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珍山道 ―コロナのち、地域の山岳を歩くー

  山を歩こうと思った。限界だったのである。コロナのあいだ、ずっと検定試験の勉強で根詰めていた。契約書の翻訳である。池澤夏樹の小説に旅をするのは「自分の殻をとりにいくため」という言葉があり、私の山に登る意味に似る。なぜ、これからたくさんの山に登るのか、トレイルをしたいのかは、これから少しづつ書いていこうと思う。

 10時、山の登山口に立つ。ちなみに駐車場がいっぱいで、無理に停めようとしていたら、優しい人がこちらがあいているよ、と手で合図をしてくれた。山ではみな挨拶する。山のさわやかさである。

 登山早々、山に何かいるなと思ったら、カモシカであった。熊よけの鈴はつけていたが、あまり意に介さない様子である。熊よけの鈴を付けていたのは私だけだったが、山が険しくなるにつれて、他の登山者の安全も守る意味もあると周囲の目が気にならなくなってきた。

 他の人が挨拶をしてくれるので、私も真似して挨拶運動に参加してみる。降ってきた疲れ切った中年女性二人は返さない。きっと疲れているのだろう。

 けっこう私は歩くのが早いので、前の大学生を抜かし、休憩中に抜かされ、また抜かしという、追い抜き競争のようになってしまった。軽く挨拶する。山に来たというのに、周囲の目が気になるが、だんだん、それらが取れていく。私は少しの疲労感と歩く心地よさでそれらから解放されていく。自らを縛る檻がとれていく。

 途中で、優しそうな夫婦に声をかけられる。よく来ているようだ。インコを肩に乗せた人がいて愉快だった。

 山のモンブランの栗のような景色に出会う。街一面が見渡せるのだ。私も馴染みの場所が見渡せる。

 山頂に立つ。外国人の男性数名と日本人女性数名が一緒に来ていた。なんかいいなあ。ストレッチをし、服を来て、村上春樹訳のレイモンド・カーヴァーを読む。

 総走行距離10キロ。約6時間。ふだんの経済的な生活から離れて、小さなトリップをする。歩いている時は普段の生活について考え、そして「殻をとりに」いく。働いている時はまた歩きにいくのを目標に。やはり歩いている時にメディケーション(瞑想)状態で考えることが好きなのだ。経済活動や人間関係から一時的に逸脱し、そこでメディケーション(瞑想)し、また生きる力を山からもらい、帰るべき場所、生活に戻るのである。

  

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