『あらしのよるに』(映画)を観て

2005年公開(日本)
監督、杉井ギサブロー 原作、きむらゆういち

 ヤギのメイと狼のガブがあらしの夜に出会い、友情をはぐくむ話。

※ネタばれあり

 二匹ともに感情移入はできたし面白かったけど、手放しに喜びづらい内容……ラストはこれでよかったのかと、先のことを考えると暗澹たる思いになったりも。
 たまたま助かったというだけで、やっていることは心中だよねこれ。
 若者が後先考えず二人で逃避行。
 ラブアンドピース的というか、ボニーとクライド的というか、俺たちに明日がない的というか……。
 いつまでも、二人だけの世界で、うまくやっていけるんだろうか。今は若いからいいけど、そのうち、またいろいろなことでもめるんじゃないだろうか。
 メイがまたわたしを食べてとか言ってガブを困らせたり。
 若者の未熟な判断で、あとあと後悔しないのかとても心配になる終わり方だった。
 
 緑の森以後のシーンは、もしかして二匹が死んだあとなんじゃないかと思うくらいの、悲壮感があった。

 描き方としたら恋愛っぽいけど、それだと一気に下世話っぽくなってしまうし、友情とも恋愛ともとれない微妙な今の感じが一番なのだろうな。
 一人称がわたしで男の声より、一人称がぼくで女の声のほうが、どちらともとれてよかったと思うが……作者としては一人称を変えたくなかったのかな。

 メイとガブはなんとなく十代中盤から後半くらいかなと思いながら観た。ガブのほうがちょっと年上なイメージ。
 メイはしゃべり方がやたら老成しているわりには、性格は天真爛漫……というより無神経な印象。
 とくにヤギが餌であることをネタにした冗談はあまりにデリカシーがなさすぎる。

 そんなメイと比べて、全編通してガブの懐が広すぎて観ていて可哀想なレベル。
 丸太を乗り越えるメイの手をさりげなく引くところなんてマジ紳士。
 あの紳士気質だと、ヤクザ体質のおおかみ社会で生きるのはつらかっただろうな……。

『闇金ウシジマくん』と連続して観たから、狼たちのヤクザ気質が余計すごみがきいて観えて、ものすごく怖かった。
「どこまでも追いかけて処刑する」
 とか、こえーよ!! ガチヤクザだよ!!
 あのモヒカン狼とか、一応幼馴染なのに、思うところは一つもないのか?
 ガブがとろいからそんなに嫌いだったんか……。

 といっても、ヤギのほうは閉鎖的な村社会体質だし、どちらもいやだな。
 ただ、メイはヤギ村で楽しく暮らしていたんだよね。
 ガブはいじめられていたからわかるけど、メイにとって、あのヤギの村の仲間たちは何だったんだろう。
 やさしいおばあさんも、心配してくれる友達もいたのに。
 友情が大事、というのはわかるけれど、仲間も大事じゃないのか?
 友情のためなら掟を破ったり仲間を危険にさらしたり、捨てて逃げていいのだろうか。
 メイにとって、タプやミイは友達ではなかったのだろうか。

 ガブは彼女でも見つけて、独立して自分の群れを作る、メイは村でみんなと暮らす。けれど今まで通りたまに二匹で楽しく遊ぶ。
 二匹は住む世界は違うけれどいつまでも仲良し……というのが一番だと思うのだが。
(友情というより恋愛的な側面があるから、難しいのかもしれないが)

 これからずっと、種としての生き方を否定され続けるガブ。それでめでたしめでたしでよいのだろうか。
「何で狼なんかに生まれちまったんだよオオ」
 なんて自己否定に走るなよ!
 狼に生まれたことに誇りを持てよ!!
 どんくさくて群れの中でもモヒカンやへらへらや眼帯にいじめられて、メイと友達になっても狼の本能は否定するしかなくて、可哀想だよ。

 ガブがもっと狼である自分を肯定できるような話にしてほしかったなあ。
 狼にとっては仲間とのコミュニケーションである、遠吠えを、戦うために使うところが物悲しい。

 その他の点。
 狼の仲間の中の、へらへら笑っているやつが好き。
 後半で「可愛いお花が咲いている」といったやつです。
 よく見ると最初のほうからへらへらへらへらしています。
 ねじが飛んでいるのかねじが緩いのかわからないへらへら具合がよい。

 ギロさんたち雪崩の後どうなってしまったんだと思ったが、よく見たら最後にちゃんと走っている姿が描かれている。よかった、生きていたんだ。
 狼たちだって、生きるのに必死なだけで、決して悪じゃあないからな。

 いろいろと書いたけれど、ああしたらこうしたらと思わせる作品というのは、それだけ想像力をかきたてるということで、よろしかったんじゃないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?