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コミュニティを作るなら、気持ちのいい「卒業」も作りたいと思った。


あずさんとゆうじさんの『「コミュニティ」づくりの教科書』を拝読しました。


何度もぐるぐる読みながらぐるぐる考えていたのは、自分の人生はコミュニティに入って、いつか必ず卒業して、新しいコミュニティに入って…の連続だったなあ、ということ。その卒業のたびに、いつも寂しさや嬉しさでほろりとしていたなあ、と思い返しました。

物心ついて最初に所属したコミュニティは小学校でした。

何もわからず当たり前に入学した小学校では、友達ができ、いろいろなことを学び、みんなそれぞれ、勉強をがんばったり、部活をしたり、遊んだりと、夢中になるものは違っていました。ルールはあったけど、誰と何をやっても自由でした。学校は、まさにコミュニティ。そして、卒業式では、若干12歳だったけど鼻の奥がツンとしたのを覚えています。

中学校、高校、生まれ育った田舎の町、大学のサークルや研究室、辞めた会社・・・。

そのすべてに卒業が用意されていて、そのたびに切なさがこみ上げ、卒業するときは優しい仲間たちがエールをくれて、そこを離れる実感が湧いたときにようやく、そのコミュニティを深く愛した気がします。

僕は、「もしコミュニティを作るなら、一番やっちゃいけないのは、去りにくいようにすること」だと思っています。

ビジネスコミュニティを拡大するために人が出ていかないようにしようと考えたり、運営側が一生懸命頑張って参加者をコントロールしようとしたり…、その時点で、「共同体」とは呼べないのではないでしょうか。(そもそも、始まりとか終わりとか、拡大とか、コミュニティという言葉すら意識していない人には他愛のない話ではありますが。)

僕は今、存在をほとんど公にしないで、アイデアを考えて遊ぶ秘密結社のようなものをやっています。それもコミュニティと呼ぶのなら、そうかもしれません。そこは、最初に期間限定であることを宣言し、毎年1年で区切って一旦解散をしています。そして次の年は新プロジェクトとして立ち上げ直し、もちろんまた続けたいと言われたら嬉しいです。名前が変わろうと、内容が刷新されようと、アイデアを考えるのが好きな人が集まるのは同じ。メンバーもだいたい同じ。アイデアが好きな人が集まって楽しむということは変わりません。そしていつかは、形としては解散して、再開することなく終わると思います。それでも、また集まるんじゃないかな、と。

僕は(この本に書いていたわけではないですが)、コミュニティには出ていく人の卒業式にあたるものを作った方がいいのではないかと改めて思いました。「コミュニティに、期限を設けるって、それコミュニティじゃなくない?」と言われるかもしれません。でも、卒業生こそが、その場所をより一層愛して、関わり続けてくれる存在になります。卒業生が、別の場所でさらに飛躍してくれて、幸せになってくれるための通り道になるのが、コミュニティの役割です。人は、コミュニティを自由に移動しながら、幸せな人生を送ります。

前職の会社が、辞めてしまった僕をOBと呼んでくれて、一緒に仕事してくれていることがまさにそうで、これには感謝と愛情しかありません。その会社内だけではなく、関わる全てを含めて、素晴らしいコミュニティになっています。「出ていくな」と言っても、「もう来るな」と言っても、そのコミュニティは弱くなっていってしまいます。卒業生が成長して、ときどき新しい情報を持って遊びに来るのは、お互いにすごく嬉しくて、プラスになります。

僕が生まれ育った田舎の町も、僕が帰りたいと思ったら、いつでも優しく受け入れてくれます。それは一応、在り続ける共同体です。でも、現実的に永続は難しいことです。その町から次第に人は減っていき、建て替えられない建物も目立っていきます。もしかしたら、自分の親や、町の関係者は、都会に出ていく僕らを引き止めたかったかもしれません。それでも、「がんばれ、大きくなれ!」と応援して送り出してくれました。「卒業」の設計と演出をしてくれていたのです。


引き留めようとするほど、相手の気持ちは離れていき、手放してもいいと思うものほど何度でも戻ってきます。


たとえば、

・運営側から、ずっと来続けてくれよ~というオーラが漏れ出てしまっているコミュニティ

・なんかみんなで、新しく入ってきた人を去りがたくするコミュニティ

・月額会費があって、去ったら悪いかも…とか、去ったらもう関わっちゃいけない雰囲気が生まれてしまっているコミュニティ


そういうのが一番、「コミュニティ(共同体)」として、いびつだと思います。

でも、自分が用意したコミュニティから去られたら、ちょっぴり傷ついてしまうのも、人の性として仕方がありません。そして、コミュニティを半永続的に続けようと思うなら、人生賭けるほどの覚悟が必要です。大変です。

だから、特に初めてコミュニティを作ろうとする人などは、最初から宣言して期間限定にして、参加者みんなで、その1年をどう楽しむかを考えてみてはどうでしょう。コミュニティマネジメントという言葉があるなら、参加者の卒業式から逆算して考えてみてはどうでしょう。希望に満ちてそこを旅立ち、新しい成長をし、ときどき懐かしく顔を出したいという気持ちが残るような卒業式があるという前提。それは、個人とコミュニティの両方をさらに強くするための仕組みです。そこから卒業生との新しい関係が始まり、コミュニティが次のステージに進みます。解散した後にまた残りたいみんなで新しいことをやればいい。

企業で商品やサービスのファンコミュニティを作るなら尚更で、最初から運営側は短命な商品だと薄々気づいているのに、ずっと続きそうな雰囲気でコミュニティを始めてしまうのはNGです。コミュニティは、関わる人すべてのの人生の幸せと成長のためにあります。

「入った人の出て行き方」「出て行った人の戻り方」をちゃんと考えることが、よいコミュニティのつくり方なんじゃないかな、と思ったのがこの本を読んでまわりまわって考えたことです。あずさん、ゆうじさん、どうでしょう。僕はこのテーマについていつかより深くおしゃべりさせてもらえたら嬉しいなと思っています。


※あまり本の内容に触れなかったので、最後に、読んで特によかった部分の感想↓

ずっと関わり続けたくなるコミュニティの大前提は「コンテンツがいい」以外、何もありません。売れないものを売ろうとしてコミュニティを作ろうとしてもダメです。人をつなぐ媒体として何を置くか。例えば碁会所とか、居酒屋にずっと人がいて笑っているのは、ゲームや食べ物という普遍的コンテンツの力です。いいコンテンツを作れたら、そのコミュニティがつぶれても、人々は勝手に新しい場所を作って集まるはずです。そんな人のつながりと幸せを作るのがコミュニティの役割です。コンテンツより先にコミュニティをどうしようとか考えても、強いつながりは作れないんじゃないかなと思います。だから僕は結局、人を集めるとかそんなこと考える暇があったら、勝手に人が寄ってくる面白いコンテンツを必死で作ろうと思いました。それを再認識させてくれた本でした。ありがとうございました。


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