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"マイストーリー2"〜結婚半年でまさかの・・・妊活・子育て・専業主婦時代〜
【結婚生活で人生変わった】
30代から第2ステージ。
結婚生活は保健センターで働きながら、共働きでスタート。
みんなに祝福されて、新婚旅行もモルディブまで行って楽しかった〜
私は定年まで働く気だったし、両親も近くにいて欲しかったから、結婚後もここで生活していくのか、定住するのか聞いたりしていました(旦那さんの実家は京都で心配していたみたい)
そして結婚。
旦那の仕事が忙しすぎて、結婚式打ち合わせ中も眠っている・・・耳に入っていない。全部私。
新居に引っ越し、一緒に暮らしても、全然楽しくないの。
帰ってきてもほとんど話もしないし、旦那が仕事でいつ呼ばれるかわからないドキドキもあり、一人でいるよりも不安で孤独な生活。
記憶に封印しているからか、なんて言われたかは覚えていないけれど、きついこと言われて一人台所の隅で泣いた記憶が・・・。
もうね、私も苦しかったけれど、
旦那の精神状態が壊れるのが心配で、
もっともっとひどくなるんじゃないかと・・・
そしてそして
仕事辞めた方がいいと言う決断をしたのです。
まさかの結婚半年で、転職。
転勤族になり、車で1時間半のところに単身赴任になるのでした。
週末婚の始まり。
これからずっと転勤生活になるし、子供が欲しかった私は、半年後お仕事を辞めたのです。
我が家の収入は激減。すぐにでもマイホームを建てられると思って見て回っていたのに、築30年以上の社宅へ。ガスのお風呂が種火をつけてカチカチとお風呂を沸かしたり、かび臭い社宅住まいへお引っ越しです。
【妊活 出産までドラマがありますね】
そして妊活スタート。
基礎体温は安定している。
なかなかできなくて・・・、2年2ヶ月後
保健指導のお仕事の話をいただき、働く前に病院で検査しようと病院受診をしたのでした。
ホルモンなど検査をして、子宮卵管造影検査もして、
検査後すぐのゴールデン期間に妊娠したのでした。
職場には妊活の話も、妊娠した話もして、それでもいいよと言ってもらえていて楽しみに。
胎嚢は確認され妊娠は確定したけれど、
赤ちゃんが確認できず・・・
はじめての妊娠は繋留流産となりました。
しかも結果を聞いたのは、初出勤の前日。
妊娠したことは伝えていたので、
この話からしなくてはならない辛さが(/ _ ; )
仕事を覚える慣れると言うのがあったので乗り切って行きました。
いろんなドラマが他にもありました。
アメブロに妊活からの記事書いていますので気になる方ご覧いただけたらと思います。https://ameblo.jp/komamine/
そして、また妊活スタート。
半年後、2度目の妊娠をしました。
仕事中はつわりなく休むこともなく、帰宅後具合が悪くなると言う生活で1年間働き、専業主婦へ戻ったのでした。
たくさん話しかけようとか、名前を決めて、お洋服を買って、何をして〜
と考えていたけれど、
1ヶ月後、妊娠32週で切迫早産で入院になるのでした・・・。
NSTのちゃんと整っている病院だったから安心だけれど、
何が辛かったかって、
お腹の中の赤ちゃんに話しかけられない。
周りはカーテンで区切られていて、とっても静かだったから、
声に出すと言うことがほぼほぼできない。
話しかけたいけれどできない・・・
周りの目が気になっていたのですよね。
そして、36週と2日で退院し、
36週と6日で出産になったのでした。
【子育てスタート】
この時旦那は出張泊まりで、両親に泊まりに来てもらっていてよかった。
夜中に陣痛始まって、あっという間に間隔短くなり、急いで病院行って、
陣痛から3時間で元気に産まれたのでした。
ちょうど旦那から電話が来て、産声が聴けたと言うエピソードも♡
カンガルーケアもしたい、早く授乳したいと言う希望は叶わず、
2700gもあって、母子ともに元気で、明日で37週なのに、
規則だと言うことで、新生児室へ連れられて行ったのでした。
あー悲しい。
そこから母乳との戦い。陥没乳頭もあったのと、あひる口ができなくてうまく吸えない。
痛いし、切れるし、母乳がいいと思って頑張ったけれど、混合栄養でスタートしたのでした。
桶谷式母乳相談室に通って、
離乳食が始まってからは、母乳と離乳食で行けました。
あー頑張った。
1ヶ月くらいで、顔に乳児湿疹らしきものが出てきて、赤くなったり、痒そうにしたり、
100日の時は髪の毛もどんどん抜けていくし、
乳児湿疹が治ると言われる時期を過ぎても一向に良くならず・・・
かわいい女の子を夫婦二人でバリカンで丸坊主にしたり( ; ; )
それでもよくならず、
5ヶ月になる前にアレルギー検査をしてもらいました。
そこでは、見事にすべて陰性。
喜ばしいことなんだけど、原因がわからないから、違う病気を心配したりしちゃうものなんですよね。
離乳食も始まり、制限なく食べさせたけれど、なんとなく卵が怪しい、タラがかゆくなる、と言うものはあったので、控えたり。
でも、かゆみや赤みは変わらずで、
1歳の誕生日にアレルギー検査をしたのでした。
すると、卵白、小麦、ごま、エビ、カニが陽性・・・
ダニもハウスダストも出てきて・・・
アレルギっ子確定されたのでした。
そこから、除去食開始すると、
お肌は見る見るきれいになったのです。
ひどくはないけれど、保湿はかかされず。
今はお肌も綺麗に、給食も制限なく食べられるようになっています。
アレルギー除去食を通じて、小麦、卵を使わない食生活を家族でしてきたら、シンプル食でいいこと、手間をかけずに子どもの食事はいいこと、それが健康につながること、がわかったのです。
大変だねーと言われる除去食も、大丈夫でした。
それが、今伝えているらくらくごはんにつながっています。
このペースで描くと中々終わらないマイストーリー・・・
子育てって日々ドラマがありますよね。
すっ飛ばしてと行きたいところですが、たくさん悩んできたことが誰かの役に立ちことがあるかもしれないので、書いてみます。
腹這いにしたら、飛行機みたいになっちゃって、苦しそうに泣き、全然できない。
首座りも遅く5ヶ月過ぎ。
寝返りも遅かったし、ハイハイもしないから、ほとんど動かない。
みんなちょろちょろする時期に、そこにいる娘。
見ている私は楽だけれど・・・
流石に心配になります。
保健師さんの友達には足首が硬いねと言われ、べびぃケアの本紹介してもらったり、札幌の助産院を教えてもらい、5時間くらいかけて施術してもらいに行ったのでした。
それが10ヶ月の時。
そしてなんと、帰って、その日のうちにハイハイしたと言う奇跡がおきましたよ。
びっくりです。
役場の運動発達相談では体の過敏さはあるとの判断だったけれど、スルーし。
1歳で転勤、引越しです。
そのあとは運動発達は順調に進み1歳1ヶ月で歩きました。
二人目が早く欲しかった私は、1歳3ヶ月の時に桶谷式の断乳経験。
泣くし、おっぱいはすごいことになるし、大変だったけれど、
精神的成長は凄かったです。
(二人目は2歳の誕生日まで飲ませて、全然違う断乳体験しました)
その後、長くかかると思っていた妊活も、すぐ二人目授かりました。
妊娠6ヶ月なった頃から子宮頸管が短いと言われ、
一人目切迫早産で入院していたのもあり、安静生活スタート。
まだ1歳半の長女を抱っこしてあげられなかったんです・・・
そのあと順調に経過し、陣痛が来てから、1時間40分で次女誕生です。
なんともお腹に向かって言っていたようにするっぽんと。
旦那も初めて立ち合いでき、
「出産て思っていたより楽なんだね」と・・・
えーですよ。ありがとうとかお疲れ様とかそんなのないんかい・・・
とっても安産だけど、出産は痛いのは変わらないのにね。
時間は短いから、体は楽だけれどさ。
次の日は長女も会いに来てくれて、祖母たちととってもいい子に過ごしてくれていました。
でも、ここからまた難関が待ち構えていました。
子育て編2話で終わりと思ったけれどとっても長くなったので、マイストーリー3に続きます。最後までお読み頂きありがとうございます♡
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