『正しさ』を疑え!
皆さんこんにちは!モロちゃんです!
いきなりですが、なぜ日本人の幸福度は低いと思いますか?
住む家もあって、簡単に食べ物を入手できて、欲しいものはAmazonで翌日に届く、これだけ裕福な暮らしができるにも関わらず、国民の幸福度が低いのはなぜでしょうか。
正解は、「正しさ」「暗黙のルール」に縛られすぎてるから。
世の中にはさまざまな「正義」「正解」があります。
そして今は、世の中に「正しさ」が溢れています。
「大学を出たら就職しなければならない」「一日三食食べなければならない」「野球部は坊主でなければならない」「新卒社員は有給を使わず、一番最後まで残らなければならない」、などなど。
理不尽、意味不明と捉えられるものがいくつもあります。
では果たして、これらは本当に正しいのでしょうか?
意味のあることなのでしょうか?
それでは、
そもそも「正解」とは何なのでしょうか。
さまざまな意見があると思いますが、
僕は「幸せになれること」、これが正解だと考えています。
「他人から認められるため」「怒られないようにするため」「冷ややかな目を向けられないようにするため」、自身の「幸せ」に繋がらないことなのであれば僕はこれらに従う必要はないと思います。
大前提、僕たちは幸せになるために生きています。
自分を責めるヒマがあったら、『正しさ』を疑え!
「早起き」が苦しいと感じるのは、「遅刻してはいけない」という正しさを抱いているから。苦しい「ダイエット」をするのは、「痩せてる体型」が正しいと思っているから。だから、「正しさ」に素直な正義感の強い人ほど苦しむことになるになるのです。
「正しさ」という網からはみ出さないように、「悪」という爆弾を踏まないように、本来の自分を隠して、やりたいことに制御をかける、そんな窮屈な生き方が苦しくないわけがありません。
夢を叶えるための資金調達期間としてフリーターをしてる人に厳しい目を向けるのも、「考えが変わった」と短い期間で退職した人のことをこそこそ悪く言うのも、「何かやりたい!」と思って新しくYouTubeアカウントを開設した人やまだ実績はないけど「俺は絶対に〇〇になる!」と言う人のことをバカにするのも、かなり微妙な風潮じゃないかなと僕は思います。
犯罪をしたわけでもないのに、世間の「正しさ」からはみ出たという理由で、その人たちのことを「悪者」にするのは何か寂しく思います。
その「正しさ」というのは、本来みんなが幸せになるために作られた概念ではないのか?
むしろ、その「正しさ」に従ったことで、多くの人が苦しんでいるのではないでしょうのか?
人間は、社会に理解されてることをする人のことを「正しい人」、社会に理解されてないことをする人のことを「悪い人」というふうにレッテルを貼ります。ただ彼らは、「悪い人」なのではなく、常人の「理解を超えてる」だけなのです。
常識を超えていくことでのみ発展は待っています。
「正しさ」を疑え!
『正しさ』を疑うことで、「自由」は作られる!
道徳さえ欠かなければ、僕は何をしたって良いと考えています!
人生は一度きりですので!楽しまなかったら損です!
幸せになりましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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