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諸悪の根源は神々(2020年)

結局、人類はまた歴史を繰り返すのでしょう?哀しみを繰り返すのでしょう?人類全ての想いを一つの器が受けきる事は困難で、自立する気持ちが抱けない個々も多々。それでもと言い切れる計算された可能性はあるの?計算されていない可能性は妄信となって大惨事を生んできた歴史。進化には永い年月が掛かる?それは現実的である事実であるけれども、それでは現在に生きる生物は何の為に…?

全ては何かへの布石?実験?その犠牲となる個々の生物達の心は?人間に嫌われている人間だってゴキブリだって好きで嫌われている訳ではない、みんなが生きる為に必死なんだ。そもそもこの世の設定が、なぜ生存競争のシビアさを作ったのか?喰い合う事なく欲も薄く、ただ存在するだけで過ごせる設定であれば、この世はもっとシンプルに平穏であったのに。


人類史とは人類の生態を記録した研究レポートなのかも知れない。人類は時に温かみで感動を誘い、時に憎悪で恐怖を抱かせる。個々も持つ喜怒哀楽。様々な個々が様々な生い立ちを持ち様々な絡み合いが生じて歴史というドラマを刻んでいく。人類の生態は進化せず劣化コピーのようなドラマが量産されていく。

世界の成功者達は批判の対象になりやすいが、成功するまでの過程である努力は評価されないのだろうか?例えばユダヤ人の成功者は多いが迫害された歴史があり、奪われ難い知識や知恵に着目し学問を重視する民族的な習慣が身に付いたとの逸話がある。成功したら批判される事も多くなるが簡潔には「私は大金持ちではないのに、あいつは大金持ちだからずるい」という嫉妬が含まれた批判を多く見受ける。その時々のルール違反をして得たというよりかは、ルールに則った上で多くの人々が気付かない視点に着目した結果であって、それをずるいと批判する方が怠慢であったとも言える。

動物を家畜化する事も、果物や野菜を栽培する事も、動物や果物や野菜にとってずるいとならないのだろうか?豚さんあなたは大切に育ててもらえますよ、その理由はね人類に食われる為に肉になるからですよ。リンゴさんあなたに近寄る害虫から護ってあげますよ、その理由はね人類に食われる為だからですよ。より良く食われる為の素材として生かしてあげているだけなんですよ、理解出来ましたか?

理解出来ない?あなたが理解出来る出来ないは関係ないのです、あなたの存在は食用なのですから。食われる時になって文句を言ってもダメですよ、事前にそれとなく伝えてありましたし、豚さんもリンゴさんも満足そうに過ごしていたではありませんか?


生き続ける為には何かを食べ続けなければいけない。食べ続けられるだけのものが無ければ、生産するか奪い合うかに発展していく。それが進んでいき生産の効率化、奪われない為の効率化、合理的な支配体制の確立。

基本的に同種同士での本格的な争いはどの種も避ける傾向にあるが、食べるものが無い場合は同種に於いても共食いを始める。ザリガニだってするし、震災の時の猫だってしていて綺麗に骨だけが残っていた。

野生の生存競争はとてもシビアで弱っていれば真っ先に狙われる。群れの中にいるからといって安全とは言えない。野生生物の子育てだって弱い個体は見捨てられる。それに構っていたら群れ全体が全滅するからだ。生まれ変わったら植物になりたいという意見もあるが、植物だってシビアな生存競争を繰り返している。

昨今の人類は不思議なもので、弱さを売り声高にアピールする。ファッションなどで煌びやかに目立たせたり、足音を立てて歩いたりもする。弱者を誰も助けてくれないと嘆きながら、より弱い生物を食べ続けて生を繋いでいる。

食べ続けなければ生きていけない、生きると同時に死が隣り合わせ。そういった設定があった為に、生物同士は殺し合い、同種同士でも時に殺し合う。

喰い合い殺し合う事が哀しい事や不幸な事と捉えるのは人類や生物の勝手な主観かも知れない。地球自体が1つの生物で、全ての生物が細胞であって新陳代謝を繰り返しているだけかも知れない。


知れる事が感じられる事が人並み以上である事が必ずしも幸せなのだろうか?才能がある事が必ずしも幸せなのだろうか?そう思うのであれば、同じだけの質量を知って感じてみて欲しい。それを体験した後でも、それでもと言えるのだろうか?

出生ガチャの議論、個々に合った難易度の人生を個々が送っているから能力があっても大変説、配られたカードで勝負するしかない活かすも殺すも自分の選択次第説。才能説重視のネガティブな人は、努力出来るのも才能、困難を克服出来る精神力も才能となってしまっている。ただそこまで全てが才能扱いされてしまうと例えば勇気の要る選択とかはどうなるのだろう?周囲とは違った選択をして新しい事をするとか、気になった異性をデートに誘うとか、危険を伴うけども好奇心を満たしたいとか。
何かをする事で失敗する事もあるけれども、それが糧となって成功率が高まっていく。失敗するかも知れない選択を取れるのも才能?失敗して挫折しても再チャレンジ出来るのも才能?糧と出来るのも才能?成功するまで継続出来るのも才能?
適者生存を前提に考慮するならば、怠惰で保護を受けて生きられるのも才能となる。

知能の高低を題材とした小説として「アルジャーノンに花束を」などもあり、個々の人々や人類や個々の生物にとって幸せとは何なのだろう?人類の知性が現在の知的障害者くらいで、原始人時代のような生活をし続けていた方が総合的には幸せだったかも知れない?と以前に思った事があった。
文明に慣れてしまった人が原始人生活に戻れる訳もなく、文明の功罪は結論をこうだと言い難くもあるが、複雑化していったり弊害が多くなっていったり文明に束縛されてかえって生き辛くなったり。


何かを為す為さないも成す成さないも、全ては自由意思で自由選択で自己責任。ただ時は流れ少しずつ環境や景色は移ろい往く。

時代の趨勢が決まり始めてきており、多国籍資本と世界統一政府へと進んで行くのだろう。民主政治はどう足掻いても衆愚政治にしかならない、民主政治を考え出した人はとても賢くて尊敬する。人類が肯定しやすい欲よりも否定しやすい欲の方が勝っているという事を人類が証明した。勝てば官軍、負ければ賊軍。この世の設定。

勝者に着いて行くのが一番楽であろう。真の勝者はそこまで酷い事はせず活かさず殺さずを心得ている。心得ていない勝者は一時的であって自滅する事を歴史の栄枯盛衰が物語っている。

人類の存在は茶番劇。
天に仕組まれた遺伝子。生物全てが天に踊らされている。


旧ブログにて2020年11月09日に記載していたもの

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