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STARTにふさわしい季節

2019年を迎えてから3ヶ月が経った。
今日は4月1日。新年度のスタート日。
気持ち新たに、節目らしく、これからの抱負のようなものを言葉にしておきたい。

はじめに、これまでの3ヶ月間を振り返る。
年明けから今日までの3ヶ月間、恥ずかしながら無職として過ごしてきた。私はこれをカッコつけて、堂々と「実りあるニート期間」と呼んでいる。

実りあるニート期間を振り返って

新卒で入社した会社を退職した。退職から3ヶ月間、空白のような時間を過ごした。労働という制約から切り離され、何時に起きてもいい、起きなくてもいい、そんな日々。
さすがに妻のご家族と一緒に生活している身分なので、毎朝決まった時間に起き、家族を見送り、一連の家事をした。図書館へ行き、気になった本を読み、英語の勉強をし、家に戻ってランニング。料理を作って家族の帰りを待ち、今日あったことを話しながら夕食をとり、明日を迎える。

まさに、自由を絵に描いたような生活だった。宙ぶらりんで、社会から取り残されているような感覚で、大学生の長期休暇のように、なんでもできてしまいそうな。貴重な日々だった。

当然、貯金は減っていったけど、無為ではなかった。改めて自分が興味あることを勉強し直し、青臭いけど、自分という存在について考え直す機会だった。何者でもない、ただの自分という存在を、正直に認める時間でもあった。

体裁が悪いのは百も承知だし、妻や、妻のご家族には申し訳ない気持ちもあった。結婚して、居候して、無職 ……。とんでもないクズだと言われても特に異論はない。一般的に考えてアホなことをしている自覚くらいある。

とはいえ、そんな罪悪感にも押し潰されることなく、まるまる3ヶ月間、図太く実りあるニート期間を続けてこられたのは、家族の理解と、なにがなんでもこの期間を有益なものにしたいという気概があったからだと思う。

スティーブ・ジョブズの「Connecting the dots」ではないけど、現時点での意味なんて見出せない。それであれば、何かに繋がることを信じて興味を広げ、思いのままに知識と思考と深めた。自分の人生をキャッチアップし、チューニングしているような日々。

勿論、正直に告白すると、勤勉な1日もあれば、怠惰に過ごしてしまった1日もある。ただ、さすがにこれ以上無職に徹するのは限界がきたので、4月からは労働を再開することに決めた。

春の平成、夏の令和

今年、26歳を迎える。人生100年時代といわれるいま、100年の人生を4等分して考えると、最初の4分の1が終わり、次の25年が始まるのだと思っている。季節に例えるなら、最初の25年は「春」。そして、これからの25年が「夏」。陰陽五行説を100年時代に当てはめると、0歳〜25歳は「青春」26歳〜50歳が「朱夏」。

人生の「夏」。この真っ盛りの季節を楽しみ、謳歌し、フルスロットルで駆け抜けたいとおもっている。そしてまた、やがてくる秋の収穫へ向けて備えていく。人生において最も大事な時期がやってくる。

くしくも、私にとっての「夏」のスタートが、新元号が始まるのとほぼ同じタイミングとなった。4月1日、新元号「令和」が発表された。平成が終わり、令和がはじまる。人生の春が過ぎ、夏を迎える。STARTに相応しい季節だ。

わたしにとっての幸福とは

人生の「春」の季節を終えるにあたり、確かに感じていることがある。それは、自分にとっての幸福について。その基準は、とても単純であることに気がついた。

①朝日か夕日の中でランニングをして
②ちょっと美味しいモノを食べ
③知らない知識を毎日取り入れること

この3つを満たしさえすれば、最低限、自分は幸福であると感じられるのだ。薄々感じてはいたけど、「実りあるニート期間」で確信した。
勿論、家族や仲間に囲まれて過ごす時間は、より幸福感を膨らませるものである。

しかし、上の3つはセルフでいける。ひとの助けを必要としない。地位や名誉も必要ないし、億万の富いらない。時間とお金の使い方次第で、毎日、幸福を感じることができる。極端な話だけど、どんな状況下でも自分次第で幸福でいることができるとわかった。

もう、怖いものはない。最低限、自分の幸福は保証されている。
だから、なんでも挑戦できる。時代の変わり目の境界線に立ち、恐れるものがなくなった。

令和元年にやりたいこと

noteで令和元年の意気込みを書くハッシュタグがあったので、乗っかることにする。私は令和元年に、noteに記事を沢山書いていきたい。まずは50記事を目指そうかと思っている。

あまり深い意味はないが、ただ、感じたことを言語化していく習慣は大事だなぁと、最近よく感じている。書くことは考えることだ。頭の中で反芻するより、文字に起こした方が、より正しく思考できる。

食事を食べて「美味しかった」、映画を観て「面白かった」からその奥へと踏み込みたい。その感想をきちんと言語化していけば、一層理解が深まり記憶にも残るだろう。書くことは自分をさらけ出す行為。拙い言葉だし、間違ったこと言うし、バカ丸出しになるだろう。書けば書くほど、至らない自分が露呈するだろう。それでいい。

客体の人生から主体となる人生へ。
人が書いたものを黙って読んでいた人生の「春」から、自分が書いたものを誰かに読んでもらう「夏」へ。

人生の「夏」。この時代の思い出をたっぷりとここに残していきたい。

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