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循環性と均衡性と相対性による逆説

やっぱりあれこれ思索しても荘子の価値観に終着する。

社会的に何かを活動しようとする場合、何かを是とし何かを非とし、善悪や禍福を区別する事となっていく。

何かを善や福と捉えるほど、それに比例して悪や禍も増えていく。

善悪や禍福は生物個々の主観であり相対的であって均衡し循環し続ける。


個体としてはストレス少なく生きたいように生きるのが最善なのだろう。

田中カ子さんなど長寿な人達は一般的に体に悪いとされるものを摂取してもいる。

キアヌ・リーブスさんの話でも、
「私の友人の母親は、一生を通して健康的なものを食べてきました。アルコールや「体に悪い」食べ物は決して口にせず、毎日運動をし、体は非常に柔軟で、とても活動的で、医師が薦めるサプリメントは全部摂り、太陽に当たる時は必ず日焼け止めを塗っていました。つまり誰もが考えうる限り、最大限に健康に留意していたのです。しかし、彼女は今、骨髄のガンになり、非常に深刻な骨粗しょう症になっています。
その一方、私の友人の父親は大量のベーコン、バター、脂肪を食べ、運動など本当に一切したことなく、夏になるたびに真っ赤になるまで日焼けするなど、他人の指図には耳を貸さずに人生を最大限に生きるような生き方をしてきました。医師曰く、81歳の彼の健康状態は若者レベルだと言います。」
という話がある。

良いとされる学校に行き会社に勤め、好ましい伴侶や子供に恵まれ平均寿命で亡くなる事が必ずしも幸せとは限らず。

元々この世の設定に善悪や禍福は無く、個々が主観により善悪や禍福を区別しているが、この世はただあるだけ。あるがまま。


能動的に敢えて何もしない選択が最善の何かをし続ける事に繋がる。
才能がある人ほど才能を使わないようにすること。
幸せになるには幸せを減らすこと。
そんなところにやはり終着する。


2022年01月04日 記

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