Billie Holiday / Strange Fruit

今日のお題は、ビリー・ホリディの「Strange Fruit (邦題:奇妙な果実)」1939年リリース

ビリー・ホリディは、アメリカのジャズシンガー。
1935年生まれで、1959年に44歳の若さですでに亡くなっています。
恐らく、ジャズ好きな人は誰もが知っている有名なシンガー。
独特な歌い方と壮絶な人生を歩みました。この動画では分かりにくいと思いますが、黒人のシンガーです。

ビリー・ホリデイの父親はジャズ・ギタリストでずっと家にいない状態、母親は職を次々と変え、売春を行うという状態で、ビリー・ホリディ自身は親戚の家を転々とし、そのうち精神的な病気にかかってしまいます。
やがて10代半ばからジャズクラブで歌うようになり、ジャズ・シンガーとして稼ぎをえるようになります。
数々のミュージシャンと共に演奏したり、有名なステージに立ったり、レコードを出したりと順風満帆に行くと思いきや、その活動の中で知り合った人間関係から覚えた大麻やヘロイン、アルコール依存症などのトラブルによりどんどんと活動の場を失うようになります。
周りの数々の友人たちが何度も更生させようとするのですが、結局のところ止められずそれが命取りとなり、若くして亡くなってしまいます。

簡単に話すとこんな感じなのですが、かなり端折ってあります(;^_^A

ビリー・ホリディがどうしても止められなかったクスリやお酒の裏には、人種差別があったと思います。今よりももっと差別は考えられないくらい酷かったはずです。
実際、肺炎にかかった父親が人種差別のせいで病院をたらい回しにされ、そのまま亡くなったそうです。
その父親の死の二年後、出会ったのがこの曲「Strange Fruit」。
ルイス・アレンという高校教師が作曲・作詞した曲です。

この「Strange Fruit」、”奇妙な果実”と邦題がつけられています。
ルイス・アレンがある新聞記事に2人の黒人が木に吊るされ殺されている写真が載っているのを見、それを詩にして発表しました。
人を”果実”に例え、その死体が朽ちていく様を客観的に絵画の1ページのように表現しています。
その後、曲にして妻が歌っていたところ周知されるようになりました。

そういう曲を小さい頃から不遇の人生を歩んできたビリー・ホリディが歌うだけに、すごく重く、聴いているうちに何か分からないモノにまとわりつかれて来るような感覚になります。

ビリー・ホリディは「Strange Fruit」に出会った後、歌い続け、彼女の代表曲のひとつとなりました。

現在、アメリカでは黒人差別の事件後、デモが起こっています。
ビリー・ホリディが亡くなって60年余り。
彼女の想いが届きますように祈っています。

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