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真面目をやめると、世界が拡がる。

「ピアノを弾こうとすると音が固くなるから、弾こうとしちゃダメ。」



僕のピアノの先生は、こんな悟りにも近いようなレベルで教えてくれるすごい先生なのですが、凡人の僕には、頭で理解できてもなかなかできません。「こういうことを言っていたのか!」と1年後にわかることもよくあります。毎回知らない世界を垣間見ることができる貴重な時間です。



ロシアピアニズムを継承している先生。いままで習ったどの先生ともまったく教え方が違い、いままで正しいと信じていたことが実は間違っている。そんな常識が覆されることばかりです。でも少しずつムリなく楽に弾けるようになってくるとこの先生に出会えてほんとによかったと思うんです。

肩をリラックスさせて、弾こうとせず重力にまかせて腕の重さのみで弾く。「本来ピアノを弾いたあとに疲れるなんてことはない。ロシアピアニズムの弾き方がわかると楽に弾けるし、表情豊かな音がでるようになるから。」





頭ではわかっても、なんて…なんて難しいんだ。どうしても弾こうとしてしまう。弾く瞬間につい力んで硬いパキーンって音がなってしまう。同じピアノなのに、なんでこんな金属みたいな音がするんだろう。



何が違うんだろう?


力みをなくすためにはどうしたらいいんだろう?


弾こうとしないで弾くっていったいどういう意味?



あまりにも出来なくて、練習を見てもらうどころか、先生がどうやって弾いてるのか、まるでアサシンのような目で先生の動きを盗もうとしていました。

先生の音は澄んでいて力強く、透明感のあるどこまでも飛んでいくような音がします。たとえ一音鳴らしたとしても、綺麗な音だとわかると思います。


先生の動きを真似て弾いても、やっぱり音は変わらない。たまに運よくちょっといい音が鳴る程度。

もう迷える子羊と化した僕に
「まじめに弾こうとしてはダメ。姿勢も崩さずに綺麗に弾こうとする人がいるけど、それでは聞いてる人に届くいい音はでないの。」

生徒さんで定年された元公務員の方がいるそうなのですが、力が抜けなくて苦労されているそうです。日本ではいいとされる「真面目さ」。退職したんだから力を抜いていいはずなのに、どうしてもいままでの癖で真面目に弾こうとしてしまい、力が抜けないのだそうです。音を表現する上では邪魔になってしまうのか。


これは、この生徒さんだけじゃない、僕も同じだ。

「西條さんの音は、根が真面目で、他の人には混じりたくない音をしてる。」


「周りがはっちゃけてても、一緒にははっちゃけられないんじゃない?」

先生、あなたエスパーですか?

ヤバい、全部バレてる。ピアノの音ってこんなにも「その人の生き方」がでてしまうのか。音はいっさい隠すことができないんだ。裸ん坊にされた気分で下を向いてしまいました。僕は今、全裸です。


仕事をムダなくこなし、真面目に取り組むのは当たり前という価値観が僕の中にあります。それは責任感でもあるので自分でも長所だと思っていたのです。

真面目が全て悪いわけではなく、真面目によって自分を押し込めてしまう部分をやめればいい。

真剣には取り組むけど、真面目にはやらない。



じゃあ、どうやって真面目をやめればいいんだろう?さっぱりわからなかったので、先生に聞いてみました。


「私は、コンサートに行ったり、美術館に行ったり、人と会ったりして、世界を拡げてるよ。遊ばないと自分が狭くなっちゃってダメ。」

「絵を見るといいインスピレーションも湧いてくるからお勧めよ。」


なるほど、どうやら「真面目」には自分の世界にこもってしまう閉鎖的な側面があるらしい。自分の世界が小さくならないように外から刺激を受けて、自分をフレッシュに更新し続けるってことか。

ピアノを習いにきてるはずが、まるでカウンセリングを受けているような気になってきました。


つまらない音だすためにピアノやりたいわけじゃない、自由に弾きたいからピアノやってるんだ。


よし、今日から真面目に生きることをやめてみよう。


真剣にはやるけど真面目にはやらない。


僕は今日からヘラヘラ生きます。お母さんごめんなさい。そして、自分を拡げるために外に意識を向けていきます。

意識を変えるのは少しずつしかできませんが、まずは心に決めてやってみます。今日の自分より明日の新しい自分になれるように。


今日のレッスンではドレミファソラシド、たぶん8鍵ぐらいしか弾いていません。それよりも価値のある話を聞けて、演奏者の指先から生まれる音には、その人の思い、あり方、生き方がそのまんまでることを知りました。

いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。