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「ダイバーシティ」で大切な考え方とは? 

私の住むアメリカでは、ダイバーシティが大変進んでいる。少なくとも日本に比べて。なぜならば、この国はそもそも移民からなる国であり、性差別はもちろん、年齢による差別も法律で禁じられているためである。

そんな環境で、どっぷり人事のシニアマネジメントとして働く私が、ダイバーシティをどう考えているのかを共有したいと思う。この記事を読む前と後とで、「そういうことだったのか!」と思ってもらえるとこれ幸い。

企業で人事をやってる人、経営者、シニアマネジメントの方々には是非読んでいただきたい内容です。

ダイバーシティというと、フワフワした事言う人が多いように感じる。例えば、こういう感じ。

「いろいろな人が商品やサービスの開発に関わった方がいいに決まっている」

それは勿論間違いではないのだが、本質に迫っている気がしない。

また、ストレッチしているな~と思われる女性登用のケースも見られる。それが蔓延した場合、逆に本当に実力があって登用された女性の方には甚だ迷惑な話である(「あの人は女性だから部長に登用されたのでは?」とか陰で言われるのは本当にフェアではない)。

これは、日本企業に未だに見られる、年功序列で課長になったりするような時にも起こる。本当に実力があって課長に昇進したのか、単に年功序列的な「そういう時期」になったから昇進したのか。本当に認められて課長になったのに、「年功序列的にそろそろなタイミングだからなのでは?」と若手に思われるのは、大変迷惑な話である。

では、ダイバーシティの本質とは何なのだろうか?

あくまでも、ビジネス社会における文脈でいうならばそれはずばり、

「仕事の実力や成果だけに注目すること」

と私は考える。国籍だとか、性別、LGBTQなどは一切忘れて、仕事の実力のみに注目するのである。実際に私のチームでも、ダイレクトレポート(直部下)は90%が女性。チームの人種もアメリカンチャイニーズ、イタリア系、アフリカンアメリカン、白人の人もいるし、軽い障がいを持つ人、LGBTQ系の人もいると、多種多様であるが、彼らのバックグラウンドや性別、年齢などを意識することは一切ない。

分かりやすい例を挙げよう。

あかりを消した真っ暗なコンサートホールに、一台のグランドピアノがあるステージを思い浮かべてほしい。真っ暗なので、周りの状況やステージはまったく見えない。周囲の観客の気配や、わずかに咳込む人の様子は聞こえる。

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そこに、あるピアニストがステージに出てきて、見事なまでのベートーヴェンソナタの演奏を披露した。世界超一流と言える素晴らしい演奏だった。あまりに素晴らしい演奏だったので、観客は熱狂し、拍手喝采で演奏会は終わった。

この時に、そのピアニストが、男性なのか女性なのか、何人なのか、LGBTQなのか、何歳なのか、そんな事は重要だろうか? 

この演奏のクオリティのみに注目するというのが、ダイバーシティを追求した究極の世界である。インド人女性であろうが、ルーマニア人であろうが、ゲイであろうがストレートであろうが、仕事上の実力や成果を客観的に評価していく、という世界。

「プログラミングが超得意?だったらうちに来て一緒にやろうよ。(君が何人で何歳かとかしらないけどそんなのどうでもいいから)」とこんな感じで、世界中からタレントが集まるシリコンバレー。結果イノベーションが進んだ。シリコンバレー(西海岸)は、まだまだボーイズクラブ(男性優位)と揶揄される面はあるものの、東海岸に住んで居た頃よりは一般的に人々はオープンマインドだと感じる。

基本的に日本人ばかりが住む島国における日本では、多少のノンジャパニーズを採用したところで限界があるので、どうしてもジェンダーによるダイバーシティを追求することとなる。つまり、ダイバーシティ=女性登用なのである。私の定義に照らしていえば、「年齢」要素を排除することもダイバーシティの一環である。25歳の天才プログラマーと、40歳の天才プログラマー、どちらも天才プログラマーであって、年齢は関係ない。

ただ、「実力だけに着目」とは、言うは易しで、現実的には課題が残る。

先に挙げた事例がピアノコンクールだったとしよう。10人のピアニストが競って優勝を争うような状況を考えてみて欲しい。優劣をつけるには、審査員が必要である。ピアノ演奏のすばらしさに「デジタル」で「絶対的」な判断基準なんていうものはなく、どうしても、審査員のマニュアルな判断、ある種の好みが反映されてしまうという事が起きる。政治的な要因もある。審査員の弟子が混じっている事や、審査員の知り合いの弟子が審査対象に混ざっている場合もあるだろう。

これと同じことがビジネスの世界でも起こりうる。審査員は誰なのか。現実問題として、特に日本のような男性が多い社会の場合、仕事の実力や昇進を決めるマネジメント、つまり「審査員」が男性ばかりになる。

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よって、一般的に多くの会社が努力しているように、まずは「審査員」を多様化するべく、ある種の数値的な努力目標を設定していることは、意味があることだろう。ただし、あくまでも「実力だけに着目する」という軸を念頭においておかないと、数値目標を追う事だけが目的化してしまっては本末転倒であるので、その点は注意が必要だ。

さて、ここまで読んでお気づきになったかもしれないが、「実力だけに注目する」というのがダイバーシティを進める上での本質だとすると、結局これは、実力主義という大きなテーマの一部という風に言える。よって、実力主義の土壌がないような古い体質の組織において、ダイバーシティを進めるというのは、非常に困難を極める。そういう状況でうわべだけで女性登用しようとかしても、本質的には何も変わらない。

次回は、ダイバーシティを進める具体的なステップについて述べようと思う。


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