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自分に嘘をついて生きる事のツラさと、嘘をつかないで生きる事のツラさ【価値観】

今日は、表題の通り
「自分に嘘をついて生きる事のツラさ」
「自分に嘘をつかないで生きる事のツラさ」
について、書いてみようと思いました。

自分に嘘をついて生きると、そんな自分に胸を張れなくなる。
いつか自分を大事にしたいと思えなくなる時が来てしまう。

自分に嘘をつかないで生きていると、周りに批判されるときもある。
あいつは何をやっているんだ、なんて思われることもある。

正直どっちの道も苦しい。
ただ、自分は後者を選んできたし、
自分の人生の責任を取れるのは、自分しかいないと思っています。
だから苦しくても、自分に嘘はつきたくない。

ここまでしてそう思う理由は、これまでの成功体験が大きく影響していると思います。

■自分に嘘をついて生きることのツラさ

・本当はこっちが良いのに、こうしたいのに、みんながこうしているから。
・本当は自分はこういう風に進めたいのに、上司がこうしなさいと言っているから
・本当はこうなりたいのに、これが組織から求められているから

自分の思っていることと真反対のことを行う時、こんな想いがよぎっていく。

あまり詳細には書けないものの、書ける範囲内で正直に言うと、
現状私の働き方は会社から求められているものと全くの真反対です。
一つ前の記事で上げたように、会社から求められている仕事の仕方は成果も出なかっただけではなく、
自分としてやりたい働き方じゃなかった。
会社が求めているから。時代がそうだから。という理由で、
まるで誰かに手綱を握られているような気がしながら、納得は出来ないものの仕方ないと言い聞かせて従っていました。

けど、そのやり方で進めば進むほど、自分に自信が無くなっていく。
楽しかったことが楽しくなくなり、仕事が作業になり、想いが消えて、感情が平坦になっていく。

もちろん、周りは会社の方針に従っています。
だから、自分もそうしないといけないと思っていた。

けど、それでもこれは自分がやりたいことじゃない。
必要性も意義も意味も納得できるけど、やりたくないし、そんなことをするためにこの会社に入ったわけじゃない。

会社の方針のせいだ、なんて言うことも出来なくはない。
けどそうやって周りのせいにして自分に嘘をついている時は、一時的にしかラクになれないし、
何より嘘を付き続けてラクをし続けてきた先に見えるのが
本当にありたい自分とのギャップ。

それを突きつけられた時、どうしようもなくこれまでの自分が嫌になり、心が折れてしまう。
だからこそ、自分に嘘つくことは極力したくないと思っています。

■自分に嘘をつかないで生きていくことのツラさ

自分に嘘を付くことはツラい。
じゃあ、嘘を付かなければツラくないのか?というと、実はそういうわけではなかったり。
自分の考えや意見を周りに流されずに貫き通すことは、理解されにくいもの。
周りに認められないのって、なかなかにしんどいし、やっぱりツラいんですよね。

そんな時の話で、以前学生の頃に行っていたスポーツクラブでのアルバイト。
大学生ながら、水泳のコーチとして子どもたちの水泳指導を担当していました。
当時、児玉先生というコーチがいたのですが、今でもこの方に社会人としての働き方や、ホスピタリティという言葉では表せないような思いやり、責任感を教えてくださった方がいて。
その方から「たかがアルバイトではあるものの、子どもたちの前に立ったらコーチである」という社会人意識を一から教わったからこそ
一介のアルバイトではあるものの店舗のマニュアルや資料作成、社内資格取得の正社員・アルバイトの研修まで行っていました。
これが自分にとっての当たり前で、かつすべきことだと思っていた。
別に褒められたいからしているわけではなく、自分と関わった子どもたちに伝えられることは伝えたいという一心で。

ただ、残念なことにこれを理解してくれるアルバイトの仲間は当時いませんでした。

「なんでアルバイトなのにそこまでしてるの?」
「何目指しているの?」
「社員になりたいの?」

所詮バイトなんだから。そんなにやらなくて良くね?
という感じの雰囲気。
こんな言葉を投げられることがあって、正直悲しい気持ちもあった。

けど、だからと言ってこのアルバイトへの向き合い方を変えたいとは思わなかった。

なんでか今考えてみると、やっぱり成功体験があって、
自分の正しいと思う事が、正しいという実感があったから。

■成功体験=自分が自分らしくいられるための方法

特に思い出に残っているのは、大地君(仮)という子どもとの関り。
一般の中でも一番泳げるAクラスにいた子だったけど、小さいときから児玉先生が担当していたこともあり、
絶対に児玉先生でないと練習に参加しない、という子。保護者の方からの信頼も児玉先生は得ていたこともあり、そんな形でした。

そんな時に研修という形で大地君がいるAクラスに入った自分。
児玉先生に4か月間みっちり教えていただき、ある程度分かってきた後は
違う曜日のAクラスに入る予定だった。
なぜなら、大地君が児玉先生ではないとダメだったから。

けど、結局人員兼ね合いもあり、児玉先生の後釜で大地君のいるクラスを自分が担当することになりました。
もちろん大地君だけではなく、自分なりに出来る方法で子供たち全員に全力で向き合った。
自分としては良くできたと思ったものの、レッスン終了直後に大地君の保護者の方が
児玉先生の曜日に「クラス変更」の申請を出されてしまいました。

正直悲しかった。
自分なりには向き合っていた。けど保護者の方と話す機会なんてなく、
信頼関係で言ったら勝てるわけがない。
結局クラスを変えられてしまった。
自分の想いや考えは保護者の方までに伝わっていなかった。

そりゃ歴が長いコーチの方が信用できるよな。
そう思って、自分に言い聞かせてその日はショックだったのをよく覚えています。

その翌週、あぁ今日は大地君いないのかぁ…。と思いながらも点呼していたら、なぜか大地君がレッスン参加。
あれ、どうした?と聞いたら「今日はコーチがリレーやるっていってたから」
あ、そういえばそんなことも言ってたな、と思いながら
まぁ今日だけだけど、来てくれたしいいか!と思ってそのままレッスン開始。

そのさらに翌週。またまた大地君が参加。
え?なんで?と思いながら、またどうした?と聞いたら
「今日はこの練習をするってこの前言ってたから」と。
なーんか変だなーと思いつつ、レッスン終了後に児玉先生に
大地君なんか来てるんですけど知っていますか?と聞いてみたら

「大地君、大空コーチのレッスンに参加したいってお母さんに言ってたみたいだよ。だから来てくれてるみたい。良かったね!」

そっか、伝わってたんだ。
ちゃんと伝えるべき人に伝えようとしたら、伝わるんだ、としみじみ思って
この時は本当に本当に嬉しかった。

自分が伝えたいことを掲げてこの子たちに向き合っていることは間違いではないと自信を持てた。
直接話していなくとも、伝えるべき目の前にいる子どもに伝えれば、
それは自ずと周りにいる保護者にも伝わるんだ。と感じられた瞬間だった。

もちろん周りのアルバイトの仲間たちに理解してもらえなかったのは切なさもあったし、悲しかったことも憤りを感じたときもある。
けど、自分が思うように正直に行った結果、
ただのアルバイトとして適当に仕事をしていたら得られなかった、
お金では買えない・何事にも変えがたい経験を得られました。

■大事にしたいこと:どっちの自分が好きで、どうしたいか

適当にアルバイトだからと思い働く自分と
アルバイトとか関係なく、やれることはやりたいと思い働く自分、
天秤にかけたら、自分は後者の方。
みんなは前者の方。

アルバイトとか関係なく子どもたちに好かれること、伝えたいことが伝わっていた時、数あるベテランコーチの中から自分を選んでくれた時の喜びを知っていたのは自分。
知らなかったのみんなの方。

どっちが偉いとか凄いとかではなく、
ただこれだけの差で、シンプルなことなんだと今思うと感じます。

大事なことは、どっちの自分が好きで、どうしたいか。
ラクな方が絶対に必ず良いわけじゃない。
自分に嘘を付いても、つかなくとも、結局どっちもしんどい。

だったら自分に胸を張れる。好きな自分でいれる方が自分は良い。
自分に嘘を付き続けて我慢して、その先に自分にガッカリしてしまう時が来てしまうなら、
理解されなくとも自分に嘘つかずにチャレンジして、後悔したい。

この積み重ねが「自分らしさ」になり、自信になっていくのかなと思います。

この決断は勇気がいるものだけど、どうせなら失敗してもヘタクソでも良いかなと。
一生懸命になればなるほど、空回りしてしまったり失敗してしまってうまくいかないことも多いかもしれないけど、
それが自分がやりたいことだったら続けていけるだろうし、
そんなやり方でも成功できるんだって思わせたいと思える。

これまでの成功体験が、そう応援してくれている気がしたし、
なんとなく見たTikTokで流れてきた懐かしいこの歌を聞いて、
それで良いんだよと言ってくれた気がしました。

これからも自分らしく、仕事にもプライベートにも向き合っていきたいなと思います。

ということで、出勤前の筋トレをまずは明日がんばる!
毎日毎日、積み重ねだ!


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