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【不定期連載エッセイ:二進も三進も行かないVol.8】 特効薬もどき

最近よくTikTok的な動画を見てしまいます。それは決まって倦怠感のある日に限ってで、見てしまうという言い方をするのは行為に対する罪悪感やそのコンテンツをどこか蔑んでいる節があるのでしょう。

実際TikTokはアプリとして持っていないのですが、同じような文脈のコンテンツはInstagramやYouTube内に既に確固たる領域を建設済みです。
もうどこにでもショート動画の無限回廊は敷かれているのです。クリアは出来ません。コンティニューはし放題です。プラットフォームが誰にでも流通してアクセスし届けることも簡単になった現代ではさまざまな言葉が飛び交います。
こと私に関しては別に言葉の匠でもなんでもないけれどそれはいい事だと思いました。
でも聞こえ過ぎてしまうのも鬱です。
こんなこと幾千万もの有名人や無名人たちから幾千万回も言われているのですが。

とにかくそうやってショート動画の無限回廊に吸い寄せられて閉じ込められてしまう時のその後は毎度とんでもない罪悪感と生産性のなかった時間を消してしまいたくなる衝動に駆られるのですが、たまにサブリミナル的に影響される思考もあります。

今日はまった溝で一番頭に残っているのは田中みな実先生がお金と時間がないは言い訳だとはっきり言い切っていた切り抜きでした。まあ切り抜きというクオリティで前提としてなんとなく真偽不明であるという事は察して欲しいものですが何故かすごく頭に残っています。
それも別にネガティヴなしこりではなく、ああそうなのかとスッと入ってくるような感じです。私自身そこまで存じ上げていないのと、ああまではっきり言われると入ってくるものでした。漫画的カリスマ性を感じました。
最近の自分はよくそういう解釈で物事を明らかにしていたつもりだったのかもなと一つのひらめき思考回路として開通したようなそんな感覚です。

ここで、今書きながら聴いている星野源のオールナイトニッポンでちょうど猫ミームの話しててミニシンクロニシティ現象発動!
使い方違うかもだけども。
確かにショート動画のランダム性はギャンブルとかガチャを引く時の感覚に似てる気もします。健康的ではないのかもしれません。これだけ罪悪感出る成分が分泌されているなら俄然そんな気がしてきます。

そういった意味では20秒そこらで脳に入ってきた一言二言で人生左右されるような人ではいたくないです。もちろん長いから意味があるとかでもないんだけど。
ほら、もうすぐに外圧から変形されちゃっています。

久々に書くと雰囲気違いますね。人は変わります。影を残して。

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