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このままでは危ない日本式キャリア設計! 今ならまだ間に合うかも

アメリカのシリコンバレーで仕事をしていて、つくづく感じる事がある。

先日書いたダイバーシティの記事でも述べた通り、このエリアで重要なのはあなたがどこの国籍であるとか、肌の色がどうとかは重要ではない。「何ができる人なのか」が重要なのである。"What matters most is not who you are, but what you can do

トップエグゼクティブになれば話は別だが、一般的には、シリコンバレーにおいて、どの会社においても、タイトルの構造、職種などが大まかなレベルではあるが、ほぼ標準化されているのが面白い。

タイトル構造などは別途述べる事にして、ここで注目すべきは、人が入れ替わる前提で組織が作られているという事。Marketing Managerが辞めてしまえば、Marketing Managerを他から採用すればいいのである。部品の入れ替えのように、ある程度の「規格」が合意されているかのようである。

仕事がある程度標準化されているから、給与のデータも、Aon Radfordといった米国で最も信頼できる情報ソースとしてすぐに手に入りやすい。

もちろん例外は沢山ある。ユニークなスキルセットやジョブなどは、「標準データ」をもとにしながら、若干改編して用いる事もある。

このような米国モデルにおいては、会社のミッションとそれを実現するのに最適な組織図、必要なジョブ(ポジション)が先に定義される。そして、そこに求められるスキルをもった人材が採用される。あくまで論理的だ。(因みに筆者は「人財」という書き方が好きではない。なぜかそこに偽善的な意図を感じるためである。恐らくブラック企業や保守的な企業もこぞって使っているためだと思う)

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これに対する日本の伝統的なモデルとは?
日本の伝統的企業では、新卒一括採用を行ったあと、会社が社員の配属を決定する。特定のポジションに雇い入れるのではなく、その会社への就職という感じだ(「就職ではなく就社」とはよく言ったものである)。こういう環境下において、社員はさまざまなジョブをローテーションし、その会社の専門家としてキャリアを積む。結果として、自分の会社は良く知っているが、尖った専門性を持たないまま、マーケットの事がよくわからないまま何となく歳をとっていく。超労働時間体質、早く帰れると思ったら会社の飲み会で結局帰宅は深夜、それでいて給与は低く不満もあるけれど、専門性もないので転職は歳を重ねるごとに厳しくなっていき、社畜化する。(ちなみに気が付いたら家族もおろそかにしすぎていた。でももう遅い。。)このトラップに気が付いてちゃんと専門性を磨き、英語もできる一部の社員だけが、外資系企業へ転職してそれなりの給与を得て行く。

このような日本の環境下においては、組織図とポジションありきの欧米企業とは対照的に、「人ありき」で仕事が割り当てられていく。日本では社員を解雇することのハードルが極端に高いため、余った社員を無駄に遊ばせないためにも、何かをアサインしようとする。そうすると、〇〇さんはシステムが得意だから、このシステムの保守を担当させようとか、英語ができるからという理由だけで、その人が専門でもない分野のグローバルプロジェクトにアサインされたりする。ここには、会社の戦略と方向性から逆引きした組織の体制とそれに必要な人員体制、という考え方やモデルが全くなく、今いる人員を無駄にしないように、社員の得意分野や興味をもとに仕事を配分していくだけである。そうすると、ジョブの一般化や標準化が全く進まずに、非常に属人的な要素に頼った日本独自の仕事体制ができあがる。

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こうなると、色々とできる人に仕事が集まるのは当然である。得意分野に基づいて職がアサインされるためである。その人は多忙を極め、ついに鬱になってしまったり、異動を強く希望したためどこかに行ってしまったり、会社を辞めてしまう。すると悲惨である。その人とまったく同じことができる代わりの人を見つけるのが大変だからである。

こうして、日本の労働市場は、汎用性のある一部の職種を除き、流動化がなかなか進まない。また、尖った専門性が上記の事情ゆえになかなか育たないという背景がある。

話をシリコンバレーに戻そう。
ここでは、何かのプロジェクトを組むときに、そのプロジェクトに必要な専門家を集める。その道の専門家は、その狭い分野のプロとして、何社も渡り歩いてきており、業界標準、マーケットの状況やトレンドなどを把握している。こういう専門家集団でプロジェクトを組むと、短い期間で質の高い結果が出る。シリコンバレーは給与が超高いとみんな思っているし、事実ではあるが、高いクオリティのものが短期間で成果がでるという事を考えると、プロジェクトのコストとしてはむしろ日本に比べて効率がよいといえる面もある。

対して日本は素人集団である。日本では、専門知識のなさを、超労働時間で頑張って勉強しながら乗り切ろうとする傾向がある。友人の会社では、ある専門的なプロジェクトを素人集団でやろうとした結果、当初の想定の期間内にプロジェクトが終わらず、何度も延期し、かつクオリティの低い結果になり、結果的に大変な期間とプロジェクトコストを費やす羽目になったという笑えない話がある。日本はシリコンバレーに比べると給与が安い。でも、結局こういう事になった場合に、安い、と言えるのだろうか。トータルコストとしては逆に高くついているという事に気が付いたほうがよい。

現代は、グローバル知識社会である。グローバル知識社会においては、尖った専門性を磨く事が大変重要で、それがないと淘汰されてしまう。色々な側面から見たときに、日本は中途半端すぎる。危機感を感じる。人件費は米国ほど高くないが、他にインドなど日本より安い国は沢山ある。しかも彼らは英語ができて、専門性も高い。となると、日本独自に付加価値を付けられる点は何なのか??上述のようなプロジェクトを組んだときに、世界各国から専門家が集まって「さくっ」と成果を出していくなかで、日本は素人が鉢巻をまいて頑張って追いついていくのには限界がある。

因みに、どれくらいのニッチな分野での専門家がいるかというと、例えばHRでいうと、HRの中でも、Compensation(報酬)の専門家、さらに株式報酬の専門家、Executive Compensationの専門家、人事システム(Workdayなど)のintegrationの専門家、給与課(Payroll)の専門家(PayrollはFinanceの下にある会社もあるが)-という感じである。この分野だけでずっと掘り下げてキャリアを積んでいる人たちがいる。これを日本でやろうと思ったらなかなか難しい。なぜならば、転職回数がゼロまたは、一生に数回なので、これをやると飽きてしまう。転職市場がそこまでまだ流動化していないのだ。シリコンバレーでの平均在社年数は、レベルにもよるが、一説によると3年程度。そんなサイクルで転職を繰り返すたびに、彼らの知識と経験は研ぎ澄まされていく。

こういう専門家集団で一つのゴールに向かってチームとして取り組んだときに、なかなか精神力だけで打ち勝つのは無謀にもほどがあるというものだろう。

私が日本企業の社長なら、社員を超絶専門家にすべく、すぐにでもキャリアの在り方を検討する。その際のポイントは、同じ会社の中だけで飽きないようにどうできるか、という事。ニッチな職種において、他社と人材交流プログラムを実施するとか、(大企業であれば)国内外のグループ会社に派遣して同じ職種で経験を積ませるなど、できる事は色々とあると思われる。その分野において、日本だけで仕事ができても意味がないので、当然世界トップレベルになる事を目指させることが肝要だ。


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