もう十分生きたから、わざわざ来なくて大丈夫だよって言っていると思うよ。
実家に帰ってきました。雪がかなり降ってます。そして寒い。雪は好きだけど、家の中から見るに限ります。
実家に帰ってくると、今年亡くしたばあちゃんと愛犬ポポのことを思い出してしまいます。まだ2人の写真が置いてあるんですよね。
ポポの記事はこちらをお読みください。
ばあちゃんは4月に亡くなりました。ちょうどコロナで非常事態宣言が出されたころです。母から亡くなったと電話がありましたが、あの時は移動もできなかったので、お葬式には出られませんでした。
生前世話になって大好きだったばあちゃん。お葬式に出られないことが悔しかった。しばらく気持ちの整理がつかずに引きずってしまいました。なんでこんな時期に、こんなことになってしまったんだろう。
2月に帰省した時、顔を見たのが最後。99歳だったので大往生なのですが、それでもやっぱり悲しい。
帰ると必ず会いに行っていたのに、もうそれはできない。
ヒーラーセラピストなんて仕事をしているものだから、死後どうなるかは知識としてはありますが、この悲しいという感情はどうしようもない。
そんな気持ちをほぐしてくれたのは母でした。
きっとばあちゃんは、
「もう十分生きたから、わざわざ来なくて大丈夫だよって言っていると思うよ。」
もし、ばあちゃんが生きていたとしても、施設に入っていたから、会いには行けなかった。もしかしたら引き際を自分で選んだのかも、そう自分を納得させました。
僕は自分が死んだ時のことを考える時があります。もし、残された人が悲しんでいたら、かなり辛いです。早く元気だしてほしいと思うはず。
死んだ人が願うのは、生きてる人の幸せ、これだけだと思う。
たぶん、ばあちゃんもそう願ってくれているはず。死は受け入れ難くて、時間が思い出に変えてくれるまで引きずってしまいます。でも、一緒にいた時間を思い出にできたなら、思い出すことが供養だと思います。
なので、いつかまた向こうで会った時に、胸張って会えるように生きてる時間を精一杯生き抜こうと思うんです。
たぶん、それが一番喜んでくれることだと思うから。
いつも記事をお読みいただき、ありがとうございます。少しでもお役に立てれば幸いです。