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文章を武器とするための鍛錬の痕跡

 noteで毎日のように投稿をはじめて、途中で短期間途切れた時期も含めると、2年近く、毎日投稿していることになります。

 たまに、昔の記事に「スキ」をつけてくださる方がおり、図らずも過去の記事を見返す機会があるのですが、さすがに2年以上前の記事とかになると、なんというか、記事がこなれていません。

 ただ、当時は、こなれていない記事でも、今よりも何倍も時間をかけて、記事を書いたのだろうなと思います。今でも生みの苦しみ的なことがなくはないですが、毎日書くことのハードルはだいぶ低くなっています。

 今は、自分の中の習慣として、一日過ごしている中で、知らず、自分が次に書きたいことを探し続けているんですよね。それでネタのストックが一日の間にもたまっていき、次の日の朝、時に余裕があれば前日の夜には何となく書くことができてしまいます。

 とはいえ、思いついたネタがすべて、記事として投稿されるわけではありません。ある程度、そのネタをもとに書き進めていても、途中で自分で飽きてしまうとか、何を伝えたいかわからないと思って、急にやる気がうせてしまう。それで、「作業中」の札を立てて、下書きに何となく置きっぱなしにして、次の記事に取り掛かり、そちらを投稿することが時々あります。

 また、記事として完成しても、より自分として投稿したいネタが後発で出てきて、先発の記事を押しのけてしまうこともあります。こうした完成品の下書きは、溜め記事的に使い、後でネタに乏しい時に連続投稿のネタとして使うことはありますが、だいたいは鮮度が落ちているので、大きく改変して使うことになります。

 この「鮮度」というのは、記事のタイムリー性というより、自分の中での関心領域から一時的にでも外れた状態にあり、投稿しても達成感を感じられない、今さら感のようなものでしょうか。

 こうやって書き続けていると、文才のようなものはなくとも、少なくとも自分の思いを文章に落とす力や、文章を武器として使いこなす力が、着実に上がっている、それは実感します。

 こうした文章力は、仕事においても生かされ、過去に同じような文章を書くにせよ、完コピは論外、同じ言い回しを何とかの一つ覚えのように使うことも基本的にしない、場面や状況の変化を考えずに同じ攻め手を使うのではなく、攻め手は小さな塊に分けてストックしておき、状況に応じて必要なパーツを取り出して、毎回オリジナルな攻め手を考える、これを完璧とはいかないまでも、相当程度意識して、できるようになります。

 下書き置き場には、過去の残骸が積みあがっていますが、これも文章の武器として使いこなす力をつけるための、鍛錬の痕跡と考えれば、愛おしいものかもしれません。

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