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カフェの店員にコーヒーをぶっかけられてキレるのはお前が悪い〜「〇〇◯る〇〇」レビュー

1
「全ての物事には原因がある。」というのを疑う人間は現代にはいない。
別にこの主張が間違っていると、述べるわけではない。しかし、問題になるのはその原因の位置と一般化にある。例えば津波が起こるのは地震が発生したのが原因だし、猫がhappyhappyhappyしてるのは、ペットショップで売れ残ってるのが原因だ。
 事象の原因というのは過去にある(原因の位置)。そして、その真理めいたものを森羅万象に当てはめてしまう(原因の一般化)。
それが、原因の位置と一般化の問題だ。
2
それを心理学における感情の面で否定したのがアドラーだ。※1
 アドラーは「目的論」で感情をとらえた。要するに人の喜怒哀楽には必ずその人個人の企みがあると述べたのだ。
それでは、本題の「コーヒーをかけられて、ブチギレた」について考えよう。ブチギレたのはどう考えてもコーヒーをかけられたからだと考えれる。コーヒーをかけられてなければ急に怒ることは、おかしいし完璧な原因論に見える。
しかし、逆説的に考えると話が変わってくる。
「コーヒーをかける」という行為が必ずしも「人の怒り」を誘発するとは限らないからだ。
そこでアドラー的に考えると、怒る人と怒らない人の違いを目的の問題だと考えれる。
「自分の怒りという感情を表現することによってコミュニケーションを有利に進めるという企み」こそが原因だと考えれるのである。
わかりやすい例だと赤ちゃんは、親に助けてほしいという目的があるから泣く。しまじろうは肉食だけどトリッピーとは、まだ友達でいたいから食べない。
もちろんだが、アドラーの理屈は原因論の言い換えにすぎない。
なぜなら目的というのが原因によって設定されると考えれるからだ。コーヒーをこぼされなければそもそも、はコミュニケーションを優位に運ぼうという目的が発生しない。トリッピーと仲良くなかったら、ポン酢といっしょに和えてかっさり食べられてるかもしれないし、センチュリースープの具材に使われているかもしれない。
 しかし、それでも目的論で考えることのメリットは、原因は過去にあるということの嘘を暴いてくれるからだ。
 もし仮にすべての原因が過去にあるのならば、人間は感情というものを変えることが不可能に近い。しかし、もし目的にあるのならば人はいつでも変えることができる。※2
 感情を制御したいときはその目的を考えるべきだ。目的さえ変えれば感情も変わる。
私はその理論を用いて、女を六回殴った。

おまけ、
今回のアドラー論は「嫌われる勇気」という世界一題名が怪しい本の内容をもとに書かれている。
題名だけで言えば読まず嫌い王で一位を狙える器であろう。文体はバカでも分かるように読みやすく、内容は「目的論」というトンデモ論を対話形式で解説していて面白い。しかし、科学的か否かという問いにはノーと答えざるえない(筆者も書いている)
ここで科学的アプローチを2つほど。
1
高所恐怖症は、子どもの頃の転落体験が無意識に「内面化」されたのだと考えられていた。この仮説を検証するためにニュージーランドの研究者は、5歳から9歳までのあいだに転落によるケガをしたことのある子どもたちを探し出し、転落体験のない子どもたちと比較した。その結果はというと、子ども時代に転落を経験したグループでは、18歳になった時点で強い高所恐怖をもつ割合は2%だったのに対し、転落を経験していないグループでは7%だった。仮説とは逆に、転落体験のある子どもの方が高所恐怖症になりにくかったのだ。 なぜこんなことになるのか。それは因果関係が逆だからだ。「転落を経験する→もう一度転落したらと考えて、高いところが怖くなる→高所恐怖症になる」のではなく、「もともと不安を感じにくい→高いところを怖がらないので転落を経験する→〝不安の欠如〟は変わらないので、大人になっても高所恐怖症にはならない」だったのだ。
2
デトロイトにある健康維持組織の会員1007人を対象にした調査では、対象者のうち39%がトラウマ体験をしたことがあり、そのうち24%はPTSDを発症した。PTSD患者は、発症しなかったひとたちに比べて、幼年期の両親との別れの経験や不安障害の家族歴、PTSD発症以前の不安障害やうつ病の経験がある割合が高かった。 この研究が興味深いのは、同じ対象者を3年後にもう一度調査していることだ。すると、全体の19%が3年間で新たなトラウマ的出来事を体験しており、そのうち11%がPTSDを発症していた。より詳しく調べると、「PTSDを発症する予測因子のうちもっとも強いものは、トラウマ的出来事を過去に体験していること」だとわかった。
 (馬鹿と無知 橘玲参照)
2つの実験が示しているのは原因論の否定であるが、目的論に考えると以下の解釈になる。
1
「高い所に無理やり行かされたor高いところに行きたいという欲求(目的)→高所で怪我→目的が変わっていないので高所恐怖症にならならい」
「高いところにいかなかったor高いところに行きたくないという欲求(目的)→怪我せず→目的が変わってないので後者は高所恐怖症のまま」

2アドラー心理学ではトラウマは大抵の場合、言い訳。
 トラウマを言い訳にするという目的がある限りは新しいトラウマを増産する。

 私は感情がすべて目的論で成り立っていると確証を持って考えるわけではない。なぜなら、いくらでも後付けで解釈ができてしまう不完全なものだからだ。しかし、目的論という考えをもつことによって、すべてを過去のせいにするような生き方は変えることができるのは明らかだ。過去の呪縛から開放するという意味で偉大な理論と言えるのではないだろうか。

嫌われる勇気 ☆4(読むべきだと思うが、科学的根拠がないという明確な弱点がある)
バカと無知(おまけの実験の引用元) ☆4(引用されてる実験や主張が面白いのでオススメだが、その知識を実践や実生活で役立てるのは難しいと思う)

※1アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、ドイツ語1870年2月7日 - 1937年5月28)
フロイト、ユング、に並ぶ心理学三大巨頭と呼ばれることがある立ち位置らしい。参照「嫌われる勇気」
※2目的が過去によって設定されるなら不可能ではないか、という批判がありそうだが、それはおかしい。
目的が過去だけで決まるわけではない。
いま思考で変えてみようとすれば変えれるから試してほしいし、過去というものも人それぞれで解釈が違う。過去の解釈を変えることも、目的も変えれない人間もいないというのがこの論の前提にある。
※3本当は殴っていない。暴力的な男はモテるも聞いたので!(目的論的文章)

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