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恋ではなく愛の可能性 50歳のパートナー探しの結末

離婚後1年半後に開始したのパートナー探し
活動期間:約3ヶ月(12月末~4月上旬)
方法:1対1トークイベント2回、街コン2回参加
出会った人数:約25名(デートをした人は4名。その内2人は1度だけのデート)
今お付き合いをしている人とは2月に出会い、デート5回、一度交際をお断りし、その後再度デートした6回目で交際することに。交際宣言後これでよかったのだろうかと思いながらノリノリでないトーンで(いつものこと)細々と会い、でもそれを続けていたら、この人でほっとする。この人を好きかどうかは分からないが、この人と一緒にいる自分は好き。となり今お付き合いして2か月になり気持ちが安定してきた。
付き合い始めた直後はパートナー探しを同時並行で進めようか(本心は進めたい)と考えていたが、結局やらずに終わった。
4回のイベントに参加し、各回1名計4名の方と個別に話をする気持ちになった。実は今の人とお付き合いを開始までの間に更にトークイベントなどに参加してプラス20名くらいの方にお会いしたがそこでは全くいいと思える人に会わなかった。パートナー探しは3ヶ月で終了したが、本当はこんなにうまくいくものではないと思っている。うまくいくもいかないも、出会えるかどうか次第で、これ以上続けていたら疲れ始めてたと思う。

彼のどこがよかったのか。
私は間口は広いが次の扉はめちゃくちゃ狭く、好きになれないまま数年付き合うなんてことがよくあった。かと思えば狂ったように好きになってしまった若気の至りもある。どちらにしろ恋愛的好きという気持ちはあまり感じることができない。結婚して家族愛というのは感じていたので、そこにジャンプが可能な「どこでもドア」がない限りお付き合いするのは困難と思っていた。よって今落ち着いたお付き合いをしているのが夢のようだ。(夢のような理想の人とのお付き合いという意味ではない。)

複数デートした2人AさんとBさん。(以前のnoteで書いてた2人です。)
結果、Bさんとお付き合いをしている。
Aさんとも複数回デートをして、毎週TV電話をして、結果つきあって欲しい。はい。のやり取りをしたのだが、実質はお付き合いと呼べるものではなかった。しかし!Aさんは私がどういう人と付き合いたいのかを気づかせてくれる存在だった。もちろんそんなつもりではなかったが、反面教師となり、Aさんと出会ってやりとりしたことが、とても意味があった。Aさんも運命の人だったと言える。

では、Bさんのことをお話したい。

最近見た中田敦彦さんのYoutube大学「いい人戦略」でとても興味深いことを知れた。

人に嫌な印象を与えないための3つのこと
1. アドバイスしない
2.悪口を言わない
3.マイナスな発言をしない

Bさんは正にこれだった。「私の前では」という注釈が必要だけど。

私はこれが出来ていなかったから元旦那さんに距離を置かれてしまったと思う。仕事でのパワハラ、誰も多忙業務に手を差し伸べてくれず、教えてくれず、ばりばり悪口+マイナスオーラ全開だった。そのくせ、旦那さんの心配事には偉そうにアドバイスしていた気がする。

旦那さんと出会ってお付き合いする時はなかった抵抗が、Bさんとお付き合いを決めるには大きな抵抗になりうる要素があった。ここに書くことは差し控えるが、以前の私では絶対にお付き合いに発展しない人であったのは確かである。例えば好きなタイプの顔ではない、背が小さいなんて楽々超えるのがこの「三種の神器」だ。もうそれはそれは輝いていた。

一緒にいて嫌な気持ちがしない。
全然イライラしない。

元旦那さんに感じていた、無条件で好き。この人のために何かやりたい。という気持ちはまだなっていないけれど、この嫌な気持ちがしないことに賭けてみたいと思った。

この人と一緒にいる自分が嫌いではない。
これを思える人はそうそういない。
自己肯定感の低い自分も、頑固で人にきつく当たってしまう自分もいない。

穏やかな気持ちでいられる。心理的安全性がある。
私のことを大切にしてくれるのを感じられている。
籍を入れることは考えていない。だから家族に紹介もしないかもしれないが、この人といると安心するということは家族に伝えていい。私がそう感じているのだから、仮に親が相手の行動や環境に違和感があったとしても、私は彼がいいと思う。(過去に似たような背景で親に猛反対されたことがある。)

さて、反面教師のAさんであるが、とても優しい人だった。お子さんを中心に生活していることも尊敬していた。私が会うのが辛くなった時(面倒くさくなった時)、TV電話でもいいと提案してくれて精神的に楽になった。LINEも毎日してくれ、そういうのが苦手な私もどうにか合わせて返事をしたものの数は極端に少なく、それでもそれに文句を言われなかった。

会うのを避けがち、LINEも毎日は必要ないと思うのは私の性格なので、Bさんとも同じである。しかし、Bさんは会っていない時間は自分の好きなことをやり、LINEに私より執着がなくその点のプレッシャーがなかった。一方Aさんは我慢している。合わせてくれている。という感じだった。そして…その合わせてくれている状態から本当は不満。がチラチラ見えてきた時に長くお付き合いするのは難しいと思った。そこまで決められなかったのは私の甘えで、相手が自分のいいようにいてくれたらこの人でいいのではと思う、人と人とのコミュニケーションを無視した考えからだった。

その前から彼は(私と一緒で)三種の神器については弱い部分があった。私がやっているボランティアの話にはいつもアドバイスをしてきたし、自分と違う考えの人を否定した。話の大半がマイナス発言で構成されていた。

私にも否定がチラホラではじめた。私がジムに行っていることを好ましく思わないようで、家でできないの?ジムで何やってるの?わざわざジム行く必要ある?と言ってくる。そして、急に暑くなった日に厚手の上着を持っていたら、そんな厚手の今日いるの?と言われた。笑ってというよりは、その判断が気に食わないという印象を受ける。お店の中や夜寒くなると嫌なので持ってきた、いけないことか?とげんなり。分かっている。そんなこと全てささいなこと。でもそれらがボディブローのように効いてくる。

相手が悪いとは思っていない。前述の通り私も全くもってそういう人だったから。悪気がないけど口から出るのは否定ばかり。マイナスばかり。話を盛り上げようとして良かれと思い言っていたが、周りは嫌な気持ちになっていたんだな。

人生の後半、そういう自分と決別したい!それが私の望み。自分がそうだったからこそ、今はそいう人とは距離を置きたい。間違ってパートナーとなっていたら、私は幸せではなかったと思う。さらに長い月日を過ごしてしまい(Aさんとは子供が大きくなってから、私にいずれ訪れる介護を終えた10年後を見据えて一緒に暮らすという想定があった)、いざ一緒の時間を過ごしたら食い違いばかりだったと思うと怖い話だ。その時私は60歳。

私の恋愛の発展には3段階ある。
1.愛を感じる人かどうか、恋はあまり関係ない
2.付き合いが始まってもスロースタート、それに歩調が合うと感じると
3.この人と彼愛・家族愛を感じ始める=ここがスタート地点
1.2.も難関、3.を超えてからの時間も油断してはいけない(を離婚から学ぶ)。

Bさんは、道で誰かがのろのろと歩いている人がいてもイライラしない。デート中私があれこれ気になって立ち寄っても急かすことをしない。LINEも必要最小限でいいねボタンでさくっと終わる。自分の好きなことを淡々とやり人のことは言わない。それがいい。不安もない。一緒にいることを楽しんでくれているのが分かる。穏やかな関係だ。

旦那さんと別れた時、とても悲しかった。
それは自分が恋をできる体質でないから、好きになれた人がいて、その人も好きになってくれたのが奇跡だった。それは私なりの恋であり、そしてそこには確実に愛があった。結婚はスタートでそこから育むもの。全くその通りだと思う。でも最初の関門で愛を感じる、この人となら愛を育てていけると思えることが大前提。旦那さんは私にとって奇跡の人。なのにその次の関門、愛を育むことを怠ってしまった。今、離婚してその必要性を分かったところで、そうしたい人とは会えないだろうなと思っていた。私は二人三脚で生きていくことはもうできない。本当に孤独になってしまったと苦しかった。なので、私はこれから愛をはぐくむ関門にチャレンジしないといけない。有難いチャンスである。

パートナー探してしてよかったと思う。自分はいつも始める前から諦めてしまうところがある。今回、50歳を機に変わった意識を実践するために始めたパートナー探しはいったん終了。そして第二の関門の愛を育むことを今回は怠らないように更なる実践の機会としてこのお付き合いを続けてみようと思う。

今の生活を止めて新しい生活に飛び込む決心はできていない。今はまだいいとこどりの状態でいる。さてこの先どうなるか、また報告します。

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