『聖書と私』言葉が好きと言えど。
マタイによる福音書の第四章を読んで。
皆さん、断食ってした事ありますか?
最近、ダイエット法や美容法として、ファスティングが流行っていたりしますよね。
少しでも健康な身体になるため、少しでも美しい身体になるため、そんな目的で断食をする人も少し増えてきている気がします。
また、宗教の世界ではイスラム教のラマダーンなどが有名でしょうか。(高校とかの地理で習う気がします)
調べてみると、自身の信仰心を清めたり神様への献身的な行動としての意味があるそうです。
私が聖書を学ぶ中で聞いた断食もこれに近く、何かを得るための「条件」として行なうと聞きました。
風邪を引いてもインフルエンザにかかっても夏バテしても食欲だけは減らない私は、断食なんて考えられない人間でしたし、教会で強制させられた事は一度もありません。
ですが、一度だけ、イエス様が立てた条件がいかほどのものだったのかを知りたくて、やってみようと思った事があります。
ただ、イエス様が立てた四十日四十夜というのはとてもとても( 乂˙-˙)!!!という小心者だったため、一日の断食と、三日の節食(一日一食)の組み合わせで実施しました。
あ、なんか実施しましたと言うと軽々しいですが、食いしん坊の私としてはかなりの決断でした。
やってみて分かったのは、極度の眠気が襲ってくる事と、節食中のたった一度の食事を何にしようかと考えてばかりいる事、ようやくありついたご飯はたらふくかき込んでしまう事の3つでした。
おいいい("▔□▔)/
と、思うかもしれませんが、恥ずかしながら本当にそうだったんです。
人が生きてく上で必要な事なんだなと、感じずにはいられませんでした。
それが四十日四十夜。。。
途方もない偉業ですよね。
そして、そんな状況で「あなたが神の子なら目の前の石をパンに変えてみろ」とか言われたら普通、悪魔あああ(;__;)ってなりますよね。
でも、イエス様はこう返すんですよ。
「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言(ことば)で生きるものである』と書いてある」
って。
信じられますか?
言えますかそんな事、普通。
いくら言葉が好きで言葉にたくさん救われてきた私でも、そんな言葉、出てこないと思います。
でも私はそれが、神の子だと信じられ、2000年経った今も人々が信じる存在たる所以だと思うんですよね。
だって、聖霊によって身ごもったとされた以外は普通に人間なんですよ、私たちと同じ。
一日が過ぎれば私たちと同じようにお腹が空くし、一ヶ月が経てば私たちと同じように髪が伸びるし、一年が経てば私たちと同じように歳を取る、人間なんです。
だけど、苦しさの中で悪魔に試されてもなお失われないその精神が、神様を人々に見せてきたんじゃないでしょうか。
そんな人だから、「わたしについてきなさい」と言われた漁師が、仕事も家族も置いて、一生を捧げる覚悟でついていったんじゃないでしょうか。
そんな人だから、私も惹かれたんだと思います。
断食の話は、聖書には「四十日四十夜、断食をし、そののち空腹になられた」としか記されていませんが、想像もできない壮絶な四十日間だったと思いますし、「空腹」なんて言葉じゃ表しきれない苦しさがあったと思います。
聖書の一文一文に込められた想いや背景を、少しでも正確に汲み取っていきたいなと思います。