「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」~少し大人な極上の鬼太郎世界~
監督、古賀豪 脚本、吉野弘幸 原作、水木しげる
※ネタバレあり
※ゴジラVSデストロイアのネタバレを含みます。ゴジラ-1.0にも少し触れます。
これまた非常に長くなってしまったので、冒頭に要約を置いておきます。
興味がありましたら全文お読みくださると嬉しいです。
【要約】
非常に好みで面白かったです。
鬼太郎とこういうおどろおどろしさは相性が良いに決まってる!
村の狂気もですし、「妻が探し物」という状況も不気味で、怪奇譚として面白かったです。えぐい話ですが、倫理的にはしっかりしていたと思います。
絵柄も原作寄りつつも現代風で好みです。
冒頭。「おかあさん……」この一言に鬼太郎の気持ちが詰まっていて、もう、切ないです。
あとはとにかく主人公二人が格好いい!
水木の「つけは払わねえとな」という台詞が好きです。
弱者やマイノリティを搾取して発展してきた日本。その業は自分も含む日本人全員で背負わなければならない。
正しいとか間違っているとかじゃない、それが水木の提示できる精いっぱいの償い。
そして、水木の払おうとした「つけ」を、ゲゲ郎が代わりに引き受けるの本当に熱い。幽霊族でありながら水木との友情によって、息子の未来に人のいる世界を選んでくれた。
狂骨の恨みや怒りを倒すのではなく成仏させるために受け止めていくのに感動しました。
ゴジラファンでもある私は、「ゴジラvsデストロイア」を思い出しました。あれも、愚かな人を捨てられないゴジラジュニアの人間への絆であり(またゴジラのジュニアへの愛であり)……。
ゴジラジュニアのお話は「ゴジラvsメカゴジラ」「ゴジラvsスペースゴジラ」「ゴジラvsデストロイア」を観てみてください。
ジュニアと鬼太郎の立ち位置って似てるよなと前から思っていたので、鬼太郎映画で同じテーマ性を扱ってくれたのがすごく嬉しいです。
このもらった猶予で、人間はどう変われるのか? どちらの映画もそれを問いかけてきます。
”人助けする鬼太郎はなぜ生まれたのか”を描いた、まさしく鬼太郎誕生秘話でした。
他のキャラクターたちも存在感がありました。みんな地獄で何かすがるものを見つけて生きてきたんだな……。
さよちゃん可愛い切ない。
エンディングからラストにはぐっときました。
母親の墓から這い出た赤ん坊。”抱きしめればゲゲゲの鬼太郎に””突き飛ばせば墓場鬼太郎に”と思うと感慨深い。
人間と妖怪・幽霊族。異なる種族同士が対立せず分かり合える未来を諦めない。そういう鬼太郎の世界が好きです。
それにしても、出生と母親に因縁のある場所に連れてきてもらうなんて、ねこ娘ったら、両親公認じゃん!
【前書き】
「ゴジラ-1.0(2回目)」と「ゲゲゲの謎 鬼太郎誕生」を観てきました。
ゴジラと鬼太郎を同日に映画館で観られる時代に生きる幸せを噛みしめています。
鬼太郎は原作漫画のいくつか、実写映画、アニメ1~3期・墓場鬼太郎・6期を観ています。4・5期も知識としてはどんな感じか知っています(映画「日本爆裂」は視聴)。
ついでに水木しげる先生の地元、鳥取県境港市で鬼太郎や妖怪・悪魔と一緒に育ったので思い入れは強いです。
境港市で育った人間は水木しげる先生と鬼太郎には足を向けて寝られません。
11月から鬼太郎新作映画があることは知っていましたが、独立した単発モノだと思っていました。
(実際、内容としては6期を知らなくても十分に観られるものでした、知らないなら知らないで、今の鬼太郎やねこ娘に新たな感動が得られるかもしれません)
どちらかといえばアニメ「墓場鬼太郎」に近いような、大人向けのブラックな内容なのかなと。※墓場鬼太郎も好きです。
途中でアニメ6期の世界観を踏襲していると知り、映画館に行こうと思いました。
ちょうど今年の夏~秋に6期アニメを一気見していたので、ここにつながる鬼太郎前日譚なら、ホラー要素をなじませつつブラックになりすぎないラインで面白いものを作ってくれそうだなと。
それに、3期育ちとしては、3期ではしっかり出てきた鬼太郎のお母さんの話が6期で一切触れられていないのが気になっていたので、映画でやってくれるのは嬉しくなりました。
「ゲゲゲの鬼太郎」。
幽霊族の末裔の少年・鬼太郎が、妖怪に困らされている人間を助けてくれる。
妖怪ポストに手紙を出してごらん。カランコロンという下駄の音と一緒に、ゲゲゲの鬼太郎がやってくるよ……。
というのがスタンダードな「ゲゲゲの鬼太郎」像です。
今回の映画は、鬼太郎の前日譚。鬼太郎の父「たち」が主役の物語です。
原作にはない映画オリジナルストーリーを、どう原作につなげてくるかに注目しました。
また、「ゲゲゲの鬼太郎」には今の形となる前のお話が複数あります。
(鬼太郎には紙芝居~貸本~メジャー漫画~と複雑な変遷があり、自分も完璧には把握していません)
その中で鬼太郎の両親に言及された話に、この映画の主人公・人間の水木が登場します。
死んだ母親の腹から生まれた墓場鬼太郎。改めて、すさまじい設定だなと思います。
原作を知らなくても、「鬼太郎の母親は死んでいる」「目玉おやじは元は人型だったが、何らかの理由で目玉だけになってしまった」というのは、鬼太郎を観ていれば何となくしっています(たぶん)。
ヒーローでありながら陰のある少年。そういう所が鬼太郎が愛されるポイントなのでしょう。
センシンティブすぎるためか、原作通りの内容で言及されることはアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」ではありませんでした(墓場鬼太郎は原作に近いです)。
そんな中で6期はOPで原作を思わせる描写がされています。「墓場を歩く鬼太郎」「土から出る赤子の手」「ミイラ男の片目が落ちる」等。
また、鬼太郎が人間を助ける理由として、水木という青年に赤子のころ助けられた恩返しだという説明がされます。
原作に沿いつつ人間の味方の鬼太郎につなげているところが非常に良いです。
しかも、映画でがっつりと鬼太郎誕生を描いてくれるだなんて。これは期待するしかない!
【全体の感想】
結果。
期待を裏切らない素晴らしい映画でした。
江戸川乱歩や金田一耕助(自分世代的には金田一少年のほうがしっくりくるけど)テイストにオカルト要素を入れた感じ。鬼太郎にそんな要素求めてないという人もいると思うのですが、自分的には大変好みな仕上がりとなっていました。
こういうドロッとした怖い内容を、鬼太郎という子供のころからなじんでいる作品でやってくれたのがたまらなく嬉しいです。こういうえぐみと鬼太郎って相性よいと思っていたので。
観たかったけど作る人がいなかった鬼太郎作品。やっちゃいけないことやりまくる最高な二次創作! それを公式がやってくれるの最高じゃないですか。
自分的には鬼太郎でこういうのは全然アリです。アンパンマンやドラえもんだとさすがにやめーやとなりますが。
ただ内容は子供にはちょっと……という所もあるので、少年・鬼太郎ではなく鬼太郎の父たちが主人公なのもちょうどよかったです。鬼太郎をこの場に居合わせさせたくないな~いなくてよかったな~と思いながら観ていました。
ただ、えぐいはえぐいけど倫理的にはヒーローものをはみ出さない仕上がりとなっているので、作り手の感覚がしっかりしているのだなと思いました。この手の作品って、逆に倫理観がしっかりしていないとエンタメとして作れないと思うんですよね。そこが非常によいバランスで良かったです。
妖怪要素の薄さ(狂骨は一応妖怪だけど、怨霊に近い)は気になりましたが、あまりファンタジーになりすぎない感じが、今回の映画には合っていました。
絵柄も最大限今風の良さを出しつつ、最大限原作に寄っている感じで好みです。私は三期育ちなので三期鬼太郎が一番好きですが、そういうの抜きにすれば今やる鬼太郎としては最適解では?
(ちなみに三期の髪のボリュームや先がはねるところが好きです。またこういうデザインの鬼太郎作ってもらえないでしょうか)
ゲゲ郎(目玉親父のあだ名)の丸っこい目、長田の細目は水木絵風ですが、どちらもめちゃくちゃいい感じになっています。
水木しげる先生の絵は時代に合わせたデフォルメが魅力的になるタイプな気がします。
シンプルな目や口が格好よいキャラクターの愛嬌につながってすごく良いです。
ちなみに水木(キャラクター)は原作からイケメンです。その上で、映画の方がひねた性格ですが、それが見た目からもわかるアレンジがされています。
ねこ娘をはじめ女の子は今風の絵柄になっていますがこれはこれで良いです。
ヒロインの沙代ちゃんはちょっと夢子ちゃんに似ていて三期育ちとしては嬉しいです。そういえば夢子ちゃんも甥っ子じゃないけど弟がいたなあ(甥っ子、というか……実は……)。時弥くんも夢子弟に似ている気がする。
たしかうちにある本で水木先生(あるいはアシスタント)の描いた夢子ちゃんを見たことがあるので、夢子ちゃん系ヒロインは水木絵としてもアリじゃないでしょうか?
なりたくないのに化け物になってしまうのは、ねこ娘の前身・寝子ちゃんっぽくもありますね。
また、この話は戦後11年。戦争の爪痕を残す時代のお話です。
水木しげる先生は戦争で片腕を失い、戦争のむなしさや残酷さをしばしば漫画に残してきています。
そんな先生が原作の作品として、ないがしろにはできない「戦争」という部分。誠実に向き合おうとした映画だと感じました。
【キャラクター/水木とゲゲ郎が格好いい】
主人公は人間の水木。その相棒のゲゲ郎(鬼太郎の父=目玉おやじの人型だったころ)。
この二人のバディものです。
お二人とも格好良すぎる……。深みがある大人の男たちです。
着流しと背広のコンビとはあざといとこついてきた!
あざといけどギリギリやりすぎず、真面目に見えるライン維持してるの、プロ技あああ!!
普通はここまで公式でやらないだろっていうのを惜しみなくやってきて、それでも不快にならずうまくハマるのは、ゲゲゲの鬼太郎という作品がもはや古典でありあざとい臭いくらいがちょうどよくハマる時代劇だからかもしれません。
これでもかというくらい制作陣の「ぼくわたしのみたかったさいきょうのきたろうのちちたち」が描かれていてたいへんよいです。
水木は自分は久しぶりに触れるタイプの深みが設定や性格、声色にもあって非常に良かったです。
声やしゃべり方がすごく良い……リアルな感じ。
昭和31年が舞台だからできるシブさかもしれません。
やさぐれているけどそれを隠して社会人として愛想の良い会社員をしている。
会社に捨て駒にされていることも知っているが、それでも野心を抱えて目の前のことに立ち向かっていく。
後半は猟銃や斧といった武器を入手していきますが、背広一枚の時から十分に戦う男です。
顔や耳に傷があるのに臆さず短髪で見せているのも素敵。
あれだけ背広びしっと決めた会社員なのに戦争帰りで実は強くて度胸もあるところ格好いい!
背負い投げでのしたぞ!
猟銃での狙撃うまいぞ!
斧を引きずって階段あがるところ最高!!
「つけは払わねえとな」
作中で一番好きなセリフです。
それが精いっぱいの幽霊族や媒体にされた人たちへの償い。自分も日本も差し出す覚悟。
人間の犯した罪について、自身も一緒に背負おうという覚悟。(正しさかはともかく)恩恵を受けてきた日本人全員が背負うべき業だと考えるところ。
ありがとう。同じ人間としても鬼太郎を観てきた立場としても、ありがとう。
ゲゲ郎は水木とは対照的なキャラクター。
一見、白髪の優男だが、人ならざる者らしい怖さもあり。それでいて可愛いところもあり。
そして闘うとめちゃくちゃに強くて格好いい。
なんなの? このあざとさの塊は(好き)。と思いましたが、だいたい目玉おやじのころの要素引き継いでいるんですよね。
途中、お風呂入りだしたときは、露骨なサービスシーンか? と思いましたが、目玉おやじはしずかちゃんと並ぶ国民的お風呂好きキャラだった……!
目玉のころのポテンシャルを活かしたらそのままこれだけ良いキャラクターになるって、すごいよ親父さん。
着流しにすることで自然に腕や足や胸を露出させる小技もさすがです(?)。
「だましたのか……」
怖い空気を出しつつ、仕返しがカギをかけていない牢に入れるだけって言うのが可愛い。
上記で水木が「つけ」として差し出したものを、幽霊族であるゲゲ郎が代わりに引き受けてくれるの本当に熱い。
人間なんて嫌いだと言っていたゲゲ郎が、水木との友情によって、人間のために狂骨たちの怒り恨みを引き受ける。
息子の生きる未来に、人間のいる世界を選んでくれた。
もうこれ「ゴジラvsデストロイア」じゃん。東京を覆う放射能を吸い上げてくれたゴジラジュニアじゃん。人に育てられたゆえに人を捨てきれないゴジラジュニアは、まさしく目玉おやじと鬼太郎なんよ。(ゴジラと鬼太郎の限界オタク)
マイナスワンでゴジラをタコ殴りにして俺たちの戦争終わらせるぜうぇーいやっている裏で、まさか鬼太郎がデストロイアをやってくれるだなんて。
VSゴジラの〆としてこれ以上ないテーマで挑んだデストロイア。
それと同じテーマ性を鬼太郎でも描いてくれたことが嬉しいです。
妖怪とゴジラ、鬼太郎とジュニアには前から通じるものを感じていました。
このもらった猶予で、人間はどう変われるのか? どちらの映画もそれを問いかけてきます。
幽霊族でありながら人の未来を守ることを決めた。そのうえで、人間に利用され恨みにより狂骨となってしまった魂を、倒すのではなく成仏させるために受け止めていく。感動しました。
ゲゲ郎には「必ず生きて戻れ」という水木との約束と、「水木の語る未来をこの目で観たくなった」という願いがあった。だから生きて戻ってきました。狂骨たちの怒りを受け止めたうえで、生きて帰る約束も守るところも良かったです。
全身があれだけただれても生きることを諦めなかったのは、この約束と、妻子にもう一度会いたいという想いからでしょう。
狂骨から水木を逃がすときに、ゲゲ郎はちゃんちゃんこを渡します。
「これを着ていれば狂骨に襲われても正気を保てるだろう」と。
しかし、水木は渡されたちゃんちゃんこを脱いでゲゲ郎の奥さん(とお腹の赤子)に着せています。
そのせいで白髪となり村の記憶も喪失してしまいます。
このシーンはもちろん、他の場面でも、やさぐれているのに優しさが全部ナチュラルで、やさぐれている感じがむしろ作っているようなのが魅力的です。
水木が目を覚まさした時には妻子もちゃんちゃんこもなくなっています。おそらく、ゲゲ郎が連れて行ったのでしょう。
ちゃんちゃんこを妻子に着せていてくれたことに気づいたとき、どれだけ嬉しかったことでしょう。
目玉おやじが鬼太郎と一緒に人間の味方をする理由がよくわかります。
ただ一緒に闘っただけじゃない。自分の身の危険を顧みずちゃんちゃんこを妻子にかけて守ってくれたんだ……そりゃあ、どんなに人間の醜さを見ても、人間をかばい守る側につくよな……。説得力がすごい。
水木は人間だから自分たちよりも早く死んでしまうだろう。でも、自分たちは水木の意志を継いで、水木の語った未来を観るために頑張る。そう思っているのかもしれません。
これがあったからこそ今の”人助けをする鬼太郎”が生まれた。という意味では、まさしく「鬼太郎誕生秘話」です。
自分が十代後半~二十歳前後だったら、水木かゲゲ郎がゼロと争っていたかもしれません。
(中学生だと映画の内容への気まずさが先に立ちそう)
しかし二人とも魅力的すぎて気持ちが分散するから、意外とどっぷり心を持っていかれることはないかも?
キャラとして推しを絶対どちらか選べと言われたら迷うけど今なら水木かな? 10代ならゲゲ郎かな? 当時の感性はもう思い出せないな……なんて少し感傷的にもなりました。
とにかくどちらも非常に良かったです。
【倫理観の話】
しかしこれだけ父たちがあざといなら、女性キャラもあざといカットを入れないとバランスが取れないのでは?(逆ポリコレ)と思ったのですが、龍賀の女性はみんな性被害者なんですよね……。
そう思うと、設定はえぐいけれど女性のセクシーカットや露骨なエロ描写を入れていない辺り、制作側の倫理観がしっかりしているなと思いました。題材に対して誠実です。
(父たちはお風呂に入ったり生着替えしたりするけど)
時弥も同等以上の犠牲者にすることで女性の被害者性だけ強調されるものになっていないのはバランスが取れていていいですね。
しかし……。
自分的には面白かったが、このおぞましさはゲゲゲの鬼太郎のラインとしてOKな感じなのか?(笑)
子どもに説明できないよお……。
「つがわせなさい。子をなすのです」
主人公の男に向かって、こんなこといってええんか? しかもこれ、目玉おやじやぞ。
でもこの人権感覚のなさ。身もふたもなさが乙米の異常性や、幽霊族の扱いを端的に表しています。
大人から見ると描写としてはゆるいので、物語の雰囲気といいキャラクターと言いティーンくらいが一番ぐっさり刺されてしまいそうな感じですねえ。
ぐっさりきて、ハマって、一生続く呪いか恋か聖典になってしまうかも。そういう作品、良いと思います。
今作は本当に素晴らしい作品ですが、今後の流れがずっとこういう陰鬱系にならないかは心配です。
アニメ鬼太郎はあくまで「子供向けヒーロー」というのは維持してほしいなあと思います。
6期は子供とオールドファン(大人)両方楽しめるよい塩梅でした。これ以上シリアスやブラックに振ると、ちょっと子供が観るファースト鬼太郎としてはどうかな? と。
鬼太郎を末永く子供たちに愛してほしい一ファンとして、7期でも子供たちを中心に、オールドファンも嬉しい作品を楽しみにしています。
それはそれとして、この映画のゲゲ郎や水木の別の話や、鬼太郎のお話も観てみたくなりました。
ゲゲ郎の母親とのなれそめ編とか、水木と鬼太郎がお別れするまでとか。この絵柄や雰囲気のまま、普通に鬼太郎が妖怪退治するお話とか。
定期的に映画で作ってもらえませんかね?
飲むと元気ビンビンになって何日も働ける危ないお薬「M」。
これは幽霊族の血から作られているものでした。そのために幽霊族は狩られ、血の材料として生かさず殺さず長期にわたり苦しまさせられる……。
どんどん明かされるおぞましい真実。
見つからない妻。終盤まで出てこない奥さんがどんな姿になっているか、どんどん恐怖が募っていきます。
発見された奥さんの悔しそうな顔と涙。いったい、どんな気持ちでいたのでしょう。人が好きで、人を愛して人と過ごしてきたのに、裏切られて。その心中を思うと辛いです。
でも水木がいたから、晩年ゲゲ郎と二人暮らす短い期間、人を憎まずに過ごせた。それが救いです。
幽霊族の扱いを聞いた時、思い出したのが「カブトガニ」です。
「薬物検査やワクチンのため、アメリカでカブトガニの青い血液の需要が増え絶滅が危惧される」
※残酷注意
https://karapaia.com/archives/52308774.html
幽霊族へのおぞましい仕打ちには誰もが怒るでしょう。
しかし、現実でこのようなことが行われています。
最近は養殖場を作るという話もあるみたいですが、それって、そこのカブトガニたちは一生血液を採られ続けることになるんですよね。
代替品で済むのになぜカブトガニを使うのでしょう?
人間の業を感じずにはいられません。
しかし、現実には自分も動物実験を経て作られた様々な物を使って生活をしています。
ふとしたときに目をそらしている現実を思い出して暗澹となります。
畜産や実験の動物も、できるだけ苦しまない扱いを受ける世界となってほしいです。
【キャラクターの話/主人公以外】
・沙代ちゃん
ヒロイン。予告編では水木と恋に落ちるのだと思っていたのに……。
「足を膝にのせて、肩にも手を置いて」、って。これもうそりゃ、惚れるよなあ。今まで男性に優しくされたこともなかっただろうし。
でも、水木は営業マンとしての愛想のよさなんだよなあ。というのと、異性ではなくてまるっきり子供と観ているから言えることだよなと思いました。大人の女性相手には膝に足のせてとかちょっと言えないのでは。
作中の台詞から、15~17くらいなのかなと推察します。家を出ることはできるけど、大人とは言えない年齢。
吐くくらい嫌悪したのも、彼女を子供だと思っているからもあるでしょう。
(なんなら戦地では緩やかな共犯者として、虐げられる少女を傍観した日本兵だったのかもしれない。だから吐くほどキた)
水木は戦争帰りだからおそらく30歳前後。十代半ばの女の子をそういう目で見ないのは、手を出す大人よりよっぽど「まとも」です。そういうまともな男性だからこそ、沙代は好きになったのでしょうね。
しかし村の人間はみんな、二人が良い感じだと察してアクションを起こします。つまり、村内では沙代は「女」扱い。東京という外から来た水木には「子供」に見えている。村と外との常識の差を感じます。
沙代は水木に協力する代わりに、自分を村から連れ出してほしいとお願いします。
内心では気持ちを受け入れられないと思いつつ、協力欲しさに「はい」と言ってしまう水木。
後半、実は彼女は村で辛い目に遭わされているということを知ります。
その鬼畜の所業に吐くほどショックを受け、つぶやきます。
「だから俺なんかにあんなことを言ったんだ」
「俺なんか」という言い方に水木の自己肯定感の低さが垣間見えて切ないです。
戦場で死ねずに生き残って、薄汚れた大人になって……自分を好きになれないから、自分を好きな気持ちも受け取れない。
沙代は村から出たいのはもちろん、水木を本当に好きだったのに(それは最後にはわかったでしょうが)。
この鬼畜の所業が明かされることで、ただの奔放な女に見えた次女の印象が大きく変わります。
そうか……あなたも、辛くて逃げたんだね。でも、ダメだったから、何もかも諦めたんだね。
沙代は村での境遇も、やってしまった業も、絶対に水木にだけは知られたくなかったでしょう。
それを知られてしまい、また水木が「目をそらした」ことで、暴走してしまいます。
水木、その対応は、いろいろ悪手……!
嘘でもいいから、「関係ない、君が好きだ。一緒に東京に行こう」って言ってやれよ。
と思うものの、そういう責任の取り方をしろというのは、ある意味では時貞が沙代にやったのと同じことを水木に強要するようなものなんですよね。
だからそういう展開にはならなかったのかなと思います。
ここでうまくつくろえるほど悪人ではないのが良くも悪くも水木らしさだとも。
でも、それでも、死ぬ寸前くらいには、君と東京に行きたい、君が好きだ、って優しい嘘をついてもよかったんじゃないかなあ。
「その代わりどんな償いもする」
圧倒的、圧倒的説明不足!
沙代の境遇は関係ないこと。そのうえで今の自分に気持ちは受け入れられないこと。でも必ず東京には連れて行くしそこでの再スタート全力でバックアップするし新たな人生を手にするまで見守ること。
くらいを具体的に説明するんだ営業マンだろ!
水木がゲゲ郎を助けに戻らなかったら、沙代が大人になるころにはハッピーエンドもあったかもしれません。
この時の一緒にトンネルを抜けて東京へ、という気持ちは本心だったでしょう。そして水木が戻ると言った時、沙代もついて戻ると言ったのも、何の打算もなかったことでしょう。ただ水木さんの役に立ちたい。自分も一緒にゲゲ郎を助けたいと思っていたはず。
沙代ちゃん、いい子(涙)。
狂骨を操って母親や裏鬼道集たちを殺戮する沙代。
ここでの殺戮の描写が気合入っていて見ごたえがあります。作中の見どころの一つです(人の心とかないんか?)。
水木の首を締め上げる沙代のヤンデレが極まっていて素敵です。
最期は死ぬ間際の長田に執念で胸を一突きされ、絶命。
あれほどの沙代の怨念に一矢報いる長田は想いでは負けていないですね。
呪い? 恨み? 知るか、上等じゃねえか! って勢いが非常に良いです。
乙米と長田の関係、長田が媚びを売っているだけかと思いきや、ラストで純愛見せつけてきてぐらりときました。
人間関係がはっきり描かれないけどちょろっと見える演出が好きです。
鬼女に見える乙米も、あの地獄でたった一つだけ愛を見つけていたのでしょうか。
お互い好かない相手とそわされて……まあ長田の正妻の三女の立場だとあんな病んだ性格にもなるよね。でも三女には息子がいたから……。次女にもかけおちしてくれた相手がいた。
みんな、地獄でその身を諦めながらも必死にすがるものを見つけながら生きてきたのか。
沙代の死にうなだれる水木。しかしすぐに「行こう」とゲゲ郎を振り返ります。
かなりショックを受けているだろうに、表面上はすぐに切り替えるあたりが、悲しいくらいに戦争を生きてきた男だよ……。
水木が物語の後に女性(母親除く)と暮らしているとは思えなかったので、どこかでお別れするのだろうとは予想していましたが、悲しい展開でした。
映画のラストでは成仏する時弥くんを優しく迎えに来るくらいには心が浄化されていたのが救いです。
狂骨となった時弥の願いの言葉「忘れないで……僕はここにいたんだって」はぐっときました。
この世界には、誰にも顧みられないまま亡くなった存在がたくさんある。
それらに目を向けることが、平和への一歩なのかもしれません。
また、人間だれしも感じたことのある、普遍的な想いにも感じました。
沙代は母親・乙米からは道具として扱われ(母はそれは龍賀の女として当たり前の務めだと思っている)、ジジイからはひどい目に遭わされてと不幸を煮詰めたような境遇です。
しかし、甥っ子の時弥くんや、意外と父親とは仲が良さそうなのが救いです。
おそらくこの父は沙代の事情は何も知らされてはいないのでしょう。それでも何か胡散臭いことが周りであるのは察している。
だからこそ水木にあげてもよいと言ったのではないでしょうか。水木のことも気にいっているし、二人にもその気があるならと。
村の男たちなんて嫌だし、この男なら信頼できるし娘を任せてもいいなという親心があったように感じます。
水木への密命も、出世欲半分、娘と結婚するならMの製造あばいて手柄立ててこい! みたいな気持ち半分。
沙代も「お父さま! そんなのじゃ」と口とがらせるくらいには打ち解けていて、後から思うと和むシーンです。
家庭人としては普通にいいお父さんだったのでしょう。お母さんとの仲は当然のごとく冷めてそうだが……たぶん長田との関係疑ってるよ。
最後まで沙代にも狂骨にも殺されなかったのはだからでしょう。
村の連中が不穏すぎて、彼が登場するとほっとしたくらいでした。
・ある謎の少年(ねずみの……)
どうみてもねずみ男ですが、子どもの姿です。
私の知っている設定だとねずみ男は300歳なのですが、この世界ではもっと若いのかもしれません。
一人称も「僕」で子供っぽくて新鮮でした。
彼もまた、鬼太郎や時弥と同じ、未来を生きるべき子供だということなのかもしれません。
この映画を観ると、6期の目玉おやじがねずみ男をどんなまなざしで見ていたのかに思いがいきます。目玉おやじからすれば、現代のねずみ男もまだまだ子どもに見えているのかもしれません。
ねずみ男は鬼太郎の友達だから、年齢差があまり出ないようにしたのもあるのでしょうか。
このねずみ少年は悪さという悪さはせず、水木やゲゲ郎、沙代に協力してくれる善人よりのキャラクターでした。
沙代も信頼して大事な日記を預けたりしていたので、龍賀家には仕えて長いのかもしれません。
ねずみ男が大人だったらもっといろいろ自分から動くかさっさと逃げるかしてそうです。
少年のねずみは協力してくれる分、今よりピュアですね。
・乙米と長田の関係
不倫というよりもっと純な何かに見えますねぇ。
次女の死で絶叫している様子からも、乙米は姉妹のことは大切にしているように思いました。
三女のことも憎くは思ってはいなかったのではないだろうか。
だから長田との関係には線を引いていたのではないかと感じます。
最後まで「長田、助けなさい!」って他人口調を保っていましたし。
長田の方はずっと乙米しか見ていなかったようだけど。
乙米も気持ちはあったと思うが、沙代に言った「お父さまのお気に入りだったお前が本気で愛されるわけがない」って、自分の事でもあるよね……長田が好きでも最後まで本心は言えなかったのではないだろうか。年も離れて見えるし。長田の気持ちを本当に確かめるのは怖かっただろう。
最期の最期に、「乙米さまああ!」が耳に届いていればいいな、と思う。
時弥は明るく人懐っこい子だから、長田は家では一応良い父はやっていたかもしれません。大事な爺の子供なのもあるでしょうし。
たぶん上っ面には良い旦那でもあったのではないでしょうか。
でも夫婦の間のびみょ~な空気は察していて、だから時弥はあんなに空気を読む気づかいやさんなのかもしれません。
三女の母親としての時弥への愛情は本物だったようなのは救いです。
・ゲゲ郎の奥さん(鬼太郎の母)
予想外に快活そうな美人!
ちょっとねこ娘に似ているところが良いですね。
その後、ちゃんと原作通りの見た目になったところも良かったです。←良くはない
あれだけ容姿が変わっても、ゲゲ郎が何も言及せずに喜んでいるところにぐっときました。
【物語について】
6期で語られる「水木という男に恩がある」の恩がむちゃくちゃ重たい恩だった件。
ゲゲ郎の妻の件はずっと怖さを感じてドキドキしました。
「妻が探し物」
という状態がまず不気味。
最後の方まで奥さんが今どうなっているのか出ないのがずっと嫌な予感が続いて怖いです。
ホラーからだんだんと現実的な嫌な感じに変質していくのが見事でした。
戦中・戦後の日本人も背負う罪から目をそらさず、それでも希望を残す愛情深い物語でした。
題材はフィクションですがいろんなことの比喩に感じます。
幽霊族や媒体となった人間たち。搾取するものとされるもの。
気が付けば被害者にも加害者にもなっているかもしれない社会構造。
人間と妖怪・幽霊族。異なる種族同士が対立せず分かり合える未来を諦めない。そういう鬼太郎の世界が好きです。
全編面白い映画でしたが、特にエンディングからラストにぐっときました。
ここから、あの原作漫画のシーンにつながるのかと。
水木の家の近くまで引っ越してきたんだなあ。それとも偶然だろうか。
最後に赤子の鬼太郎を水木が抱きしめればゲゲゲの鬼太郎に。突き飛ばせば墓場鬼太郎になると思うと感慨深いです。
目から血を流して一人ぼっちで泣きじゃくる赤子の鬼太郎を知っているので、抱きしめてもらえて感動しました。
水木が鬼太郎を放り出して逃げ出さなかったから、ヒーローの鬼太郎になれたのでしょう。
「何を見ても逃げるでないぞ」
というゲゲ郎の台詞は、ここにつながっていたのですね。
【その他】
「おかあさん……」
この一言に鬼太郎の気持ちが詰まっていて、もう、切ないです。
「ゲゲゲの鬼太郎」。
ゲゲ郎の息子だから、もしかしてゲゲゲの、と名乗っているのでしょうか?
そのくらい目玉おやじが水木がつけてくれたあだ名を気にいっていてだとしたらほっこりします。
それとももともとゲゲゲの~と名乗っていたからねずみがそう言ったのでしょうか。
「幽霊族」というのは、人間がつけた名前で、本来は「ゲゲゲ」と名乗る種族なのかもしれません。
鬼太郎という名前。
人間社会に溶け込んでいるタイプをのぞけば、妖怪って基本、固有の名前を持たないイメージです。
鬼太郎に名前があるのは、水木と一緒に人の社会で過ごしたからだろうかと解釈すると、ぐっときます。
目玉おやじか、水木か、どちらかあるいは両方がつけてくれた大切な名前。
ねこ娘と廃村に来る。
お母さんと因縁のある大切な場所に猫娘も連れていくとか、もう、両親公認じゃん!
6期は今までのゲゲゲの鬼太郎アニメで唯一(間違っていたらごめんなさい)水木とのつながりを描いています。
墓場鬼太郎のif世界線が下敷きにあると考えると、ねこ娘は、もしかして、寝子ちゃんが生まれ変わった姿なのでしょうか?
だからビジュアルがかわいい系でなくきれい目で、背丈も高いのでは。髪もまとめているけど長いですし。どうしよう、すごくエモい解釈を思いついてしまった!
霊毛ちゃんちゃんこの制作の仕方。
ここでちゃんちゃんこ誕生秘話も出すとは、予想外で面白かったです。
この経緯を観ると「先祖の霊毛で編んだ」って、そんな軽い紹介の仕方していい代物ではないことがわかります。
ご先祖様たちは、霊毛ちゃんちゃんこになるために自分たちの命を投げ出したのですね。
ゲゲ郎の組紐はずいぶん小さいので、両親の霊毛の形見だったりするのでしょうか。
特典イラストが。
ゲゲ郎が鬼太郎を抱き上げている姿は切ない……そうだよね、目玉おやじは鬼太郎を抱っこできないんだものね。
水木が肩車している絵は和みます。水木が鬼太郎を可愛がっていたことが伝わります。
また、映画の前に公開されたイラストで、照れている鬼太郎の頭を父親らしき手がなでているものがあります。あの絵は目玉おやじの手? と思っていたのですが、色白ではないので水木のほうでしょうか。いずれにしても鬼太郎がこんな子供っぽい顔をしているのは和んだり、切なかったり。すごく好きな絵です。
こんなに可愛がられて育った鬼太郎がどうしてあんな虚無顔になったんや?
目玉おやじ、まさか小さいときから村の話とか聞かせてないよな? ある程度大きくなるまで言わなかったよな??
むしろ田中ゲタ吉になるまで詳しい話はしなくていいぞ。
人間と妖怪の間に立つうち、人間の醜さを何度も何度も何度も見て、だんだんと虚無になってしまったのかもしれません。
水木と鬼太郎がいつごろお別れしたのか気になります。鬼太郎のあのドライな性格をみると、けっこう早いうちに人間界からは離れたように見えます。やはり、学校でうまくなじめなかったのでしょうか。
案外、6期でも描かれていないだけで実はたまに顔見せに行ったりしているのかも?
「この目でみとうなった」
それもあって最後まで執念で目という器官を残せたのかもしれませんね。
もちろん、鬼太郎の行く末が心配すぎたのもあるでしょうが。
水木は沙代とはうまくいかなかったし、その後も独身っぽいけど、鬼太郎という最愛の相手を見つけられたのはよかったと思います。
【終わりに】
ゲゲゲの鬼太郎というアニメを絶やさぬよう作り続けてくれる皆様。
水木しげる生誕100周年の今作をこれだけ語られる名作・ヒット作にしてくださった古賀豪監督・制作の方々に感謝しかありません。
本当にありがとうございます。
これからも新しい鬼太郎を観させてください。