自己受容の3つのレベル:結果、行動、存在
「自分を認めたい」
そう思っているのになかなかうまくいかないことはないでしょうか?
例えば失敗してしまった時、
「もともとうまくいかないと思っていたし⋯⋯」
「頑張ったんだからいいじゃん」
そんな風に考えて自分を言い聞かせてみても、なかなか心が晴れない。
そういう経験はないでしょうか?
そう感じる理由には様々なものがありますが、自己受容のレベルが適切でないために不満を抱え続けてしまうことがあります。
そこで、このnoteでは自己受容のレベル(深さ)に関する考えを説明しようと思います。
3つのレベル
自己受容にはレベルがあります。
それは結果、行動、存在という順番で深くなっていきます。
受容のレベルがずれているとき、私たちは不満を抱えてしまいます。
そのズレがもたらす作用は大きく、時には何もしなかった方が良いと感じるほど、不満が膨らむこともあります。
ズレているというのは例えば以下のような状態のことです。
行動を認めるべき場面で結果のみに目を向けてしまう
存在を認めるべきときに行動のみを評価してしまう
この説明では分かりにくいと思いますので、各レベルについて詳しく説明します。
結果レベルの受容
これは「良い結果だから素晴らしい」と自分を認める場合です。
例えばテストで良い点をとった時のことを考えてください。
「テストで100点を取った! 私やるじゃん!」
これが結果レベルで自分を受容している状態で、自己受容の条件が結果に付随しています。
このように思えることは素晴らしいのですが、結果だけで自分の価値を決めるのが危険なのはお分かりいただけると思います。
人はいつも良い結果を得られるわけではないですし、常に前進できるわけではありません。
もし悪い結果になってしまったとき、自己否定することになってしまいますので、気分が晴れにくくなり、結果を求めるために強いストレスを自分にかけ続けることになってしまいます。
行動レベルの受容
これは「行動したから素晴らしい」ということです。
先ほどと同じテストの例で見てみましょう。
「テストは60点だった。良い結果ではないけれど頑張った」
これが行動レベルで自分を受容している状態で、自己受容の条件が行動に付随しています。
結果での評価の場合よりもハードルが下がるため、自分を認めやすくなります。
この場合は、良い結果のときだけ自分を認められるよりは健全ですが、行動や努力ができない状態になった時に辛い気持ちになってしまうことが多いです。
例えば風邪を引いてしまって行動できなくなった時に辛い気持ちになってしまうと思います。
私は以前、行動で自分を認められることはある程度できていました。
ですが、体調を崩してベッドから出られなくなった時、行動(努力)ができないわけですから非常につらい気持ちになってしまいました。
そういう場合に大事になるのが存在レベルで自分を認めるということになります。
存在レベルの受容
これは「存在しているだけで素晴らしい」という状態です。
先ほどと同じテストの例で見てみましょう。
「テストを受けに行った自分はえらい!」
これが存在レベルで自分を受容している状態です。
これまでの場合では自分を認めるのに様々な条件を課していました。
ですが、このレベルになると、無条件で自分を認められるようになります。
こう思えるようになることは非常に強力です。
良い結果でも悪い結果でも、努力や行動ができなくても自分を認められるため、どんな時も心が穏やかになります。
もしかしたらこの話を聞いて、「それって当然じゃない?」と思う方もいらっしゃると思います。
ですが、いつのまにか無意識のパターンとして結果や行動で自己の価値を決めてしまうことが癖になっている人が意外に多いのです。
特に自分が苦手なものや避けているものに接するときは結果で自分を判断しようとしていることが多いです。
また、これまでの人生で自分を存在で認めるパターンをほとんど経験しておらず全く慣れていないという方もいらっしゃるかもしれません。
各レベルについて説明しましたので、改めて言わせてください。
何かがあって自分が落ち込んでいると感じたとき、できるだけ深いレベルで自分を認めるようにしてみてください。
存在レベルで認めるのが良いと思いますが、慣れないと難しい場合もあります。
その場合は行動レベルで認めてみるのが良いかもしれません。
その場に行ったこと。努力をしたこと。勇気を出したこと。
良い結果につながらなかったとしても、それ自体に価値のあることだと私は思います。
そして、もし可能であればその場にいた自分そのものを認めてあげてみてください。
それができない状態というのは「自分はいない方が良かった」と無意識に考えてしまっていることになるので、とてもつらい気持ちになってしまうのです。
他者の受容
さて、ここまでは自己の受容について話をして来ましたが、他者を認める場合にもこの方法は使えます。
ここまでは理解しにくい部分があったかもしれませんが、他者の例を考えるとよりイメージしやすくなるはずです。
恋人と誕生日を過ごす場合のことを例に考えてみたいと思います。
あなたは今日誕生日で、恋人と一日過ごしました。
以下の3つの考えが浮かびますが、どれが他者を深く受容しているように見えるでしょうか?
・良いプレゼントをもらって嬉しかったなぁ。
・自分のためにプレゼントを用意してくれて嬉しかったなぁ。
・同じ時間を過ごすことができて嬉しかったなぁ。
私は一番下の喜びを感じる場合に、自分がその人のことを存在ごと受け入れられていると実感すると思います。
「そばにいてくれて嬉しい」という言葉が嬉しいのも、存在ごと受け入れられていると分かるからではないでしょうか。
少しロマンティックになってしまったかもしれませんが、他者を受容するときにもレベルがあり、結果、行動、存在の順に深さが増していきます。
もし誰かと過ごす場合には、このことを考えてみてください。
気を許している相手と過ごせるのであれば、美味しい料理を食べなくても嬉しい気持ちになるはずです。
まとめ
自己受容の3つのレベル
結果レベルの受容:成果を基に自分を評価すること。これは自己価値を外部の成果に依存させるため、不安定です。
行動レベルの受容:努力や行動を基に自分を評価すること。このレベルでは、結果に関わらず行動した事実を認めることで自己を評価しますが、行動できない場合には精神的に不安定になってしまう可能性があります。
存在レベルの受容:存在すること自体に価値があると自分を認めること。条件なしで自己を受け入れるため、最も安定した自己受容の形です。
また自己受容だけでなく、他者を受容する際にもこれらのレベルを適用することができますので普段の生活で意識してみてください。
参考情報
今回説明した3つのレベルについて私が学んだのは「ペップトーク」という書籍です。
確かこの本では、存在→行動(努力)と順に承認し、最後に求める結果をイメージさせて激励することで、チームの指揮をあげるという内容が書かれていたという記憶があります(間違っていたらすいません)。
他者をやる気にさせられるんだったら、自分にも使えるじゃないかということで、自分に対するペップトークを書いて読んでみたというのが今回の内容のスタートです。
何度かやっているうちに、「私は自分の存在的価値を認めるのが苦手だ」と気づくようになり、今回のような分析をするきっかけとなりました。
また、結果が怖い時や行動(努力)ができなくなって苦しい時には「存在するだけで価値があるんだ」と自分を言い聞かせようとしたこともあります。
もし参考になる方がいらっしゃれば幸いです。
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