見出し画像

近隣関係の今昔

近隣関係は、自分の経験から言うと今と昔ではずいぶん違うようだ。昭和の東京下町に育ったが、近隣関係が今よりはるかに濃厚だった。隣家との付き合いがあり、近所には幼友だちがいた。顔見知りの商店もあった。父母が旅行に行ったときには、隣家の人が天ぷらを揚げて持ってきてくれた。昭和までは江戸時代の生活の面影を感じることができた。

近隣関係が濃かったいくつかの理由が考えられる。
①当時の住宅環境
昭和の戸建て住居には障子があり、大きく開けることができた。その先に縁側があり、住まいは榊󠄀などの生垣で囲まれていた。外から生垣を通して住まいの様子がそれとなく分かるものだった。子どもたちは、生垣の崩れた所から隣家の庭に入り、遊んでいた。ある家は囲いがなく、路地を通るとそのまま庭にでた。家人の出入りには近隣の目が注がれていた。また路上も静かで井戸端会議ができる場所があった。
住宅環境が開放的だったことが、近隣との関係を濃くする要因かと思う。
②個人商店が多かった
商店街の近隣関係も今より濃かったのは、個人商店が多かったからとも思える。店主は住民であり、近所関係を大切にする必要があっただろう。電気のトラブルにはすぐに電気屋が来てくれた。洗濯屋が家に出入りしていた。蕎麦屋の子は同級生だった。家内工業的な町工場があったことも、近隣関係を深めた。
③家庭環境
専業主婦だったので、自然と近隣の主婦同士の交流があった。近所の主婦たちが家に集まり、歓談することがあった。子どもの学校関係を通じても親しくなった。
④時代のムード
何が近隣関係を濃くしていたのだろうか。近所付き合いが重視された時代の雰囲気があったのかも知れない。住民はそういう時代の雰囲気から背を向けることができなかったのだろう。

昭和の近隣関係は、よく言えば、住民同士の交流があり、温かみがあった。「遠くの親戚より近所の他人」であり、また、それが反対に煩わしいと思うこともあっただろう。

今の時代は、煩わしい近所付き合いを避ける傾向にあるようだ。近隣関係の煩わしさから開放されたいので賃貸に住むということも聞いたことがある。今住んでいる所は東京の下町でも育った所から離れた場所なので、同所での比較ができないため、あくまで個人的な経験だが、ここに引っ越して来たときの印象としては、長年住み着いた個人商店が少なく、テナントの店ばかりのせいか、「いらっしゃい」と「まいどありがとう」の切口上だけで、会話がなかった。そういえば、昭和の昔はこういう切口上はなかったな。

近隣関係が薄れた理由は、濃かった頃の理由の裏返しかもしれない。
①住宅環境
アパートやマンションの構造だけでなく、戸建て住宅の構造も閉鎖的で中の様子が分からない。近隣関係を嫌う人には都合の良い造りになっていて、確かに生活の気楽さがある。
②商店の企業化
個人商店がなくなり、企業が経営者でもともと近隣関係がうすい。従業員も見知らぬ人である。要するに商店が近隣住民とは言えなくなった。
③家庭環境
専業主婦が少なくなり、働くようになった。
④時代のムード
煩わしい近隣関係がない静かな生活が好まれている。働く人が多くなり、職場の人間関係に加えて、近隣関係を深める余裕がない。休日はゆっくり休みたいと考える人が増えた。

近隣関係の今昔を自分の体験から考えてみたが、個人的なものの中にも一般に当てはまるものがあると思う。今までマンション生活をしながら働いてきて、近隣関係に目をやる余裕等なかったが、今退職者の身になり、自分の周りを見てみると、数人の会話を交わせるマンションの住民だけの近隣関係である。時折やってくる管理組合の仕事も満期が終わると、何事もなかったかのような元の人間関係になっている。皆同じような気持ちなのだろうか。静かでいいが、ベストか?東日本大震災のときに痛感した住民互助・共助がはたして災害時にできるのだろうか。こんな心配を抱えながらも、煩わしい近隣関係がない生活を謳歌している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?