ライト(オリジナル曲)と、北海道のラジオの思い出
「ライト」というオリジナル曲がある。
今週はリハの会場が埋まっていたので、先月のリハ動画からギター弾き語りバージョンがこちら。
この歌を書いたのは、それまで長く暮らしていた札幌から、転勤によりオホーツク海側の街に転居した後の2014年。
以前から長く続けてきたブログにも書いた事は無いのだが、実は、電気工事に従事する人達をテーマにしたこの歌を書きたいと思ったきっかけは、北海道ローカルのHBCラジオを聞いていた際に、「5丁目STATION アキトム! (3スタ生)」という番組から誕生したモーニング娘。の「恋愛レボリューション21」の替え歌「俺たち現場21」を聞いたことだった。
北海道在住ではないフォロワーの方々のためにご説明すると、アキトムという番組には、週ごとに様々なシチュエーションのラジオドラマが展開するコーナーがある。
「俺たち現場21」は、その中の「現場のおじさん」のドラマで流れる歌だった。歌詞は、実際に建設業に携わるリスナーからの投稿から生まれたものだという。
当時、電気工事会社の支店に勤務していた私にとっては、安全確認の言葉やユーモアを交えた現場の人達の描写は何もかも共感ばかりで、ラジオの前で爆笑しながら大きくうなずいていたのをよく覚えている。
(アキトムの「俺たち現場21」はネット上に動画がアップされていないようで、ここでご紹介出来なくて申し訳ありません。番組の中ではラジオドラマのコーナーで度々流れていたので、まだ聴いたことの無い方にはいつか是非聴いていただきたいと思います。)
爆笑した後、ふと思った。
電気工事バージョン作りたいな、と。
当時の私は、音楽活動の一方で、昼間は会社員として電気工事会社に勤務していた。
そして、東日本大震災以降、電力従事者はバッシングを受け続けていた。
自分自身、仕事も職場の人達も大好きだったけれど、それを口にしてはいけないような思いの中にいた。震災以降、ずっと。
けれど
現場で働くおっちゃんのカッコよさと、安全配慮の大切さを元気いっぱいノリノリで表現するアキトムの歌の衝撃は、私にカツを入れてくれた。
遠慮しないで歌えよ、と。
「俺たち現場21」に背中を押されるように、同じ職場で働く人達への応援歌というか、ラブソングのような歌を書いてみたいという気持ちが沸いてきた。
それは、開きなおりというよりもむしろ、ポジティブな逆ギレだった気がする。
完成したら、ラジオに送ろう。そんな思いで、私はラジオに投稿するネタを書くように歌を書き始めた。
けれど、残念なことに私にはユーモアのセンスは無く、聴く人を笑顔にさせるような気の利いたフレーズは全く浮かんでは来なかった。
結果、ネタになるはずだったその歌は、オリジナル曲(この場合、モー娘。さんの原曲と、アキさんトムさんの現場のおじさんバージョンのどちらがオリジナルになるのか、微妙なところだが)とは全く似ても似つかない、私自身の職場の風景そのままの歌として完成した。
やっぱり、私には、楽しい歌は書けないなぁ。
歌を書き上げた私は、そう反省していた。
けれど
初めてライブでこの歌を披露した際、自分の予想に反して「アウトリガー張り出せ」のフレーズに、お客さんからも共演者からも爆笑が沸き起こった。
補足すると、アウトリガーとは電気工事に使用する高所作業車が作業中に転倒しないよう、安定させるために車体から腕のように張り出して設置させる装置である。ちなみに「積載200kgのバケット」は巨大なフランスパンではなく、同じく高所作業車で作業する人が乗っているカゴのことである。
その街では、建設業や土木作業に携わっているミュージシャンや音楽ファンが多かった。そんな人達にとって、そこそこ年齢を重ねた女性シンガーがギター弾き語りで歌う歌詞に、リアルすぎる建設業界フレーズが織り込まれているというのは、かなりの衝撃だったらしい。
ライブの度に、爆笑・悶絶されること多数。
「ライト」は、それまでの私のオリジナル曲とは比較にならないほどに、地元で大受けするようになった。
その後、ありがたいことにライブ動画をネットで積極的に拡散してくださる方もたくさん現れ、気が付けばこの曲は地元だけでなく各地での私のライブの定番曲になっていた。
それから4年後。
2018年9月6日、北海道胆振東部地震発生。
この地震により、北海道内全域で大規模停電が発生した。
「ブラックアウト」と呼ばれる発送電システムの全系崩壊が日本国内で発生したのは、この時が初めてだった。
罵声を浴び続けた、2日間の後。
週が明けた月曜日。
まだ北海道内では、節電の呼びかけがなされていた時期だった。
仕事を終えて帰宅した私は、台所の蛍光灯だけを付けた薄暗い部屋で、乾電池の小さなラジオを聴いていた。
午後7時。
時報の後、小橋亜樹さん(アキちゃん)と中野智樹さん(トムさん)の、いつものオープニングトークの声が聞こえた瞬間、本当に、ほっとした。
それまでずっと緊張し続けてきた心がほぐれた気がした。
もちろん、会話の内容は、地震の話題が中心だった。
それでも、特別編成の番組でなく、いつものアキちゃんとトムさんのスタイルで番組を始めてくれたことが嬉しかった。
ラジオが運んでくれたのは、日常だった。
そして、番組後半。
その日のラジオドラマのコーナーは、あの「現場のおじさん」だった。
エンディングで流れた「俺たち現場21」。
薄暗い部屋で一人、号泣というレベルを超えて、むちゃくちゃ大泣きした。
その夜、泣きながらスマホから送ったメールを、番組後半でアキちゃんが読んでくれた時の嬉しさは、今も忘れられない。
北海道胆振東部地震は、2014年に書いた「ライト」という歌がネット上で広く伝わるきっかけにもなった。
多くの人のサポートを得て、2019年には自主制作ながら2曲入りシングルという形で初のCDをリリースすることも出来た。
歌が独り歩きするかのように、たくさんの人達に聴いてもらえるようになったことは、嬉しかった。
けれど、歌が広く伝わるきっかけになったのが地元の災害だったことには、複雑な思いがあった。
自分の歌を聴いてもらえるのは、嬉しい。
好きになってもらえるのは、さらに嬉しい。
けれど、北海道胆振東部地震を経た後、この歌を「災害復旧の歌」として賛美する言葉を目にした際は、正直なところ、嬉しいとは思えなかった。
音楽ではなく、歌詞の題材だけで持ち上げられているように感じてしまったから。
災害を利用しているように思われるのが嫌だった、というのももちろんある。
けれど、それ以上に強く違和感を抱いたのは、「災害復旧の歌」というキャッチフレーズにされる事だった。
「あれは日常だ」
ずっと、そう思っていた。
災害があろうとなかろうと、電気を繋いでゆくのは、電力従事者にとって当たり前の仕事なんだ。
日常なんだ。
日常が、どんなに大切でありがたいか。
誰も気にしていない時も、誰かが電気を繋いでいる。
今、この時も。
元々は、いつかCDが出来たら、アキトムに送ろうという、そんな軽い思いから書いた歌だった。
アキちゃんとトムさんに、聴いて欲しい。出来る事なら、歌って欲しい。
今も、その思いはある。
けれど、北海道胆振東部地震を経た後は、災害を売名に利用するような気がしてしまって、いまだに番組にCDを送ることは出来ないままでいる。
あれからいろんな出来事があって、私は今、北海道を遠く離れた宮城にいる。
仕事の内容も、電気工事から水道工事に変わった。
移住後の今では、ライブ活動も休止状態。
それでも、私は今も変わらず音楽を続けていて、この歌を歌い続けている。
これまでこの歌を知らなかった多くの方々に、今、あらためて
「ただの歌」
として、この歌を聴いていただければ、歌い手として、歌の作り手として、とても嬉しく思う。
そして、いつの日か、歌の題材云々ではなく「良い歌」としてラジオで流して貰える日が来たらいいな、と、そんな事を願い続けている。
最後に、動画をもうひとつ。
2018年9月14日、北海道胆振東部地震の後の最初のライブです。
歌が、歌として届くよう、私はこれからも歌い続けてゆきたいと思います。
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