中野奈花

興味関心→キリスト教 森田療法(神経症の治療法)日本のロック 作詞 千葉ロッテマリーンズ

中野奈花

興味関心→キリスト教 森田療法(神経症の治療法)日本のロック 作詞 千葉ロッテマリーンズ

最近の記事

神の信頼

キリストが受肉して私たちの元に飛び込んできてくださったのは、私たちのことを信頼していたからだろう。全知全能でなくても、力で支配しなくても、必ず愛を受け取ってくれるだろうと。 父なる神は、子なる神を私たちに委ねたのだ。それなのに私たちは彼を十字架につけてしまった。それでも神は私たちを諦めなかった。 今でも神は私たちを信頼し続けているのだと思う。「信仰」とは、神の私たちに対する信頼を受け取ることではないだろうか。

    • 子育て支援者のための講座

      (⚠️2007年に受けた講座のメモです) お母さんと小さい子どもがくつろげる広場のスタッフのための講座を受けてきた。 記憶が薄れないうちにメモメモ!(ただし印象に残ったところだけ) 子育て支援とは、要するに母親支援。たいていの父親は育児分担なんてできないから、負担は全て母親へ向かっているため。 ただし、今の20代の父親は家庭志向なので、育児に関心はある。 子どもを産めば誰でも赤ちゃんの欲求に応じて世話を嫌がらない「いいお母さん」になれるというのは神話。育児する時に、

      • 「ふしぎなキリスト教」の致命的にダメな箇所

        (10年以上前に話題になった「ふしぎなキリスト教」という本についてブログに書いた文章を移植しました。 今、読み返してみると、「この時は知らなかったけど、『原罪』という言葉を使わない宗派もある💦」と思ったりもしますが、とにかくこの本は、私が「これがスタンダードだ」と考えているキリスト教の神学とは違う、ということを書きました。↓) 最近なぜかキリスト教に興味を持ち始めた父が、「ふしぎなキリスト教のどこがいけないんだ?具体的にどこだよ?」と電話で聞くので、致命的にダメな箇所を教え

        • 支えの信条 (障害者自立支援)

          介護のプロの方から教えていただいた文章です。 「障害者自立支援」関連の研修で出会った文章だそうです。 カナダで障害者の権利運動をしているという、共に障害者の夫婦が著したもので、その世界では有名らしいです。 たぶんこの文章には色んな解釈がありそうだし、共感を覚える人も、反感を覚える人もいると思います。私はこれを読んで「あっ、そうか」と何かが分かった気がしました。「障害者支援」には関わってないけど、一応「子育て支援」には関わっているので、共通する部分があるかもと思いました。

          小さい子どもは「あるがまま」

          久しぶりに託児(2時間くらい)をしたら、森田療法の「あるがまま」がわかった気がした。 最初から最後まで断続的に泣いてる1歳児の男の子を抱っこしたり、絵本を読んであげたりしながら、息子の小さい頃を思い出したりしていた。 幼児は「なんでこんなことで泣いてしまうんだろう?」「こんなことで泣いてはいけない」などと一切考えない。泣きたければ泣く。そして泣いている理由(お母さんがいない)を忘れると泣きやみ、思い出すとまた泣き始める。泣いても泣いてもどうにもならなければ、抱っこされながら

          小さい子どもは「あるがまま」

          異言で祈ってみた

          前にペンテコステ派の友達が、「異言で祈るのはどう?」とラインで勧めてくれた時に、「異言には抵抗があって…」と返信して話は終わったんですが、気になってはいました。 「異言」というのは、クリスチャンでない人は耳慣れないと思いますが、本人にも周りの人にも意味のわからない言葉で話したり祈ったりすることです。聖霊の力によると言われています。 教会の礼拝で、みんなが一斉に異言で祈っていたら、私はかなり抵抗を感じてしまうと思います。でもちょっと調べてみたら、異言というのは、個人的に祈っ

          異言で祈ってみた

          「あなたは罪人です?」

          キリスト教の「罪」という言葉は、「神と人との関係が壊れている」という意味だ。(他にも色々な定義があるけど) 「あなたは罪人です」と言われて、一般の人はどう思うだろうか。「自分はそんなに立派な人間ではないけど、罪人と言われるほどではない」というのが率直な感想ではないだろうか。なかには一方的に責められているみたいに感じる人もいるかもしれない。 ところで、ウツ状態の人はひたすら自分を責め続けていて、それは本人にとって大変辛い。そういう状態の時に、「あなたは罪人です」と言われたら、

          「あなたは罪人です?」

          いじめ問題を考える演劇ワークショップ

          (2007年にブログにアップした記事。こちらに再録する) 思うところあって、「いじめ問題を考える演劇ワークショップ」に参加した。講師の方はフィリピンの演劇学校の先生(アーニー クロマさん)で、いじめ問題の専門家ではないが、アジアの貧しい国々で性暴力など様々な問題を抱える子どもたちの救済のためのワークショップを開いている人だ。会話は英語で、通訳の女性がついた。 理屈よりは体でという講座だったので、面白いゲーム(他でも使えそう!)をたくさんやったり、グループで即興劇を演じたり、

          いじめ問題を考える演劇ワークショップ

          自分に自信が持てない時

          「「自分に自信が持てなくて」という人に限って、他人の話に耳を貸そうとしません。それは自信が持てないという自分を過信しているからです。人はついつい自分を信じすぎます。他人を疑うという気持ちも自分を信じてる証拠の表われ。」(みうらじゅん『さよなら私』角川文庫) 毎年、秋冬にウツ期が来る。どうやっても来る。すると、自分の判断に異常に自信がなくなり、朝起きて「何を着るか」「朝食は何を作るか」から始まって、夜になるまでほとんど全てのことを自分に「ダメ出し」をしながらやらなければいけな

          自分に自信が持てない時

          子育て支援のための「傾聴」講座

          だいぶ前になりますが、子育て支援のための「傾聴」講座を聴きました。「傾聴」という言葉には「全身全霊で」みたいなイメージがありましたが、それでは身が持たないし、相手の気持ちを考えすぎて自分まで抱え込んでしまうと、結局助けにはなりません。相手の話す経験の「目撃者」「同盟者」になり親身に耳を傾けていても、どこかで「聞き流す」という態度も必要だと思いました。他人が解決してあげられない問題があり、相手が自分の力で解決するまで信じて待つこと、そして「相手の鏡になる」という言葉が印象に残り

          子育て支援のための「傾聴」講座

          「謙遜」とはなにか? (説教メモ)

          持っている人が持っていないかのようにふるまうのが、日本人の好む謙遜。例えば、日本人は「つまらないものですが(^。^)」とプレゼントを渡すが、本当に「つまらないもの」だと思っていれば渡さないはずだ。 また、絶大な権力を持っているのに腰が低いと、「あの人は謙遜だ」ということになる。 しかし聖書の説く謙遜は違う。聖書の示す謙遜とは、「持っていない人」が「持っていないこと」を「神の前で」自覚することだ。 このへりくだりは、キリストの内にも見られる。十字架の上のキリストは、何も持っ

          「謙遜」とはなにか? (説教メモ)

          「責任を持つ」ってどういうこと?

          息子が中学生の頃に、保護者会で担任の先生が全員に配ってくれたのですが、とても良い文章なので、紹介します↓ 「自分の言動に責任を持つ」とはどういうことか? 皆さんは、中学校で心身とも健全におとなになっていくための、ある意味トレーニングを行っていると考えてください。学校生活すべてがそうだと考えてもいいです。そして、おとなになるということは 「自分で物事を判断して、それに沿って意見を言ったり、主張したり、行動したりすることができるようになるとともに、その自分が行った言動にも、

          「責任を持つ」ってどういうこと?

          ダラダラがやめられない!

          ダラダラとスマホを見て時間を費やし、「あーあ」と後悔することが多い私は、ある日ふと、思いついた。 「私は意志が弱くてダラダラしてしまった」と考えるのではなくて、「私は自分でダラダラすることを選んだ」と考えるようにすることって大切かもね。「意志の弱さ」に支配されてるみたいなイメージにならないようにね! 最近ChatGPTさんにハマってるので、「この思いつきって客観的に見てどうだろう?」と思い、ログインして呟いてみたところ、ChatGPTさんから秒速でしっかりした文章が返って

          ダラダラがやめられない!

          キリスト教の理想と森田療法の「あるがまま」

          森田療法の森田正馬は、どちらかと言うと、キリスト教に批判的だった。それはもしかすると、キリスト教の求めてくる「理想」が高すぎて、人間を苦しめると思ったのかもしれない。 でも私は、人間を苦しめるのは「理想」ではないと思うようになった。絶対に届かないからこそ、「理想」だからだ。 それは、「努力すればなんとか到達できる」ということではなく、いくら探しても、自分の中に「理想のカケラもない」ということだ。だからこそ私は、弱さを繕うことをやめた。弱いままで神の前に座る。それが私の「あ

          キリスト教の理想と森田療法の「あるがまま」

          「カムカムエブリバディ」で神との関係を考えた話

          NHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」を毎日録画して見ている。「るい編」に出てきたミュージシャンのジョーは、トランペットを吹く以外ほとんど何もできない人。ところが、病気のためにいきなりそのトランペットが吹けなくなってしまう。一時は絶望の底に落とされるが、るいに救われて立ち直り、結婚する。二人は心機一転で京都の商店街に移り住み、るいは回転焼きの店を開く。 ジョーも手伝う気持ちはあるのだが、不器用すぎて役に立たない。店番さえちゃんとできない。しかし彼はいじけたり焦ったりすること

          「カムカムエブリバディ」で神との関係を考えた話

          悩めるクリスチャン向け

          クリスチャンの中には「隣人を愛しなさいと言われているのに、あの人のことが嫌いな気持ちがどうにもならない」とか「いつも感謝しなさいと言われているのに感謝できない」などと密かに悩む人がいます。 実はこういう悩みを持つのはクリスチャンに限りません。神経症(不安障害)的な性格を持つ人は、「他人と話す時に緊張したくないのに緊張してしまう」とか「勉強に集中したいのに雑念が起こって集中できない」というようなことで悩みますが、ほぼ同じ構造です。 神経症の治療法で有名な森田療法では、この構

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