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「カムカムエブリバディ」で神との関係を考えた話

NHKの朝ドラ「カムカムエブリバディ」を毎日録画して見ている。「るい編」に出てきたミュージシャンのジョーは、トランペットを吹く以外ほとんど何もできない人。ところが、病気のためにいきなりそのトランペットが吹けなくなってしまう。一時は絶望の底に落とされるが、るいに救われて立ち直り、結婚する。二人は心機一転で京都の商店街に移り住み、るいは回転焼きの店を開く。

ジョーも手伝う気持ちはあるのだが、不器用すぎて役に立たない。店番さえちゃんとできない。しかし彼はいじけたり焦ったりすることなく、るいに店も家事もほとんど任せ、ただるいの側にいる。娘のひなたが生まれてからも10年そのまんま…(ひなたとはよく遊ぶいいお父さん)
視聴者の中には「ヒモじゃないか!」「何でもいいから働け!」という意見が当然出てきた。でも、世間の目から見たら「何にもしていない」彼は、なぜかしっかりるいとひなたの心の支えになっていて、とても幸せそうな家族なのだ。

私は毎年恒例の冬ウツ中で、自分のダメなところばかり目について、人と比べては「あれもできない、これもできない…何もできない…私は役立たず…」という気分に苛まれる毎日だったので、「世間の目から見たら何もしてないし役に立っていなくても、何か温かなものを周りの人に手渡すことはできるのかな…」と励まされた。

そして、その週の礼拝の説教箇所だった「詩篇23篇」を思い出した。

詩篇23編には「主は敵の前で食卓を整えてくれる」という箇所がある。敵が目の前にいるのに「食卓」だなんてずいぶんノンビリしている。「いやいや…食卓よりも敵を何とかしてほしい!」と前から思っていたし、「死の陰の谷を歩く時も主は共にいてくださる」という箇所もあるのだけど、「それはわかったから!この状況を何とかしてください!」と思うことがたびたびあった。

でもジョーと彼の家族の関係は、「◯◯をしてくれて助かります」という損得を超えていて、お互いがお互いの存在を喜び合っている。

神は確かに目に見える恵みもたくさん与えてくださる。「◯◯をしてほしい」と願い、叶えていただけたなら感謝するしかない。けれども、一番大切なのは、神と自分がお互いの存在を喜び合う関係で結ばれることではないかと思った。もしそういう関係の中に生きるなら、何が起こってもずっと平安の内に置かれるだろう。

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