なんで人事なのか
今回は比較的短い記事です。自分自身のキャリアの経験を経て、最初は勝手に会社が配属し(やがっ)た人事という仕事から、やっぱり人事の仕事は大事だ、と思うように至った個人的なストーリーです。
私は一度、人事の一員として働く事に幻滅し、このままだと自分がだめになってしまうと思って、人事を4年弱ほど、飛び出していた事があります。
私の当時勤めていた会社は、外資系ではありませんでしたが、会社が社員を全然関係ない部署を異動させるようなことはないので、最初に経理配属なら、基本はずっと経理、というのが標準でした。私が入社したときの配属は、会社により(勝手に)アサインされて、それが人事部でした。という経緯で、入社時よりずっと人事をしていたのですが、「このままでいいのか」と多くの人がキャリアになやむ30歳前後のころに、私もいろいろと悩みました。
その時は日本にいて、人事として働く事が、全然ビジネスに貢献できている感覚を持てなかったのです。付加価値ゼロ。ビジネスの事を理解しようと思っても、何か遠くで起きている戦いを、物見やぐらから眺めているような感覚。
むしろ人事の外ではたらく方々のほうが、人事として本来言えないといけないような組織上の課題をよく理解しているし、さらに会社としてこういうような組織構成にしていかないとダメだと意見をもらうような事も多かったです。また人事制度のダメなところも逆に人事外の方々から指摘されて気が付くような始末。研修の企画にしたって、当時人事としての私にはアイデアがなく、結局キーパーソンをあつめて意見をもらうなど、「コーディネーション」しかできない。
人事と似たような、その他のコーポレート間接部門はどうだったかというと、法務部にしたって、ビジネス活動を理解したうえで契約書をハンドルしているし、M&Aとかもやっている。広報もしかり。経理だって、いろいろビジネス活動を分析しているっぽい。こうして、どんどん隣の芝生が青く見えてき始めてきたのでした。
このままだと自分がダメになる、という危機感は日に日に募るばかり。だいたい自分はマーケティングがやりたかったのに、会社が勝手に人事部に配属しやがった。ただ制度のオペレーショナルな運用だけやって、ビジネスの事も分からないし、会社の経営数値すらちゃんと読めない。これはまずい。
幸いにも、日本の会社の場合、職種を変更しても、欧米のように、ポジションベースで給与も決まっていないので、給与が減る事もない。いわゆるメンバーシップ型の特徴の一つですね。逆に日本で働いているんだったら、これを利用しないと損なのではないか、とどんどん都合のよいように自分の中で盛り上がり、ちょうど30歳を過ぎた頃に、経営戦略部門にめでたく異動する事ができました。
迷いがなかったかというとウソになります。やっぱり職種を変えるのは勇気がいります。恐らく、そのまま同じ人事部に居続ける事が、昇進する事だけを考えると近道なんだろうなとも分かりつつ、そのままだときっと限界が来るに違いないという事で、やっぱり思い切って飛び出してみました。先輩からは、「退路は絶った方がいい。地を這いつくばる覚悟で頑張りなさい」と叱咤激励されました。
で、実際に飛び出してゼロから始めた次の職場は、やはり最初はつらかった。当たり前です。ド素人なのですから。日本語のはずなのに周りが何をいっているのか全く意味が分からない。年下の後輩に、「会議の議事録とってください」とか言われる。それは大変でしたね。話についていけない。MPがどうの、GPがどうの、COGSがどうの・・・もう自分はいままで社会人になって何をしていたのだろうかと。周りの人を強引に捕まえて教えてもらいまくって、全部ノートに書いて、人よりはやく出社してました。
通勤に1時間半くらいかかる郊外に住んで居たのですが、朝7時とかに出社すると、駅からオフィスへ向かう途中で、食肉工場(つまり屠殺場)に連れられて行く牛を載せたトラックが通り過ぎたことがありました。あの時の悲しそうな牛たちの目を忘れる事ができないのですが、自分は別に殴られるわけでも殺されるわけでもない、要は心の持ち方次第だ、と自分を勇気づけ、出社しました。
そんなこんなで半年経った頃には少しずつ努力が実を結び、すでに原価計算やら在庫管理、販売連結P/L、売上管理、研究費管理などが分かるようになり、経理と減損処理の議論をしたり、監査法人の方に説明したりできるようになって、経営会議でプレゼンができるまでになりました。あれよあれよと自分の下にチームが2人もつきました。あるとき、委託先の工場が不良を出した事がありました。自分で交渉して、損失補填で5,000万円戻ってきたんですね。これはすごいと思いましたね。人事にいて、自分が直接取った行動が、会社のボトムライン(利益)の改善に直接役に立つなんて経験はしたことがありませんでした。
そろばんを昔やってたこともあって暗算は得意だったのですが、どちらかというと数字は嫌いなほうでした。ですが、これだけ毎日来る日も来る日も数字や財務諸表を見ているとさすがに慣れてきますね。
ここまでハマると、もうこの時点で将来の究極のキャリアゴールはCFOだ、と思うようになりました。
そんな中で、売上がなかなか上がらない時期がありました。面白いことに、広告宣伝をドカッと使うと、売上が少し伸びるものの、定期的に広告宣伝に費用を使っていかないと、すぐに売上がさがってしまう。この様子をみて、私は、これって、西洋医学の薬を対処療法的に使っているような状況だなと思いました。痛み止めを飲んでいる間だけ痛みが引くものの、根本原因は直っていない、というような感じです。
ある時、事業部のある部長(かなりクセが強く、若干パワハラ系)が転職する事になりました。するとどうでしょう。その下にいたメンバーたちが生き生きとしだして、コミュニケ―ションがうまくとれるようになり、オペレーションも改善。ローカル仕向け用にあまりカスタマイズを好まなかったクセのある部長がいなくなり、各地域のニーズをよく聞きながら商品づくりを進めた結果、売上も改善。
これらの状況をよこでつぶさに見ていて、「なんだ結局人か」と気づいた瞬間がありました。結局この頑固なこの部長が色々うまく行かなかった原因の一つだったんですね。根本原因が治るという意味で、こちらは東洋医学的なアプローチかなと思いました。
これらの対照的な経験を経て、人事はもしかしたら東洋医学的なアプローチをして、人という根本原因に迫ることができる面白い分野かもしれないと思いなおすようになりました。
ここまで来て、入社の時は「勝手に配属された」人事という仕事に腹落ちしないまま来て、ちょうど30歳前半くらいの頃に、「やっぱり人事という仕事は面白いかも」と興味を持つことができるようになりました。そのころ、タイミングよく、人事の中でひとつ良いポストがあるのだが帰ってこないかと古巣よりお誘い頂いて、それ以来はずっと人事だという経緯です。
なお結果として、私はいわゆる「T字型キャリア」を歩むことになったのですが(Tの横は、経営企画/ファイナンスという視野が広がったこと、Tの縦棒のほうは、人事の分野を掘り下げているということ)、これが大変良くて、あの経験がなければ今がないと断言できます。ビジネスへの理解が深まり、各部署の役割もよくわかり、財務諸表も作れる数字に強い人事、という事で、例えば、現在担当している報酬関連の業務では大変役に立っています。たとえば、役員と会社業績評価や、それらにつかう経営指標、そしてどうボーナスファンドと繋げていくのか等の議論をするのに大変有用です。
その後しばらく日本で人事を再開して、とあることがきっかけで渡米することになって現在に至るのですが、それについては別途どこかで述べたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。