タイのスラムにある図書館の意義
今日は、4月2日ですね。
お疲れ様です。奥山滉太です。
とても温かい日でした。
今日はタイで留学している時に「いる」の大切さに気づいた『素敵な図書館のお話」です。
大した濃さではありませんが、よろしくお願いします。
素敵な図書館とぼく
ある図書館がバンコクのスラムにありました。
ぼくはバンコクのスラムの図書館でボランティアをしていました。週に1回から3回ぐらい。
その図書館は素敵な空間でした。
小さい子どもから中学生ぐらいまで来て
絵本の読み聞かせを聞いたり
かくれんぼしたり
楽器演奏したり
勉強したり
時には、みんなで踊ったりしていました。
ぼくは子どもに日本語で読み聞かせしたり(タイ人スタッフの無茶振りでですが笑)、一緒に歌ったり、かくれんぼしたりしていました。
とにかく何でもしている場でした。
自由の場です。
子どもたちが集まる意味
正直、最初は、ぼくはこの図書館をただの愉快な場だと思っていました。
ただ、違うと途中で思い始めました。
安心するから
リラックスしたいから
時間を潰したいから
親が仕事で家にいないから
子どもたちの中にこのような理由を持って図書館に来ている子がいると知った時です。
ちょっと大袈裟な表現かもしれない。
だけど
子どもたちは図書館にくることで「いる」ことができる
図書館は子どもたちが生きることを支えている場である
図書館の構成要素
何が図書館を作っているのかと考えると
何でもウェルカム
スタッフと子どもの距離感は家族のよう
があったからかなあと思います。
まとめ
留学終わって、この活動を振り返った時
誰にでもこういう存在の場は必要だなぁとぼんやり思いました。
次回は『第三章:フィリピンで感じた「いる」壱』です。
次も読んでくださったら幸いです。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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