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不機嫌に寛大だったけど果たしてそれでよかったのか!?フキハラ問題

ここでは、離婚のこと、おひとり老後の備えのこと、日々感じていることをnoteしています。今回はその11回目。誰かに何かを伝えるというよりは、連載型の私自身の思い出の備忘録に。徒然なるままに書いていることをお許しください。

前回、未熟な自分とはを説明したのだが、結婚生活では未熟な自分をなんとか出さないようにしていた。家庭のことは頑張ってやり、相手に自分の意見を無理強いすることもしていない。それより相手の要望を受け入れるようにしていた。だから相手に対して決定的な悪いことはしていない。と思っていた。けれども結果的には彼の心は離れてしまった。結婚して時が経ち、私の悪い部分がじわじわと漏れ出していたのだと思う。それに、彼の要望を優先していたけれど、その要望自体彼の本心だったかどうかも分からない。彼は彼なりに我慢をして、それを表に出さないようにして、私に無理強いをしないようにしていたのかもしれない。どちらにしろ、私たちの心はすれ違い、結果上手くいかなかった。結婚したら多少のことは持ちこたえられるのだと思っていた。基盤がこれでできたのだと。でも違う、基盤なんてない。常に気を張っていい家庭環境を作る努力をしなければ、土地痩せ、実りもない枯れた風景になってしまうんだ。

私は前述した通り、家のことは頑張っていた。家事だけではなく彼の意見には極力反論しないようにしていた。
それはこれまでの自分の悪を反省し、今度こそ家庭にいる時間は波風がない平和な時間、空間にしたいと思っていたから。そして実際に旦那さんを尊敬していたし、好きだったからというのももちろんある。

しかし平和に慣れ過ぎて、一般的な言葉でいうと倦怠期だったのかもしれない。自分が頑張りすぎていなければ、単なる倦怠期で耐えられたのかもしれないが、こんなにやってダメならば、もうダメなのかもしれない。そんな気持ちになってしまった。

旦那さんだった人は考え方が合理的で効率的で、そして世間とずれた変な偏りがなかった。彼はいつも、こんな普通な人はいない。世の中には普通の人を探そうとしてもいない。世間は悪い人ばかりだと言っていた。確かに周りをみると、偏った人は多くいる。よくいるのはものすごく年下の女性とあわよくば付き合いたいと思っている50代。身近で沢山見かける。電車の中でちょっと肩が触っただけでガン見してくる人も少なくない。そうかと思えば友達の旦那さんや、これまで私を好きといってくれた人は普通、というか素敵な人ばかりだった。なので半信半疑でもある。

彼は偏りが少なく普通の人で、基本優しい人だった。
本来は優しい人ではあるのは知っている。しかし、結婚当初彼はよく世間に不機嫌になっていた。

彼が不機嫌になるときはこんな時である。
・並んでるのに横入りされ怒鳴る
・お店の目の前に自転車を置いている人に怒鳴る
・カフェでPCのキーボード強く叩く人を嫌う
・たまたま方向が一緒だからであろう後ろをずっと歩く人を嫌う
・小さい虫が(網の目を通るような小さい虫)部屋の中に入ると管理会社に文句を言おうとする(これは避けられた)
・スーパーで品出ししていた店員ワゴンが少しぶつかって激怒
・前から歩いてくる人とぶつかりそうでも絶対に避けない(相手もなんだが)
・旅行で長く電車に乗るとイライラしてくる
・特に電車が遅延した時は最悪といっていいほど、不機嫌になる。

でも私は決して怒らなかった。
そういう時はいつも、気持ちが落ち着くのを待っていたり、彼が嫌がりそうな環境を極力さける方法はないかを考えることいした。

不機嫌の中でも、離婚の前年9月に起こった旅行帰りの電車遅延での出来事はショックが大きかった。旅行の帰り新宿で山手線が止まっていた。彼は見るからにイライラし始め、何も言わず地下鉄に向かってどんどんずんずん歩いていってしまう。そして人の肩にもばんばんぶつかりながら押しのけてすごい勢いで先に行ってしまった。(ぶつかった方々本当にごめんなさい。ただ立っていただけなのに、体当りされて。)
私は彼を見失ってしまい。見失ったことをLINEで謝って、複雑な思いで一人で家に帰った。彼は家にいた。私は何もなかったのように夕飯を作った。

この出来事は、私の中で深い傷になっている。このことからは完全に立ち直ることは最後まで出来なかった。今でもあの時の光景は目に焼き付いていて、とても悲しい気持ちになる。

誰しもイラッとすることはある。沢山ある。私もある。
けれどイラっとした本人に文句を言ってはいけないと心に押し込めてきた。結婚したんだから、結婚を決断したのは自分だし、自分の責任ある。だから、怒るより、解決策をみつけて折り合いをつけたいと思っていた。

私は彼が不機嫌になるのが嫌で、怖くて、彼が怒らないように気をつけて生活していた。萎縮したところもあったと思う。全ての場面ではない。彼が不機嫌になりそうな場面で彼が怒らないように、機嫌を損ねないよう気を使っていた。

彼の怒りっぽいところがかえって私自身を制御して、自分のわがままは抑えられ、家庭を大事にしようとできたのだから、それはそれで私にはちょうどよかった。
そうでなかったら、彼を最優先に考えることができなくて、立ち直れないほど自己嫌悪になっていたと思う。この結婚生活では自分が悪い人でいなくて済んだのは、変な話だが彼の不機嫌なところがあったからでもあった。

それに、彼がイライラするところは決まっているので、その状況を避ければ普段の生活は穏やかだった。

しかし結局だめになってしまった今、おかしいなと思うことに何も言わず、もやもやした気持ちを溜めるのは良くなかったと思う。自分が何をされるのが嫌なのかをちゃんと伝えるべきだったと思う。そして、彼がイライラしてしまう原因やその時の気持ちもちゃんと聞いてあげればよかったと思う。

彼は生きづらさがあったのかもしれない。それを受け止めたり、本当の気持ちを理解してあげるのがパートナーの役割だったんだと思う。

その後は、私の存在はだんだん彼にとってウザい存在になっていってしまったような気がする。一緒にいるのをよく嫌がられていた。彼は平日が休みなのだが、その日に家にいようとすると激しく反対された。カラオケに誘っても一人で行けば、ボイトレに行きたいというので2人で通おうというとまた今度ね。そんな感じだった。

それでも、私はことを重く考えておらず、なんだかんだと穏やかに暮らせてるなと思っていた。

離婚前年の12月末、彼は突然一緒に暮らすのは週1でいいと言い出した。
冗談ぽくいっていたけど、すごくショックだった。その言葉が頭から離れずにいて、年明け、彼がそうしたいのならやりたいようにやった方がいいと思って承諾した。彼にはありがとうと言われた。1月、どこにいるのか、いつ帰るか分からない彼を送り出すことになった。
それから私は毎日家で泣いていた。

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