見出し画像

三つの領域:変えられないことにエネルギーを注ぎ、疲れてしまわないために

日々の生活を送る上で、私たちはエネルギーを使っています。

仕事に家事、子育てなど日々奮闘しておられる方もいらっしゃると思います。
無限に思えるほどにエネルギーが必要な状態に陥り、ついには限界を超えて疲弊してしまう方も中にはおられるのではないでしょうか。


そんな時に大事なことは、無駄なことにエネルギーを使わず必要なことに集中させることです。

そのために大事な考え方について今回は書いていきたいと思います。

新しい視点について知ることで思考がシンプルになり、日々のエネルギー消耗が大幅に減る方がいらっしゃるかもしれません。

短いまとめ
・エネルギー管理のための視点:
日常生活でのエネルギー使い方を「自分の領域」「他人の領域」「自然の領域」の三つの領域に分けて考える。
・コントロール可能な範囲について:自分にコントロールできるのは「自分の領域」だけなので、ここにエネルギーを集中させると良い。
・過剰な労力を避ける:「他人の領域」と「自然の領域」は本質的にコントロール不能なため、変えようとすると無限の労力が必要になり、いずれ疲弊してしまう。


この世界を三つの領域に分けて理解する。

消費エネルギーの効率化を図るために、便宜的にこの世界を三つの領域に分けてみようと思います。

その三つとは、自分の領域、他人の領域、そして自然の領域です。

このうち、自分のコントロールが効く部分は自分に関することのうちのごく一部です。

他の部分は自分にはどうしようもないことであるはずなのに、私たちはそのことを忘れて時に奮闘してしまいます。


三つの領域のイメージ


理解のために極端な例になってしまいますが、天気のことを例にして、考えてみようと思います。

もし明日雨が降ってしまうのを変えたいとしたらあなたはどうするでしょうか。

そこまで晴れを切望することはないかもしれませんが、明日雨になることが自分にとって至極大事で、自分の感情や生活すべてに影響のあることだと考えてみてください。

私だったらの話になりますが、もし明日どうしても雨になってほしくないとしたら、てるてる坊主を作るのは当然として、古今東西の様々な雨乞いの儀式をするかもしれませんし、塵やほこりが雲の核になることを調べて空気中に散布することを考えるかもしれません。

できるだけ湿度をあげるために水を撒くことを考えるかもしれません。


さて、そんなことをしている私を見て、周囲の人はこんな風に思うのではないのでしょうか?

「そんなに頑張っても天気を変えることはできないよ」

どうにかして天気を変えようと頑張るほど、私はエネルギーを使い疲弊してしまうでしょう。

これがたった一日であれば良いですが、この状態が毎日続けば、決して成就できない事象のために私はいずれ倒れてしまいます。


理解のために極端な例を示しましたが、私たちは気づかないうちに「変えられないことを変えようとして奮闘し続ける」という行動をとってしまっていることが多いです。

三つの領域の話に戻り、改めて考えてみましょう。


自然の領域

先ほどの例にあるように自然の領域の話は理解しやすいと思います。

もちろん爆弾を投下して雨を降らせたり、ミサイルで竜巻を消したりと壮大な実験が行われることもあるのかもしれませんが、個人レベルの話だと考えてください。

天候や地震など自然現象の脅威にさらされると私たちは被害を受けます。
それが悲しい結果を引き起こすこともあるため割り切ることが難しい場合もあると思いますが、大抵の場合、起きてしまったことはどうしようもないと考えることが多いのではないでしょうか。

私たちは自分たちのコントロールを超えた現象になすがままになるしかありません。


他人の領域

他人の領域についても自然の領域と同じことが言えます。

他人という言葉を使うと少し冷たく聞こえてしましますが、自分以外のすべての人のことです。
家族や子供、恋人などすべての人のことをここでは一旦「他人」としています。

相手が家族であっても、その思考や価値観は彼ら自身が持っているものです。
それを私たち自身が変えることは本質的には不可能なことです。


しかし、私たちはしばしばそれを変えようと行動に出てしまいます。
改めて考えると、誰かの考えや行動が変わるのは、その人自身が変わることを決意した時です。
誰かから教わったことを受け入れた時、人は初めて自分の意志で変化を選択します。

もちろん、私たちの方から相手に考えを変えるよう促したり説得したりすることは可能ですが、最終的な判断を下すのはその人自身です。


それにもかかわらず、私たちはしばしば他人の変わらない考えや感情に腹を立て、それを変えようと奮闘してしまいます。
しかし、これは本質的には天気や地震を操ろうとする行動に似ており、コントロールできない事柄に力を注ぐことに他なりません。

私たちの方が正しいこともあると思いますし、本当に変えた方が良いことも中にはあるとは思いますが、意外と自分の利益のために相手を動かそうとしていることも多いのではないでしょうか。

世の中に良い欲望と悪い欲望があるとした時、自分がいま抱いているものがどちらなのか決めることはなかなか難しいのではないかと私は思っています。

特に疲労が溜まっている時や感情的になっている時には、自分の欲望を誰かにぶつけてしまいやすく、天候と格闘するような不毛な行動に出てしまうことが多いように思います。

まずは、一旦、他人の領域に属することを変えようとすることを止め、自分のエネルギーを回復することをお勧めします。

そして、元気になった時に改めて、相手の視点に立って考えてみるのが良いのではないでしょうか。


自分の領域

自分の領域ついては難しい問題があります。

冒頭に出したイメージ図をもう一度貼らせていただきます。

この図で私は自分の領域を囲う線を点線にしてみました。

それは、通常私たちが「自分」と思うものの中に自分でコントロールできる部分とコントロールができない部分(自然の領域)が混在していると思ったからです。


私が自分の中でコントロールできると思うものは、判断や努力、欲望、嫌悪などの思考に関することです。

反対に言うと、それ以外のものは自分にはどうしようもないと思っていた方がエネルギーを消耗している時には健全かもしれないと考えています。

例えば自分の顔や生まれ、体格などはどうしようもないことの筆頭ですし、私は体調や感情についてもコントロール不能だと考えることにしています。


体調について

たしかに適切な食事をしたり、薬を飲んだり、運動をしていくことによって自分の体調を調整することは可能かもしれません。

ですが、現代の科学技術ではそれを完璧にコントロールすることはできません。

適切だと思っていた対処をしていても調子が悪化することは多いですし、ある時には効果的だった方法が別の場合には害を及ぼすこともあります。

栄養価の高い食事をすることやしっかり睡眠をとることは自分で制御できる行動ですが、その結果体調がどう変化するのかということは基本的に自然の領域に属することだと考えた方が健全です。

それが体調の悪い時ならなおさらで、元気な人だったら制御できているように見えることも調子が悪ければその本質が顔を出し始めます。


私は体調が悪く、苦しい時間が長かったので分かるのですが、辛い時ほど性急で強引な方法を用い、自分の手にあった安定を取り戻そうとしてしまいます。

ですが、それは元から私たちの手になかったと考えた方が心は平穏になります。

何か対処をするとしても、あくまで明日晴れるのを祈って、てるてる坊主を作る時のような気持ちでやれば、落胆は少ないですし、功を奏した時の嬉しさもひとしおです。


改めて他人の領域について

さて、ここまで話をしてきましたが、最後に他人の領域に関するもう一つ大事な部分に関して書かせてください。

それは結局、他人の悪は防げないということです。

私たちがコントロールできるのは自分に属するもののうちの一部の領域だけだと説明してきました。

ということは、それ以外のものは自分にはどうしようもできません。

例えば、自分の周囲の人が自分のことを悪く言ったり、よくない評価をつけることを私たちは避けることができません。
日々誠実に過ごしたり、丁寧に人と対することを意識することは可能ですが、それを受け取る側の人を変えることはできないのです。


自分の思い通りに動いてくれない人や、自分のことを良く言ってくれない人のことをどうにかしようと奮闘していたりしませんか?

その行動は、地震が発生するのをどうにか努力で抑えようとするのに似ていて、なかなか結果に結びつかない行動になります。

そしてそうすることにエネルギーを費やしていると私たちはいずれ疲弊し、最後には体調を崩したり、心に傷を負ってしまう結果となってしまいます。

そうなる前に、自分にできることに集中し、時にはゆっくり休むことが必要だと私は考えています。


まとめ

このnoteでは、日常生活で使うエネルギーの管理と効率化について説明しました。

具体的には、私たちの世界を「自分の領域」「他人の領域」「自然の領域」の三つに分け、それぞれについてどのようにエネルギーを使うべきかを解説しています。

自然の領域は、天気や地震など自然現象を含みます。これらは私たちのコントロールを超えるものであり、ここにエネルギーを使うことは効果的ではありません。

他人の領域は、私たちのコントロールを超える他者の行動や考えです。家族や友人でも、その人たちの思考や価値観を変えることは本質的に不可能です。ここにエネルギーを費やすことは、結果を出すことが難しく、しばしばエネルギーの無駄遣いになり得ます。

自分の領域は、私たちがコントロールできる事柄です。判断や努力、欲望、嫌悪などの思考に関することが含まれます。ここにエネルギーを集中させることが推奨されます。

もし、自然や他人の領域に無理に介入してしまうと私たちはエネルギーを浪費し、疲弊の原因となってしまいます。

これらは健康や幸福を損なうことになりますので、自分が制御できる部分だけに注力していくことで生活は変わっていくはずです。

三つの領域のことを念頭に日々の生活におけるエネルギーの使い方を効率化すれば、より良いバランスで生きていけるようになるのではないかと私は考えています。


参考情報

世界の領域を三つに分けるというアイデアを私が最初に学んだのは以下の書籍です。

この書籍では、確か「自分の領域」「他人の領域」「神の領域」という分け方だったのではないかと記憶しています。

「神の領域」という考えに馴染めなかったのですが、それを「自然の領域」と読み替えることで理解できるようになりました。

ただ、私の読み方の問題かもしれないですが、このワークのやりかたに圧を感じてしまい、読書当時の私は少し疲れを感じてしまいました。


その後、今回のnoteに書いた内容の根幹となる考えを学んだのはエピクテトスの「人生談義」という本になります。

エピクテトスは古代ローマの哲学者で、ストア派を代表する思想家の一人です。
哲学と言うと身構えてしまう方もいらっしゃると思いますが、ここまでに書いて来た内容には彼の思想のエッセンスが入っていると思っています。

以下引用です。

物事のうちで、あるものはわれわれの力の及ぶものであり、あるものはわれわれの力のおよばないものである。
「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、われわれの働きによらないものは、われわれの力の及ばないものである。

だれも他人のしていることを妨げることはできないが、自分のことは妨げることができる。

『人生談義』エピクテトス、國方栄二訳、岩波文庫(改行は引用者による)


最後にストア派の本をもう一冊。
哲人皇帝として有名なマルクス・アウレリウス・アントニヌスの本からの引用です。

笑止千万なことには、人間は自分の悪を避けない。ところがそれは可能なのだ。しかし他人の悪は避ける。ところがそれは不可能なのである。

『自省録』マルクス・アウレーリウス、神谷美恵子訳、岩波文庫


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?