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どん底から2022再起へVol.4 サバイブからの韓国事業10周年。

2022年も終わりをむかえ
”コロナによる苦境からの再起へ”
というテーマでnote綴ってきた。

再起 というより
実際には
サバイバル。

そんなサバイバルは
日本だけでなく
同じく事業やってる
韓国台湾も同じ。

むしろ経営体力がなかった
韓国は
事業撤退もマジで考えた。

それでも
たくさんの人の
頑張りと支えのおかげで
なんとか赤字を脱し
黒字経営に戻った状態。

サバイブしたけど
これからどうするよ、

まだまだグラグラの中で

2022年12月4日
ボーダレスハウス韓国は
10年目を迎えた。

(パチパチ)




単身韓国に乗り込み法人登記されたのが
ちょうど10年前の2012年12月4日。

10年前。何のツテもなく内心ビクビクしながらの渡韓。



異国で10年事業が続いていること自体は
なかなか踏ん張ってる方だと思っていいかな。


10周年祝い!
とはいかないが
一つの区切りとして
書き留めようと思います。


この10年間の話
というより

初心に返る意味で

なぜ始めたのか、
10年で何を得たのか、
なぜ続けるのか

を綴っておきたいなと。


韓国事業の始まり


2011年
新卒から7年勤めた会社を辞めて
ボーダレスへのジョインしたのは
韓国でのチャレンジがあったからだ。


祖父母が韓国人の
コリアンルーツを持つ私は
濃ゆい大阪の
在日コリアンコミュニティの中で
育った。


大学時代に初めての韓国へ行った時の
異国とは思えない
親しみや喜びを。

一方で
日本人でも韓国人でもない自分を感じる
ある種の違和感も。

この違和感は
外国ルーツあるあるで
アイデンティティ醸成のプロセスなわけだが。



強く思ったのは
この違和感から
目を背けてはいけないということ。
というか
個性でしかないと。


終戦後の日本で
朝鮮ルーツを守ろうと
命を懸けて戦った先人たちがいるから
今の自分がある。
今の自分の個性がある。



このての話は
なにも
コリアン だけの話じゃないし
ルーツというイシューは
ナショナリティーだけでもない。

ただ

そんな自分のルーツを隠して生きるなんて
悲しい。

当たり前に
ポジティブに捉えられる

そんな社会であってほしい。

いつしか
そんな”願い”を抱くようになった。

そんな
社会への実現に
貢献できる人になりたい。

そう思うようになった。



そして
自分がコリアンとして生きていくなら
日本にだけずっといるんじゃなくて
やっぱり韓国をもっと感じたい。
たまにいく旅行じゃなく。

そう思って
いつか韓国駐在できそうな商社へと就活し
前職(株)ミスミに入った。

ミスミでは
韓国語が少し話せるということで

韓国企業との窓口も担当し
何度も出張で韓国に行かせてもらった。

そこそこ結果残してた商社時代(笑)


仕事にも慣れ
それなりに充実した日々。

キャリア的に
韓国駐在も十分可能性が見えてきた頃。
もうすぐ30歳。


一方で
自分の中にある
情熱を失いつつあった

ただ韓国に住めればいいのか?

駐在できたとして
そもそも
いち企業戦士として
このまま
登っていきたいのか。


一方その頃
ミスミ同期だった田口、鈴木は
早々にミスミを卒業後起業していた。

彼らと再会して語りあい
自分の奥そこにあった
熱い何かが揺さぶられ

くっそベンチャーだった
彼らとの道を選んだ。


そして
ジョインしてから1年後の2012年10月。
ついに目標だった韓国へ。

現地調査で、よし、韓国行やろう!と決起したソウルの夜。若い。。。


韓国内でのシェアハウスの文化は
今でこそ浸透してきているが
当初はプレイヤーゼロの状態。


不動産屋にまわりまくるも
信用を得られず
早々に壁にぶちあり
心折れそうになったことも。


それでも
無事物件を借りることに成功し
単身乗り込んでの2ヶ月後、
2012年12月より事業スタート。


その後
試行錯誤続き
すったもんだばかりで
決して順調だったとは言えない
この10年。

それでも
この10年間に
韓国のボーダレスハウスに住んでくれた人は
2,574 人
にのぼる。




韓国で残せたもの


入居者さんたちのエピソードは数えきれない。

日本に関心のなかった地方の韓国人学生は
日本人ハウスメイトとの親交を通して
日本を好きになり
日本への留学を決意した。

ソウルに留学にきた在日コリアン学生が
韓国人ハウスメイトや多国籍な留学生との
共同生活を通して

自分のアイデンティティに
葛藤し見い出していった。



子供のころから
良い大学、良い就職だけを目指してきた
韓国人大学生は

”自分の好き” を追求しイキイキとした日々を送っている
留学生たちと自分を照らし合わせ

自由とはなにかを
見つめ直していく。
自分の未来を
問い直していく。

(▲このエピソードは嬉しすぎたので
前にも綴ってます>>>


2014年入居者さんたちとの初イベント

自分が知るエピソードなんて
ほんの一部で
2,574人
2,574通りの
ドラマがあったに違いない

若者たちの人生に少しでも関われていることは
素直に嬉しいし

ましてや
日韓つながることもあったりで

”架け橋”のような仕事をできているのではと

誇りに思っても


いいのかな。



裏ではもちろん苦難の連続


事業を続けるということは
その分苦労は絶えないもの。

10年というが
自分が現地でコミットしたのは最初の2年ぐらい。

残りは日本からの出張ベース。
遠隔マネジメントの難しさに
ギブアップしたい時は数知れず。

でもほんとに苦労したのは

自分なんかじゃなく

事業代表を日本において
自分たちで現場で事業を推進してくれた
メンバーたちに他ならない。

当時を知るメンバーは
今はもうほぼいない。


うちの事業にコミットした期間の経験が
少しでも彼らの中で
心に残る瞬間であったこと、
人生の糧になったこと を
祈るばかり。

みんな本当にありがとう。



10年で得たものは。。。


改めて
自分が得たものは
何だったんだろうか。

実績、経営力、人脈、、、
どれも違う気がする。
もちろん自分の糧になったことは
確かだが。

数えるならば
失ったものも多すぎて
ピンとこない。

後悔していること、
謝りたいことは
いくらでも出てくる。


だったら

得たものよりも

10年を経て
残っているもの
残せたもの を
胸に刻もう。

ジンベエも言ってるし。笑



まずは、

韓国で今もまだ
確かな事業として残っている
こと。

これは
今まで関わった全ての人たちの結果として
誰かに必要とされているからこそだ。




そしてもう一つ
残せたとすると

それは

関わってくれたスタッフや
住んでくれた2574人たちの中にある
ボーダレスハウスでの経験だろう。

留学中の忘れられない楽しい体験、
ハウスメイトたちとの家族のような絆、
新しい価値観との出会い、
新しい自分との出会いと成長。

彼らがいつか
自分の人生を振り返るとき

かけがえのない想い出や出来事の中に
ボーダレスハウスでのストーリーを
語ってくれたなら

それだけで
”よくできました”

なのだろう。

続けてきた価値は
あるのだろう。





最後に、韓国と私


韓国事業にチャレンジして
本当によかった。

とっても
エキサイティングな
10年だった。

もしこの経験がなければ

自分にとって韓国は
たまに旅行いくだけの
ただの”好きな国”
でしかなかったはず。

この10年のおかげで
韓国社会の
韓国市民たちの
リアルをみた。

自分に合わない部分
嫌いな部分も
たくさん知った。笑

もちろん
同じぐらい
愛すべき部分も。



自分の国籍は韓国だが
韓国人と同じと思ったことはないし
別に思いたくはない。

それは
日本で生まれ育ってこともそうだし

高校までは
朝鮮学校という北朝鮮の教育色が強い環境にいたことも
影響しているだろう。

なんてったって
高校の卒業旅行は北朝鮮でしたから。
※このあたりの話は濃すぎるんでやめときます。笑



そんなこんなで

李成一という人間は

10代は北の色が強い学校で育ち
20代は日本社会に揉まれ
30代は韓国に乗り込み事業を始めた。


(40代は??)

日本、韓国、そして北にもルーツをもつ
”在日コリアン”であることを

私は
とっても誇りに思っている。





最後に、、、

こんな自分が
韓国事業を
残したいまた一つの理由について。

私には
淡いけど
強く抱く
目標、、というか願いかな、、、

がある。

周りに笑われるし
反対もされるし
戯言で現実的ではないのかも。


それは

北朝鮮がいつか”開国”を遂げた時に
あの国で暮らす人たちに
貢献をしたい

ということ。

さかのぼるは
北朝鮮に行った
高校修学旅行。

現地の学生との交流会で
将来の夢は
”軍に入って国を守ること”と
口を揃えて語っていた
彼ら。


彼らに
世界中の若者と同じような

人生の選択肢を
届けたい。

君たちが暮らす世界は
BORDERLESS なんだよ と

届けたい。

いつか訪れてほしい
その日のために

お隣韓国で
事業を続けていくことは
アドバンテージになると信じたい。

とはいえ現実は
朝鮮半島情勢は良くならないし
かなり遠い未来に思えて
死ぬまで実現できないかも。


それでも。。。

大好きなミスチルさんののフレーズ。

信じていれば夢は叶うだなんて
口が裂けても言えない
だけど信じてなければ成し得ないことが
きっと何処かで僕らの訪れを待っている

Mr.Children Prelude


いつかの訪れまで
俺は
経験を積み
自分を磨き続けたい。

今いるボーダレスという船なら
それが実現できるかもしれないという
希望を捨てずに
生きていきたい。



結局のところ

どん底でギブアップしたくなっても

最後の最後に
今のフィールドで
土俵際で踏ん張れる
自分のエネルギーの源泉は

こういう
コリアン魂 なのだろう。


自分は
実は自己肯定感めちゃ低いし
自分のこと
好きじゃないけど


ここの部分だけは

ゆずれない
ブレない
ここだけは


結構自分でも気に入っている。笑

そんなことを思う

10年目
節目の12月でした。


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