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当たり前だと思ってたものが思い込みだったこと

こんにちは、SiN(シン)です。

私は幼少期、親から「社会の目」というもので、
色々と制限を書けられてきました。

スマホの購入も
「◯◯ちゃん(親戚の少し上のお姉ちゃん)は
まだ持ってないから」とか、
美容師になりたくても
「大学出た方がいい、専門は良くない」とか。

そういったもので私はいつの間にか、
親になにか伝えたい!という気持ちも
「きっと否定される、批判される」という
思い込みがありました。

ただ、去年末から母への気持ちが
少しずつ変わっており…

その記事はこちら⬇

母に別件で電話をしたんです。
母の定年後の仕事について。

私自身パートを始めたばかりで、
今までやったことのない業種に飛び込んだことで
まだ慣れていない部分もあるのですが。

60歳過ぎに今までやったことのない仕事に
つくのは思っている以上に大変だと
伝えようと。

話していくうちに私自身の話になって、
母に話していくなかで母が言った言葉

「合わないなら辞めればいいじゃん」
「そんなので続けててももったいないでしょ、時間が」
「嫌々仕事に来るほうが教える人も辛いと思うよ」と。

あんなに否定してきた母が、
今は反対で背中を教えてもらえるとは思わず、
涙が止まらず。

社会からの目というものを気にする母からの
言葉で苦しんできたからこそ、
社会の目なんか気にしなくていいという
母からの言葉は、なんとも言えない嬉しさが。

やっと見てくれた、私自身を。
甘えではないと許してくれる母がいる。
という思いと同時に、
母はすでにあの時と違う母だったのだと。

母=批判する人、否定するのが当たり前
と思い込んでいた。
そう思い込んでいてばかりで、
母が変わるかもとは考えてもいなかった。

人は変わるものとあれ程にも世の中に出てくる言葉が
あるにも関わらず。
母は変わらないという思い込み。

思い込みってこんなふうに自分の考えを
がんじがらめにして、閉じ込めてしまうもの。
いや、怖い怖い(笑)

実はこの母との会話で今までの想いを伝えました。
「美容師免許を取らせてもらったのに、
結局続けられてなくて申し訳ない」
「1ヶ月も続けられないのは
社会不適合者なのかも知れない」
「こんなふうに話せるのが怖かった」と。

どの言葉にも母は笑いながら、
そんなふうに思ってないわよ、と。

ずっとこう言ったらこう言われる、と
実際母に話もせず勝手に自分の中だけで
変わっていない母と話して、
勝手に心の距離をおいていたんですよね。

だから、これからは思っていることに対して
「それ本当?」と疑ってみる。
これを大事にしてみようと思っています。

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