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「Web3がもたらす未来を考える」中島聡×塚田学対談・後編

2022年11月26日(土)に行われた、第一回Nouns Art Festival「愛、平和、もしくは持続可能な地球(SDGs)をテーマにしたオンライン・アート・フェスティバルの表彰式に行われた中島聡氏×塚田学氏による対談の書き起こしになります。
「Web3がもたらす未来」は、どうなっていくのか語っていただきました。
後編(前編はこちら

Web3がもたらす世界とは

小平:先ほど、塚田先生は一つのインターネットという言葉をお使いになりましたが、インターネット業界も1995年ぐらいからザワザワしだし、あんなものは使えない、軍事産業のものはいらないなど、いろいろありましたが、今はなくてはならない存在です。インターネットが活用されたこの20年のような感じで、Web3がどういうふうになっていくのかが一つの論点じゃないかと思うんですけど、どうでしょうか?

塚田:インターネットの延長線上で、考えるべきものだと思います。Web3と名付けたのも、そもそもWeb1.0というのがあったと後付けして、2.0をやっていたときも、俺たち2.0やってるぜと言っていたわけではない。後でRSSやAjaxなどを総称して2.0だったことにしたと思います。その流れを踏まえて、インターネットの新しい流れがWeb3だと急に言い始めた人たちがいる。そういう意味では、インターネットの進化の流れとして、捉える必要はあるのだろうと思います。

小平:中島さんは「中学生にも分かるWeb3 中学生にも分かるシリーズ」という本を出されていますが、今後、若い人たちは、どういうふうに考えていけばいいのか。ヒントというか、スイッチを教えてほしいです。

コンピューターサイエンスを勉強して5%に入る!!

中島:難しい話だけど。特にインターネットやWeb3の話は、技術が分からないと根本が理解できないんです。たまに、ベンチャー企業のトップが技術を分からない人だと、どうしても頓珍漢なことを言い出すんです。
ちゃんとインターネットのことを分かっている人って、人類の5%ぐらいしかいないかもしれない。それ以外の人は、どんなに賢かろうと、どこかの社長だろうと頓珍漢なこと言っているという、ものすごく不思議な世の中になりつつあります。

だから、若い人もしくは若い人の親御さんは、何としてでも自分たちの子どもを5%に入れないと、絶対に損します。それはすごく思う。全員を助けるという話じゃないけど、少なくとも個人個人を見た場合において、基本はSTEM教育、科学と数学の重要性を理解する必要がある。

Web3も、その延長上にあるので、基本のコンピューターサイエンスをしっかり理解した上で、新しい技術が出て来たら、それを常に勉強し続ける。学校卒業しても勉強をし続けるという姿勢がない限りは、どこかの時点で時代遅れな人間になって、頓珍漢なことを言い出すんだということを伝えたいです。

小平:なるほど。常にフレキシブルに考えながら、5年後にはまた違うことが出てくるというような感じですよね。今、教育の場で塚田さんはいろいろ教えてらっしゃると思うんですけども、そういう立場からはどうでしょうか。

未来の創造は若者にまかせる

塚田:一般的な話で言うと、20歳ぐらいの大学生が、メタバースどうなんですか?って、40歳のおっさんに聞いている時点で駄目で、自分の頭で考えて、こうだって突き進んだ方がいい。

我々もWeb3こうなると思うとか、メタバースこうだとか言っていますが、全然分かってない可能性が高い。実際に20代の若者の考えることの方が、正しい可能性が高いだろうと、私は思っています。

例えば、我々は総務省にできたメタバースの研究会に、呼ばれているのですが、インターネットネイティブの人たちの考え方と、20歳ぐらいになってインターネットが生まれてきた人たちの考え方は、根本から違うと思っています。何が違うかって、オンラインのアイデンティティとオフラインのアイデンティティが一緒か、もしくはオンラインのアイデンティティの方が自分らしいと感じる人が、Z世代だと言われている。

我々も最近会ってないけど、Facebookでやり取りしていると何となく状況が分かっていることはあるんですけど。Z世代は、それが生まれたときからあり、今、ROBLOXやマインクラフトをやっている。それでソーシャライズしている人たちは、オンラインのアイデンティティについて、我々よりよく知っているので、来る世界をもっと現実的に、リアルに創造できるんじゃないかと思います。

なので、おっさんの言うことはあまり聞かない方がいいんじゃないかと。。。。我々、コンピューターサイエンスを教える仕事はしてますけど、未来の創造に対しては、若い人の方が信頼できると思っています。

アイデンティティを持てる場所の多様性を認める

中島:僕、面白い経験があって。うちの子どもが高校生か中学生ぐらいのときに、学校で父兄が集まって話す機会があった。その時、1人の親御さんのお子さんが、オンラインゲームにはまっていて、みんなでどうやって取り上げるか、どうやってコントロールするかと話していた。

話を聞いてると、その子はあまり勉強もできなくて、スポーツもできない。でも、オンラインゲームの中でヒーローなんです。40人ぐらいの軍団を連れて、毎日戦っている。彼にとっては、そこがアイデンティティであり幸せなんです。それをいかに取り上げるかっていう話を、父兄が全員していた。僕はすごく違和感があった。もし、あなたの子どもがスポーツ選手で、野球の4番ピッチャーで、頑張っていたら、応援するでしょう。取り上げようとしないでしょうと。なんでゲームだと取り上げるの?という話をしたら、僕は他の親からケチョンケチョンに言われたんだけど。

その辺の感覚が、実は同じなんです。スポーツもオンラインも。区別ついてない人が多いけど。その辺を、社会としてもう少し認識してあげないといけない。そこがアイデンティティで、そこが幸せだったら、そこを伸ばしてあげるしかないじゃないですか。その子が、ひょっとしたらプロゲーマーとしてべらぼうに稼ぐ人間になるかもしれないわけで。

今の話は10年以上前だったから通じなくて当然だけど、今、そのような子は結構いて、そういう子はeスポーツの名選手になる可能性がすごくあるわけじゃないですか。だから、それは社会として認識しなきゃいけないと、僕は思います。

AIでアートの世界が変わる

小平:確かにその分野でも、非常に我々が観念的に考えるのではなくて、それをちゃんと認めてあげるってことは本当に必要じゃないかと思います。
今日は映像ということで、クリエイターの分野で、今からNFT含めた映像の世界は、より加速的に、いろんな意味で個性が出てくる。例えば、iPhoneでも映画が作れるし、いろいろなものの選択肢が広くなったと思うのですが、そこら辺はどういうふうに思われますか?

中島:アート一つにしても、今変わりつつあります。例えば、OpenAIのDALL・Eとかは、しゃべるだけで絵を描いてくれる。そもそも、それがアートなのかという議論が起こっているけど、でも、それは人類にとってのツールなので、これからのアーティストは、そういうものを使いこなせないと食っていけない時代になったりする。そういう面白い境目が来ている。

僕は最近、プログラミングでジェネラティブアートを作り、アーティストになってみようかと思っているんです。気が付いたんですけど、ジェネラティブアートって実はすごく面白い分野なんで、アートのセンスとプログラミングができるが、両方成立しないといけない。美大出たからできるものではないんです。じゃあ、美大の生徒にプログラミングを教えるのかっていう不思議なジレンマを抱え始めているけど、実はひょっとしたら教えなきゃいけないかもしれない。プログラムを書いて、アートを生成させるとか、OpenAIのDALL・Eに上手く命令して絵を描かせるスキルも、アーティストに必要な時代。面白いですよね。

多分、そこにはいつものように、あんなのアートじゃないっていう古い考えの人たちと、そういうものをどんどん採用して、コンピュータージェネレイティブのアートを、自分のアート作品として出すアーティストも出てくるという、面白い、大きな変化が起きている感じです。

小平:アートも分散型になってくると、スペシャリストがどんどん集まってくる。映画のように、いろんなスペシャリストが集まって、一つのものを作る。
塚田さん、いろんな世界が、そのように変わっていくのでしょうか?

塚田:そうですね。今、絵を描くアーティストを思い浮かべると、大体1人のパターンが歴史的には、多かったと思うのですが。今おっしゃったように、グループで、組織でというパターンや、Web3のDAOとかを使うパターンもあるかもしれないですよね。

小平:現在でも、漫画は、メインは一人で描くけれど、背景は違う人が描くなど協力してつくっている。中島さん、現在、プログラミングもいろんな人で協力し合って、みんなで作っているとおもうのですが?

中島:そうですね。プログラミングは基本的にはみんなでやっています。

小平:そのような感じに、近いところがあるんですか?

中島:今ますます盛んになっているオープンソースというのは、基本的にレイヤーごとに作っていくんです。誰かが作った土台の上に、別の誰かが作り、どんどん進化していく。みんなで一緒に協力するというよりも、ひとりひとりが階段を積み上げて一緒に上がっていくような感じで、プログラミングの世界は、進んでいるので、ちょっとアートにははまんないかもしれないです。

塚田:アートというと、天才的なひらめきが見えるような、そういうものを追い求めるもので、そういうものを欲しがる人がいるんだろうと思います。プログラミングは、ひらめき単体で素晴らしいソフトウェアになるわけではないので、やはり協力が必要だと思う。

その点で、僕もアートとプログラミングというのは、成果物、出てきたものの性質がだいぶ違うと思う。しかし、アートは、1人のひらめきというのが結構重視される分野だと思うんですけど、映画とかになると何千人も関わるような物もあります。そっちの方だと、もしかしてプログラミングのソフトウェアに近いところもあるかもしれません。

小平:塚田さん、AIとWeb3の関係を、どういうふうに考えていますか?

塚田:そうですね。AIとWeb3をAIとメタバースというパターンだと考えている人は多いかと思います。メタバースとは何かを説明すると、今までWebで、二次元でインタラクションに映像とか音声を楽しでいたものが、三次元の没入環境で誰かと触れ合うとういうこと。そうしたときに、相手のアイデンティティが分かるパターンもあると思うんですけど、分かんないパターンだと、その相手が、その先に人間がいるのかAIなのか?別にそれは、人間にとってもどっちでもいいことだったりします。なので、すごく人間らしいふるまいをするアバターがいたとしたら、自分が寂しさをまぎらわすためにそこにいるとか、ゲームをするためにそこにいるとして、他の参加者が全員AIだったとしてもいいわけです。
そういうような考えは結構ある思います。

あとは、自分のアバターがメタバースに住み着いていて、自分は寝なきゃいけない、仕事に行かなきゃいけないときに、自分の代わりの分身AIがメタバースで行動してくれる。そういうことも考えられます。

最後に

小平:私(オヤジ世代)は、ピンとこないのですが。10代のα世代は、常にそういうことが当たり前のように、頭の中に入ってきているということなんでしょうか?!
最後に、中島さん。これだけは言っておきたいということがあったら、ぜひお願いします。

中島:僕からエンジニアの人たちに贈りたいのは、今こんなおやじだけど、Web3は楽しくてしょうがなく、プログラミングを書いてるわけです。自分でプログラムを書かないと、手を動かさないと分からないことがいっぱいあるから。

皆さんにも、CryptoZombiesという、すごくいい教材があるので、ぜひそれを試してほしい。スマートコントラクトを自分で作ると、何が、どういう意味を持つのか、何ができるのかというのが深く理解できる。僕なんかは、わずか4~5日で終わったので、一通りコースを受けるというのを、日本全国のエンジニアに必修課題としたいです。

小平:なるほど!塚田先生、いかがでしょう。

塚田:今の話に関連付けていくと、中島さんは、すごく60代でも楽しそうな感じですが、いつも一緒にいる学生は、20歳〜25歳が多いんですけど、結構余裕がないんです。とにかく、忙しいんです。課題があって、期末テストがあって、インターンもしなければと...。あれもこれもで、いっぱいいっぱいになっている。少し心に余裕がないと、5日間、この教材で勉強するとならないので、大学もあまり課題を厳しくして、びしびし鍛え上げるというよりは、興味の赴くままにやってもらうという時間を作らなければいけないんだろうと思いました。

自分自身も今、CryptoZombiesをメモって、家に帰ってやりたいと思ったけど、よく考えたら、あの仕事・この仕事があるから...となっちゃっているわけで。

小平:今の子どもたちは、好きなことしなさい。何でもやっていいって言われ過ぎて、ちょっとうんざりしているかもしれない。でも、そんなこと言わずに、ハチャメチャに、どんどんやりなさい、どんどん楽しいことやりなさいと。以前、中島さんがおっしゃっていましたが、数学の好きな子がプログラミングやるならいいけども、苦手だと思ったらやらなくてもいい。そういう気楽な感じでいいということでしょうか?!あまり難しく考えるといけないですね。

私が、難しい方向に持っていってしまったかもしれませんが。今日は、楽しい時間を過ごさせていただきました。最後に、お二人に拍手をお願いします。どうも、今日はありがとうございました。

前編はこちら


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