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Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第四回 中島聡 x 増井雄一郎 書き起こし その2

2018年11月26日(月)に開催された「Invent or Die - 未来の設計者たちへ:第四回 中島聡 x 増井雄一郎」の書き起こしです。
ソフトウェアエンジニアである中島聡と、高校在学中からプログラミングをはじめ大学時代に起業、現在でも第一線で続ける有名エンジニアの増井雄一郎氏がエンジニアの未来に関して議論します。

では、仕事は何をしてるのかっていうと、学生の時に一回起業して、もう今誰も使ってないですがiモードのWeb制作の会社をずっと大学生からしばらくやっていました。その後に自分が会社をやるのに、その会社、自分で作ったので、社長をやりながら営業だとか経理みたいな事を全部自分でやっていたので、まあそういうエンジニア以外の事をやりたいのか、エンジニアやりたいのか、26歳の時に一回悩んで。

その上で「僕は会社がやりたいんじゃなくて、物を作ったりエンジニアリングがやりたいんだ」って事で、会社をたたんでフリーランスに戻って、それで色んなアプリケーションを作ってたんですが、僕ずっとRubyって98年ぐらいからもう20年くらい使ってるんですね。丁度2005年にRuby on Railsが出て、これは初めてRubyで仕事ができるんじゃないかと思って、ずっとRuby on Railsばっかりやっていて。

2006年にRailsカンファレンスっていうRailsの作者とかが集まるカンファレンスの第1回目がシカゴであるって事で、それで僕シカゴまで行ってそのカンファレンスを初めて受けたんですけど、僕その時、初めて子供の頃以降、30過ぎてからパスポートを初めてとって自分でアメリカに行ってみて、そのカンファレンスを聞いていたら大したこと言ってないんですよ。

東京でも、いろんな勉強会とRubyの勉強会をやっていたんですけど、対してレベルが変わらない。だったら僕このままアメリカ行って英語喋れるようになれば、あそこで同じように喋れるよねって思って、それでアメリカに行きたいって思っていたんですが、一人で会社をやってると、自分で仕事をしているとビザをとってアメリカにいく方法がないんですね。それでどうしたらいけるんだろうと思っている時に、今日一緒に話しをする中島さんが、ブログに、僕、彼のことがずっと好きでブログ読んでたんですけど、ちょうど講演で日本に戻ってきますという記事があったんで、そこで僕の方からアメリカに行きたいんですけどアメリカに友達もいなくて、どうやったらアメリカで仕事をすればいいのかわからないので話を聞かせてくださいと、メール送って、その講演日に、お昼ご飯を一緒に食べることになって、そのあと意気投合して、僕はアメリカで会社をやりたいということで、じゃぁ一緒にやろうって話で、意気投合して、できたアプリケーションがPhotoShareってやつですね。

iPhone の写真のシェアリングのアプリケーションをアメリカで2008年から2年半ぐらいいたんですが、こういったiPhoneのアプリケーションで写真のシェアは多分世界で初めてたと思うんですけど、こういったアプリケーションを作ってました。その後、日本に帰ってきて、僕ちょっと英語に難があったりとかで、結局、向こうで仕事をしきれなかったというのもあって、日本に戻ってきて、ミイルという食べ物の写真のシェアリングのアプリケーションを作る会社がなるんですが、CTOとして一人目のエンジニアとして、一緒にやっていたのは中村という飲食店を10年やっていて、彼がこう言ったアプリケーション欲しいと言いて、僕はiPhoneのシェアリングのアプリケーションをずっとやっていたので、こういったものを一緒に作ろうよって会社を始めたりとか、彼ともう一つ、こっからスピンアウトする形で、トレタという会社、飲食店の予約の管理するアプリケーションで、これは皆さん使ったことがある人はいないと思うんですよ、飲食店のお店の人が使うアプリケーションです。皆さん、例えばネットや電話で予約をした時に、お店の人がその予約を管理するために今まで紙に書いていたものを、全部iPadとかできちんと管理をしましょう、顧客のいろんなメモとか、そういったものをちゃんと管理しましょうとCRMとして、こういったアプリケーションを作って、これも一番初めに作るのからして、先月までこの会社のCTOもしていました。で、僕、年にふたつ目標があって、年に一つは個人ブロダクトを作る。年に一回は英語で講演をする。僕こういったところで話す機会がすごく多くて、年間30本とか話してるんですよ。それ以外に年に一回は必ず英語で講演をやっているのですが、そのうち一つ、例えば2015年に作ったアプリケーションなんでが、これはKitayonていうアプリケーションで、これもハッカソンで友達とみんなで仕事以外で作ったアプリケーションです。これはなぜ作ったかって言うと先ほど言った僕が勤めいたトレタという会社で、恵比寿に移転したんですけど、すごい凝ったオフィスを作ったんです。ここもすごいかっこいいですけど。凝って作ったオフィスをなのに、入り口にカッコ悪いものを絶対置きたくなかったんですよ。よくある内線用の電話にボタンがいっぱいあるやつあるじゃないですか、あれすごいカッコ悪くて置きたくなくて、なので代わりになるやつを探したんですけど、全然いいソフトがない。iPadで。端末はどれもカッコ悪い。それに変わるようなアプリケーションを自分たちで作ろうと、この時僕トレタにいたんですが、前職のミイル会社のメンバーを中心に、みんなで集まって4ヶ月間作り続けて、それでその作ったプロダクトを他の会社に売却したりとか、そういったことをしています。なのでずっと僕エンジニアと言いながら、どちらかというとコードを書くのが好きなんですが、物を作るのが好きなんですね。なので、自分自身はWebアプリケーションを作るので、サーバーサイドは僕はRuby強いですが、PHPとかPerlとか、一部PythonとかNodeJSとかJavaScriptそういったものを書きます。iOSのswiftも書きます。Androidはあんまりかけないんですが、フロントエンドもいろんなことをやります。それは基本はものを作るのが好きなので、ものを作るなら何でもやるということで、ずっとやってきています。

このトレタという会社を作ったのは2013年7月からなんですが、丸5年過ぎて10月15日にトレタから独立しました。それまでゼロイチの立ち上げが得意だっていうのがあって、今トレタは社員130人ぐらいいる結構大きい会社になったんですね。そんな時に僕はその会社にどう貢献できるるんだろうと色々考えた結果、僕フルタイムじゃなくて、もっといろんな働き方をして別の形で会社に貢献できるんじゃないかって、言うと考え直して、10月15日をもって独立してですね、自分で面白いプロダクトを生み出したいっていうのでプロダクトファウンダーっていうタイトルは自分で作って、今これとして活動しています。ちょうど始めて1ヶ月くらいですね。もし興味があれば「増井 ドライブ レジュメ」 って検索していただくと読めると思うので読んでいただくと、今日の話も話も少しわかりやすくなるかなと思います。

その3へ続く

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