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#5 娘が誕生した日

※この文章は、娘が生まれた日の夜に書いた手書きのノートから転載してます。(いやいや最初からここに書いたらええやんって感じですが、、、この日はとにかく思いのままに筆を滑らせたくて)

なかなか生まれない娘

出産予定日の3週間ほど前、健診から帰ったきた妻に、今週中には生まれそうな状況になっていると聞かされた。出産はあと3週間先のことだと呑気にしていたぼくは、慌てて父になる心の準備を整えた。不足していた育児用品を早急に買い揃え、万全の状態でスタンバイしていたものの「今週中」と言われていたその週には生まれなかった。

翌週の火曜日、朝の検診の際に、もう生まれそうという段になり、妻は入院。しかし、入院してからも長かった。ぼくはその間、家でじっと待っていただけだが、妻は数分おきにくる痛みに耐え、悶えていた。苦しみ抜いた末、入院から3日後の今日(5月21日)、ようやく娘が誕生した。

家族、友人、お世話になった方に報告し、沢山お祝いのメッセージをいただいた。これを書いている今も、いくつかのメッセージが届いている。他人からすれば、ひとの子供の誕生は、とりわけ大した出来事ではないだろう。しかし、ぼくにとっては一大事件。昨日と今日で、大きく人生が変わる。だから、今日のことを忘れたくない、忘れないようにしておきたい。そんな想いに駆られて、今日は長めの日記を書くことにした。手書きなので、あとでnoteに転載する。娘が生まれた日の夜、まだ興奮が醒めない、冷静じゃない、頭の中も整理されていないけど、今日のことを忘れないうちに残しておきたい。

その瞬間は突然に

入院1日目、2日目と、生まれることを期待してるのになかなか生まれてこない、そんな焦れったい日が続いていた。妻は肉体的にも精神的にも疲弊している様子だった。入院前には「早く陣痛きてほしい」「こんなに痛みを待ち望んだことない」と前向きだったのに、入院後はそんな余裕は影も形もなく、数分おきにくる痛みによって言葉を失い、のたうち回り、痛みのせいで眠れない日が続いていた。入院2日目の夕方には、どういうわけか陣痛が引いていき、骨折り損のような気分になった妻は、ひどい喪失感で弱音すら漏らすようになっていた。さぞ辛かっただろう。

とはいえ妻は、実際は心を痛めている余裕すらないのだ。出産するまで、痛みから逃れることはできず、適切な表現ではないかもしれないが、拷問にも似ていた。「いったん休ませてください」が通用しない。休みなく痛みはやってくるし、その先に、まだ経験したことのない痛みがあることを想像すると絶句するだろう。そんな状況で、妻はとにかく痛みに耐え、ぼくは腰をさすることも、側にいることもできない状況。ぼくは不甲斐ない気持ちになった。

通話をする機会もあったが、5分おきくらいのペースで妻には痛みが押し寄せ、会話不能になる。メッセージのやりとりをしても、妻はすぐに返信できる状況ではないので、ヤキモキしながら次の返信を待つことの繰り返し。ただ、自分には「励ます」ということくらいしかできない。妻は相当追い込まれていたのだろう、2日目の夜には、自分を責めるように泣いていた。

3日目の朝。

「陣痛促進の点滴をはじまめした」

とLINEが入り、その後連絡が途絶えた。

順調に進んでいるのかな、きっと今、頑張っているのだろうと想像を膨らませた。リモートで立ち合いをするなんて打ち合わせしてたけど、きっとビデオ通話を繋げられる余裕なんてないだろう。おそらく次の連絡は「生まれました」といった通知が来るんじゃないかと思った。待っている間、妻の様子をきにかけた妻の友人からLINEが届き、何もすることができない者同士で情報交換を行い(ぼくはそれまでの妻の状況を説明し、妻の友人は自身のお産の経験に基づき推し計る)、二人でとにかく励まし合うという異例のLINEトークが白熱した。


お昼12時を過ぎた頃、お義父さんが入れてくれたコーヒーを飲んでいる時だった。

「もすうぐ」

「でんわ」

とメッセージが入った。
すぐに通話をかけた。


「パパさーん、見えてますかー!これからですよー!」
という助産師さんの声が聞こえ、スマホの画面に、分娩台の上で仰向けになる妻の姿が映し出された。妻はこちらを向いて笑顔を見せた。昨日、あんなに弱気で泣いていたのに、知らぬ間に再起しており、いつもの頼もしい妻が蘇っていた。気高く、神々しく見えた。病院の先生や助産師さんに囲まれた妻、その場に流れる「やってやるぞ感」を一瞬で感じとることができた。そして、ぼくはこのまま硬直したようにスマホの画面に釘付けになり、その中で起こる決定的瞬間をこれから目の当たりにしていくのだと悟った。

妻が、今まで聞いたこともない叫び声、悲鳴をあげる。助産師さんたちのかけ声に合わせ、息を吐き、吸い、いきむ。見たことのない光景、お産のクライマックス、人が誕生する瞬間に、いま居合わせているという感覚が鳥肌を立てた。

「もう出るよ!もう出てくるよ!」

絶叫、と呼ぶにふさわしい、前代未聞の声を上げた妻が最後の踏ん張りを見せた時、間違いなく「うぶごえ」に似た泣き声がした。

スマホの画面にはなにも写っていないけど、確かに泣き声が聞こえる。もしかして?と思った瞬間、ついに画面の中に赤ん坊の姿が現れた。助産師さんに抱えられたその体は、妻の胸の上にノソっと置かれ、小さくうずくまりながら泣き続けた。

無事に娘が誕生した。
妻への感謝の気持ちと、娘へのようこそという気持ちで胸がいっぱいになった。


これからはじまる

今日、ぼくは父になった。娘の重みも匂いも感じられていない自分は、まだ実感は少ない。でも、あと4日も経てば、一緒に暮らす生活が始まる。もう元の生活には戻ることはない。これから一人の人間を育てていかなければならないのだ。

はじめてのことだ、予習した限りではこれから壮絶な毎日が続くらしい。うまくいかないこともあるだろう。疲労困憊で頭を抱えることもあるだろう。でも、そんな時は、娘の誕生を待ち続けた頃の気持ちや、今日のこの上ない喜びを思い出したい。そして、いつだって何事も楽しもうとする心持ちを忘れないようにしたい。面白がろうと新しい着眼点を探し続けるスタンスを忘れずにいたい。娘にもそういう人になって欲しいから。

好きな映画にこんなセリフがある。

何事も"初めて”は一度だけ
その一度は特別な体験
だから楽しんで!
『マダム・イン・ニューヨーク』

夫婦だけの気楽な生活が終わり、子育てをする新しい人生が始まった。
生んでくれた妻に、生まれてきてくれた娘に、心から感謝している。今日、ぼくはなんにもできなかったけど、ぼくにとって最高の、忘れられない1日だった。

明日からの”初めて”だらけの特別な日々が、もう既に待ち遠しい。家族みんなでその"初めて"を楽しんでいけたらと思う。

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