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自分の殻が硬くて壊せない。

みんなはっちゃけてるのに、なぜか周りに混じって騒げず、平静を装ってしまう。なんではっちゃけられないんだろうと思いながら、混じりたくないから別にいいもん、そんないい訳をするのが僕でした。



いますよね、こういうノリの悪い人。でも、悪くしたいと思っているわけではなく、自分を出すことが苦手で、どうしていいかわからなかったんです。



今日は自分の殻について書かせてもらいます。




僕はピアノを習っています。ただ弾くのではなく、歌うように表現して弾くことが大切なのですが、僕は弾くことに精一杯になってしまい、歌うことを忘れてしまいます。



っていうか、そもそも歌い方がわからない。。



この「歌う」ことができない生徒さんが多いそうで、これからソルフェージュのレッスンもするけど、どうする?と先生から言われました。



ソルフェージュとは、初見で楽譜を見ながら歌う練習です。ソルフェージュなんて、子供の時にやったことあるかな…ぐらいで、ほぼ初心者です。でも自分に足りないのはコレだ!と思い、レッスンをお願いしました。


カラオケは行きますけど、レッスンで歌うのは初めて。変な緊張感の中歌いました。


音はそこそこ取れていましたが、メロディーを感じて、感情を乗せることは全くできませんでした。楽譜通りに機械のように音をなぞっているだけで、歌ってはいなかったのです。


感じるままに歌うって、こんなに難しかったっけ?突然楽譜が高い壁のように前に立ち塞がるのを感じました。進撃の巨人を見上げてる状態です。



子供の時は、多分何も考えずに感じたままを表現できてたと思います。これが欲しい!と思ったら、たとえ道端でも、泣いて暴れて手に入るまで譲らない。


リンを見てても、こっちの道に行く!と決めたら、絶対に譲りません。あんな小さな身体で突っ張ったところで何ができるのさ?とリードを引っ張りますが、リンは絶対に歩きません。結局のところ僕が折れます。



この欲求は、大人になればなるほど小さくなっていくように思います。ほんとは大切なはずのこの純粋な欲求が、自己表現の最初の一歩なんだと思います。

欲望を持たない、我慢する、平静を装う、日本では美徳と考えられていますが、そうしてるうちに失ってしまうところもあるかもしれません。

海外から見た日本のピアニストは、表現力が乏しいという話を聞いたことがあります。

いまさら教育や環境のせいにしても仕方ないので、とにかく自分の殻を壊していくためにはどうしたらいいかを考えました。


恥ずかしい?
多少は恥ずかしいけど、ここからうまくなっていけばいいと思っている。


自己肯定感が低い?
自信はないけど、続けていけば自信はついてくるはず。


周囲の評価が気になる?
あまり気にならない。


いろいろ考えましたが、先生から「自分の世界に入りきって浸るの!」と言われた時、あることに気付きました。

僕の場合、
自分を出すことがカッコ悪いと思っている。


僕の場合、これかもしれません。僕には、笑っていても、泣いていても、怒っていても、冷静沈着な自分が常にいるような感覚があります。もちろん多重人格ではないのですが、この冷静沈着な自分がはっちゃけるのを止めている気がします。


人生の全てに置いて、100%自分を出すのはたぶんムリだと思っています。でもピアノを弾く時だけは全力で表現できるようになりたい。

これからのテーマは、いい意味で、我を失うかもしれません。

いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。