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昭和でも江戸時代と変わらない生活

同じ時代に育った友人と昔話をすると、いつも何もなかったという話になる。幼少の頃は、電気製品と言えば、ラジオだけで、仰々しく居間の棚の上に乗っていた。

「一身にして二生を経るが如し」という福沢諭吉の言葉のように、生活の変化ということでは、昭和に生まれた自分は、同じように二つの人生を経験した気持ちがする。

昭和30年代にテレビ、洗濯機、冷蔵庫と家電が次々と家庭に入り込んできた。井戸から水道に変わった。

それ以前の生活は、こんなだった。
母は、たらいと洗濯板で座りながら洗濯していた。洗濯は、時間がかかる大変な労働だった。
氷冷蔵庫というのがあって、売りに来る業者から大きな氷を買って来て冷蔵庫に入れた。氷はすぐに溶けてしまった。

大正に生まれた母の話では、子どもの頃は、夕方になると電灯が点いた。昼間から行燈を点けることがないから、自然の流れだったのだろう。電気と言えば電灯を意味したようで、今でも、電気照明の点灯消灯のことを、電気を点ける、電気を消すと言う。

昭和30年代の東京の江戸川区に住んでいたが、台所にあるポンプ井戸から風呂桶まで樋(とい)があり、井戸のポンプを何度も上下して、風呂桶に水を入れた。子どもながらも、この作業をやったが、良い運動になった。

コンロがない頃は、竈に薪を入れて、火吹き棒を吹いて火力を調整しながら釜でご飯を炊いていた。割烹着に角隠しをかぶり、ふーふーと吹く母の後ろ姿はよく覚えている。その後に石油コンロ、そしてプロパンガスに変わった。

テレビはなく、ラジオでドラマやバラエティー番組を聴いていた。『一丁目一番地』、『少年探偵団』、『トンチ教室』があった。

門の外には、コンクリート製のゴミ箱があった。捨てるものは、ほとんど生ゴミだった。ときどき、清掃の大八車でやって着て、チリンチリンと鐘を鳴らしていた。新聞紙、アルミ箔、古着は、ゴミ買い取り業者が来て買い取っていった。東京オリンピックの時に道路からゴミ箱がなくなり、蓋のついたポリ容器に変わった。

その頃の生活は、東京でも江戸時代と変わらないものだった。東京オリンピックを境に、生活は一変して、今では電気製品に囲まれ、プラスチック製品が氾濫している。生活は便利になったが、それらの処分は非常に面倒な時代である。便利と不便は共にやってくるようだ。


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