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【箸休め】ほっこり記事紹介⑤:人の想いと自然の美しさの調和

小川千紗さんの「雲のはたて」の記事を紹介します。


「夕ぐれは 雲のはたてに 物ぞ思ふ あまつそらなる 人を恋ふとて」


古今集恋歌一、読人しらずの歌です。
小川さんのお陰で久方ぶりに思い出しました。とっても素晴らしい歌ですね。「はたて」の持つ意味についても改めて考えてしまいます。


夕暮れになって、雲が色づいてゆく。あわあわと夕映えをうける雲が西の空にたなびいている。その雲のいちばん遠いところ。
果ての果て。消え入りそうな遠くを眺めやって、手の届かないはるか遠くにいる人のことを想う。
この歌を知ったとき、千年たっても人は変わらないな、と思った。
ふと見あげた西の空の、夕暮れに染まる雲のはてに、自分の届かない想いを重ねる。
昔も今も、ずっとくり返されてきたことなんだと思う。
「恋ふ」ということ。

「小川千紗さんの記事」より


小川さんの素敵な描写です。
雲のいちばん遠いところ、手の届かないはるか遠くにいる人、それほどまでに遠くを表現することが出来る日本語って改めて凄いと実感します。✨


「はたて」


もしかしたら天国に行ってしまった方も含まれるかも知れない。小川さんのおっしゃる通り、人の想いは千年経った今でも何一つ変わらない。



小さな農村で育った小川さん、恐らく皆で焚き火をして夕暮れどきを楽しんだのであろう。薪から立ち登る煙と、夕焼けに照らされた雲が重なり合い、言葉にならない美しい瞬間。儚くて切ない想いとも重なり、今でも鮮明に「記憶」というアルバムに保存されている。


素敵な記事をありがとうございました。🌻


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昔はよく焚き火をしました。私も小川さんと同じく小さな農村の出身ですので、秋になると焚き火をして焼き芋を作って食べるのが楽しみでした。


一方で、小学校や中学校では焼却炉が用意されており、決まって私は焼却炉係だったことを思い出しました。今の小中学校には「焼却炉」ってあるのだろうか?


焼却炉は煙の匂いが着くので女子からは敬遠されていた。当然、ここを担当する機会が多かったことには理由があり、80%以上は「罪人」で構成されていた。つまり、何かの罰で無理矢理やらされていたことになります。😢


授業が終わってもその日のうちに焼却し終えないと部活動に参加出来ない。そんなめちゃくちゃな決まりのせいで、ゴミを焼却し続けるハメになり、夕方までかかったことも頻繁にありましたね。「はたて」にいる人を思い出す余裕がなくて、近くにいる人にどうやって押し付けようか、そればかり気にしていた記憶があります。




最後まで読み進めて頂きありがとうございました。
引き続き、よろしくお願い申し上げます。🌱


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