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発信はリアルで紡ぐ言語の質を高める

 昨日は母のところに週1回のフォローに行ってきました。

 買い物と料理、会食、僕はそのあとに昼寝をして、それで仕事に戻る、いつものパターンでしたが、それに加えて、昨今の政治に関する談議をしばらくしました。

 もともと、母は政治には関心があり、父が存命中から政治の話をしたくてウズウズしていましたが、父は政治には関心が薄く、話をしても深まらないため、不満に思っており、僕が家に立ち寄るときには、だいたい政治の話に付き合っていました。
 
 父が亡くなってから2年半近くになりますが、その間は、何気なく寄り添っていた父の喪失感と、その喪失感を埋めるため、何か動かなければという思いから、
引っ越しをしたい、家を売ってしまいたい、転居先も気に入らないので再び引っ越したい、きょうだい関係の昔のトラブルを蒸し返し、きょうだいとも疎遠になる、といったかたちで、たえず周囲を振り回している傾向が強く、僕などはなかなか参ってしまいましたが、
とにもかくにも、木曜日をデフォルトに週一のフォローに入るようになって、それで安定し、向けどころのないエネルギーも、何となく今をよりよく生きる方向に使うような気持ちになってきているようです。

 政治の話をするのは、久しぶりで、まだ、寂寥の心が自分の体内に毒を巡らせる要素は残っているものの、ようやく、外の世界を見る気持ちになってきたのかなと、感じる出来事でした。

 僕は、こうした発信の場を頂くことにより、以前に比べ、自分の頭の中を整理することができて、書くことによる新たな気づきも、多くなっていると実感しています。

 また、仕事をしていくうえでは、自分の所作の一つ一つを、メタ認知の引いたところから見るようになり、ネガティブな事象に対しても、プラスの意味づけをすることで、モチベーションを下げずに次の行動に移ることが可能になっています。

 また、リアルにおいて紡ぐ言語の質についても、既に整理された思考のストックが十分にあることにより、その場しのぎでの会話の打ち返しや振り込みはぐっと減り、ある程度「ため」を持ちながら、適宜投入できる、こうした技も会得しつつあります。
 もちろん、分野により強み、弱みはあるのですが、ゼロから付け焼刃ということはなくなりました。

 特に政治のところは、常に主要テーマとしてアンテナを高くしていることもあり、言語の質はそれなりに高いと思っています。
 政治が、個々の状況において部分最適の意思決定をするのは良いけれど、今は、政治家本人が生き残るためにどう凌ぐかというところに力が入り過ぎており、個人のライフサイクルよりも短い時間軸の中での行動と判断を余儀なくされている気がします。

 これは政治家の質が落ちたというより、国全体が共有してきた成長第一、経済優先の羅針盤を見失ったことで、国民がどうすべきかの指針を持てなくなっており、その時、その時の雰囲気で、決めがちになっている、それが政治をいよいよ、短い時間軸の行動に駆り立てている、そんな状況にあると感じており、こうしたことを、母との政治談議では主張しました。

 正直、この認識がどこまで的を射ているのか、自分でもよくわからないのですが、行動し発信する以上は、何らかのバックボーンが必要。今、母から会話で求めているのは、僕のそうしたバックボーンを提供することであり、同時に、会話において、お互い、痛いところを避けてやり取りするような不自然さがなくなり、話をした感を得ることができます。

 しばらく、こうした政治の構造談義のようなものは、母の中の思考を活性化させるためにも、続けていきたいですし、そのためには、自身の情報発信を継続し、言語の質を高めていく努力を続けていこうと思います。
 


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