやろ…なんか盛り上がっとるね…笑いよる。」 と言って、なんだか少し嬉しそうに笑った。
 私も嬉しくなって、見ず知らずの後ろの家族の会話などを、勝手にアテレコしたりして、我が家も大いに盛り上がった。
 これで、軽く張りつめていた空気が和み、いつもの家族の雰囲気に戻り、それが ふぶきにも伝播したのか、少し落ち着き、腰を下ろし、
‟キョロキョロ”がへり、足の震えもなくなった。

正月2日、道が混んでいたので2時間以上かかったが、無事、実家に到着。
 新年の挨拶もそこそこに、ふぶきをどこに繋いでおくかで、おじいちゃん、おばあちゃんを巻き込んで、喧々諤々の討論会。
 「ここは、つつじがあるからだめだ」「こっちは水仙がある」
 「これは、何?」「彼岸花の葉っぱ、やばいよね?」
 「うわ~、なんか食べた…銀杏?…だいじょぶか?」「知らん…」
 「ここだと、表の道に出ちゃう…」「これ、好きなやつ」

「・・・なかなか、大変なものだな…」とおじいちゃんが ポツリ。

あちこちにあった水仙や、つつじに、バケツや、籠をかぶせたりして、繋ぐ場所を確保し、車を移動して、即席の「ヤギ小屋」にして、漸くみんなで家に入ることが出来た。

その後は交代で ふぶきの様子を見に行きながら、落ち着かない感じの新年会。ヤギの事を話したり、年末の繁忙期の事を話したりしていたら、
 「ピンポ~ン」 呼び鈴がなる。「誰かな…」とおじいちゃんが出ると、
「・・・あ~、これはどうもスミマセン。ちょっと、来て・・・」と なにかただならぬ緊迫感。その時は、息子が戻って来ていて、全員が部屋に揃っていた。

 なんと、息子が離れ、次の交代が見に行くまでの 5分間ほどの間に
ふぶきが 脱走していたのだ。
 お向かいのお家の方が連れてきて下さっていた。
 ふぶきがお向かいの家の庭に入り込んで 犬に吠えられ、立ちすくんでいたところをおばあさんが見つけ、「人に、よう慣れとるね~」と言われたが、おばあさんが庭に出ると寄って来て、そのままおじいちゃんの家までついてきたそうだ。多分、ここに着いた時一時間も庭先で騒いでいたのを見ていらしたのだと思う。
 

 
 
 息子の 「懸念点リスト」にあった事態が発生したのだ。
 そして、田舎での事、それは たちどころに解消された、というわけだ。
勿論、もっと別の、悲劇的事態になった 可能性は いくらでもある。
 たまたまの、ラッキーな収束ではある。
 けれど、「懸念」が具現化しても、それが必ず ‟悲劇” に直結するわけではない。 という経験には なった。
 「経験」する事は、大切だ。まだあらゆる面で「経験」の少ない若い人にとっては、尚更に。

 この事態にも 息子はナーバスに陥ることなく、「そろそろ、散歩に出ようかな…」と言ったので、私も同行することにした。

 冬枯れた田んぼの畦道には、名前は知らないが 山でよく見る常緑の植物がたくさんあった。これは ふぶきの好物 なので、草探しをすることもなく、ふぶきの 食べるペースに合わせて ゆっくり歩いた。他愛ないおしゃべりをしながら…




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