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にっき190525「もっと見たいし、聴きたいし、感じたいんだ。」

何かnoteに書こう、あるいは「これを書くぞ!」と意気込んでいるときには、ずんずん進んでいこうとする自分と、「力入りすぎなんじゃない?」と斜め後ろから見ている自分がいる。いや、本当はふたりなんかじゃなくて、もっともっと多い。だからそんなたくさんの自分のことが気になりだしてしまうと、視界の端に見えるチカチカを延々追い続けることになって、手が止まってしまう。怖いくらいに、真顔のまま。

辛くなるまでスクワットをして、苦しくなるまで腕立てをしてから書いているからか、なんとなく指が重たい。背中が自然と曲がっていく。でも、すごく静かだ。外を時折車が走る。冷蔵庫の稼働音。ヒーンという電子(?)音。そういう物音が近くに感じるくらい、部屋の中がすんとしている。冷たい牛乳を、すこしずつ飲む。

こんなに声を大にするみたいにして、お題をもらって小説を書いていることにまだちょっとふわふわしている。「ハードボイルド」。ずっとそのことを考えてる。そもそもの意味も調べたり、これぞ!と言われているような作品を探したりして…毎日に一本の筋が通ったような感覚があって、なんだか頼もしい。

はじめは、日々触れるものをこの機会にお試しでどんどん入れ替えるくらいのつもりだったのに、いろんなことを知るたび感じるたびに純粋に増えていってるみたいで、もうざくざくの飽和状態なんだけど、きっとまだまだ増えていく気がしている。

たとえば今いるこの部屋にだって、そういうモノはたくさんあるんだ。ケトルに映ったときの部屋のぐんにゃりした感じとか、無線ルーターの明滅するグリーンとか。レールでも道路でもないところを自由に走っているプラレールやトミカたち、なかには横になって寝てるのもいたりして。テレビ台のすっきりとした木目。明かりを半分消しているからか、いつもとは違う見え方の影、影、影…。

こんな風に自分だけじゃ見つけられなかったものを、見つけられるように変わっていくし、聴こうとするものだって変わっていく。なかなか遠くへ行けなくても、見つけようとしなくても、いろんな物事がすんごいアピールしながら飛び込んでくる。でも、そのほとんどは作るものにはそのままは出てこないで、しばらくしたら過ぎ去ってしまう。だから、作っているときの半分は、ずっとさびしくて、でも、さびしいから、書き続けられるのかもしれない。

ということで、初のハードボイルド小説。ヤバいものになりそうです。どうぞご期待ください。

しんきろう