10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法①戒の話:後編

皆さんこんにちは。

前回の10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法②戒の話:前編では、仏陀の次第説法の戒の話についての説明をさせていただきました。

今回は、仏陀の次第説法の二番目のステップである戒の話について前編に引き続き後編として解説したいと思います。

前回の布施の話で功徳と善の説明をしたので、今回はそれに関係する不善と悪の違いを説明してから五戒を例にして解説したいと思います。


仏教での不善と悪の違い

布施の話では、仏教の善行為を善(クサラ:kusala)と功徳(プンニャ:puñña)の二種類に分けて解説しましたので、戒の話では不善(アクサラ:Akusala)と悪(パーパ:Pāpa)についても解説したいと思います。

巧み・有能・上手という意味での善(クサラ:kusala)の反対で、不善(アクサラ:Akusala)とは巧みではない・能力がない・下手という意味です。

努力しても巧みではないので失敗が多いことや、能力が足りなくて目的に達することができないことや、理性的に物事を考察して理解する能力がないことは善いことではないので不善(アクサラ)であると説きます。

仏教では能力がないことは不善(アクサラ)であると説きますが、悪(パーパ)とまでは言わないのです。

悪(パーパ:Pāpa)は、道徳的な善い行いという意味での功徳(プンニャ:puñña)の反対で、非道徳的な意味での悪や罪という意味です。

不善(アクサラ)は悪(パーパ)を包括する概念であり、不善行為(アクサラ)は罪ではありませんが悪質な罪になる行為が悪(パーパ)なのです。

悪行為も身口意の三種類がありますので、身体で行う悪行為と、言葉で行う悪行為と、心や思考で行う悪行為があります。

仏教の戒の項目を作る場合は、基本的には明確で分かりやすい身体と言葉で行う悪行為(パーパ)に注目して戒の項目を設定しています。

言葉や行動を矯正することで、その言葉や行動を引き起こす言動である心や思考の問題を行動療法的に矯正するというコンセプトです。

悪(パーパ)の場合は特定の罪に当たる行為になりますが、不善(アクサラ)の場合は罪ではありませんが生き方が全体的に上手く進まないというような意味であると理解するといいと思います。

不善行為と違って悪行為を行なう人は、この世で法律により裁かれますし、悪行為によって生じる悪業の結果で死後に悪趣に赴くことになると言われています。(これについては、天の話で解説します)


五戒と不善と悪

戒の項目にも、不善行為と悪行為の二種類に分けることができますので、五戒を例にして説明していきたいと思います。

①不殺生戒(ふせっしょうかい) - 殺生をしない

②不偸盗戒(ふちゅうとうかい) - 与えられていないものを盗らない

③不邪婬戒(ふじゃいんかい) - 不倫などの道徳に反する性行為をしない

④不妄語戒(ふもうごかい) - 偽りを語らない

⑤不飲酒戒(ふおんじゅかい) -判断能力を失わせる原因になる酒や麻薬などを避ける

この五戒のリストで戒められている行為を不善行為と悪行為で分類すると、①生き物を殺すこと、②与えられていないものを盗ること、③不倫や性犯罪をすること、④偽りを語って人を騙すことなどは"基本的には"全て不善行為でもあり悪行為(パーパ)に該当します。

⑤酒や麻薬で酔うことの場合は、それ自体は罪とは言えないので不善行為(アクサラ)ですが、酔って判断能力を失って悪行為をした場合は悪(パーパ)となります。

基本的には上記のように分類できますが、現実的な事象の場合は各項目で戒められている行為もそれが起こった状況や個別の事情などによって様々なケースがあり得ます。

悪行為とされる行為の場合でも、その行為を起こした動機や目的や悪質さや結果の重大性などは、ケースバイケースですから完全に全てが重大な悪行為であると判断することはできないのです。

五戒の項目で戒められている行為にも、それぞれ定義があります。

これから、五戒の各項目を順番に取り上げてそれらの定義や意義などを説明したいと思います。


①不殺生戒  殺生をしない

仏教の殺生の定義は、故意に命を奪う行為です。

殺生という行為を定義すると、①対象の生命がいること、②その対象が生命であると知っていること、③殺そうと意図すること、④殺すための手段と計画があること、⑤計画した手段を使って生命を殺すことという①~⑤までの全てが揃って殺生という行為が完了します。

世間の法律でも同じような解釈と運用をしていますが、ある人が何らかの行為をして、その行為の結果として他の生命が死亡するという現象の全てが明確な殺意に基づく殺生や殺人行為であると決めつけることはできないのです。

例えば、殺意はないが痛めつけてやろうと意図して素手で殴ったら意図せず相手が死亡してしまったという場合は、殺意に基づいて凶器を準備して計画的におこなった悪質な殺人行為とは言い難いので傷害致死という殺生よりはマシな悪行為ということになります。

交通事故などの場合は、そもそも加害する意図も計画もないので殺生ではなく不幸な事故です。

事故の場合は、過失にもよりますが基本的には悪行為というよりは不善行為です。

歩いている時に虫に気づかずに意図せず踏んで死なせてしまうという日常生活では起こり得る事象も、意図的に狙って殺害したわけではありませんから不善行為かもしれませんが殺生の悪行為をしたということにはなりません。

また、殺生の場合は殺害する対象によって心に受ける悪影響には差異があると説明されます。

殺生は悪行為ですが、虫を殺すことと犬を殺すことと人間を殺すことが同じ罪の重さであるとは言えないのです。

父母や聖者を殺害することは特に重い罪になると言われています。

不殺生戒の目的は、他の生命を害したいという異常な怒りの煩悩を制御することです。


②不偸盗戒  与えられていないものを盗らない

偸盗とは「与えられてないものを盗ること」と説明されますが、水や空気は誰かの所有物ではないので呼吸することや水を飲むことは与えられてないものを盗ることにはなりません。

五戒の項目は、基本的には他の生命との関わり方について説いているものなので、この場合は「他の生命の所有物や財産を盗んで損害を与えること」が偸盗だと説明できます。

この場合は、財産だけではなく他人の知識や技能などの非物質的なものを盗むことも偸盗に含まれるのです。

五戒には項目はありませんけど、無駄話をすることも相手の時間を奪うという意味では偸盗の一種です。

また、詐欺などの不正な手段を用いて何かを得ることもある種の偸盗であると解釈することもできます。

不偸盗戒の目的は、他の生命の所有物や財産などを盗りたい、不正な手段を用いても財物を得たいという異常な欲の煩悩を制御することです。


③不邪淫戒  不倫などの道徳に反する性行為をしない

不邪淫戒は、狭い意味では道徳に反するような性行為をしないという意味ですが、広い意味では邪な行為をしないという意味もあります。

邪な行為とは、広い意味では眼耳鼻舌身の五つの感覚器官の刺激に過度に依存することです。

邪淫の代表例として性行為を取り上げている理由は、性行為は眼耳鼻舌身の五つの感覚器官を総動員して快楽を得る行為だからです。

邪淫については、対象と行為に分けて説明すると理解しやすいと思います。

伝統的な解説では性的な関係を持つことを避けるべき対象は、①未成年者、②動物、③他人の配偶者や恋人、④両親や保護者の保護下で生活している人だとされています。

その国や地域の法律や文化や時代によっても多少変動する場合はありますが、この四種類の相手と性的な関係を持つことは邪淫に抵触すると理解しておけば間違いはないでしょう。

①~③については特に説明する必要もないと思いますが、④両親や保護者の保護下で生活している人については少々説明が必要かもしれません。

両親や保護者の保護下で生活している人との性行為がなぜ邪淫になり得るかというと、性行為の場合は女性は妊娠する可能性があるからです。

例えば、ある男性が他人の保護下で生活している自力していない状態の女性と性的な関係になって妊娠させてしまって養育の責任を果たさずに逃げてしまった場合は、その女性の保護者がその子供の養育の責任を負うことになる場合があります。

男性の場合は、妊娠する当事者ではないので逃げてしまうことが可能ですし、そういうケースは残念ながら決して珍しいことではありません。

基本的に人類社会では、結婚する際には相手の女性の両親に挨拶をして承諾を取るという文化が一般的にあるのはそういうリスクを避けるためでもあるのです。

④の場合は、そういう事情も考慮した上で保護者の同意を取らないまま性的な関係になってしまうと邪淫の罪を犯すことになる場合があるということです。

行為に関しては、性犯罪や不倫は当然として夫婦間や恋人同士でも同意に基づかない性行為の強要や避妊に協力しないなどの行為は邪淫に該当します。

仏教の立場からは、その国の婚姻制度や法律や文化に違反しない範囲で当事者同士が合意していて周囲に迷惑をかけないように配慮するならば、性行為の内容などについて細かく言及することは基本的に避けるというスタンスです。

不邪淫戒の目的は、狭い意味では異常な性欲の暴走によって性的なトラブルを起こさないように制御することで、広い意味では眼耳鼻舌身の五つの感覚器官で感じる刺激に過度に依存してしまうことを防ぐことです。


④不妄語戒 偽りを語らない

八正道にも正語という項目があるように、言葉は身口意の三業の一角を為す重要な行為です。

不妄語戒は、故意に嘘をついて他人を騙してはいけないという戒です。

記憶違いや勘違いで事実と異なったことをいってしまった場合は、故意に嘘をついて他人を騙したわけではないので不善行為ですが重大な悪行為には該当しません。

何かについて問われた際に、その答えを知っているのに黙っていることで相手に損害を与えた場合などは嘘をついたことになる場合もあります。

質問に答えることで、相手に害を与える場合は沈黙することが適切なこともあります。

事実なら何でも語ればいいわけではないので、関連する他の言葉の戒などと合わせて不妄語戒を説明したいと思います。

①不綺語(無駄話をしないこと)

その話題が事実に基づくものでも、聞く相手の役に立たない無駄な事柄について語る場合は無駄話になる場合があります。

仏教について語る場合も、話題のテーマは悪くないのですが実践をしないのに議論に耽ることや、求めてない人の所に押し掛けて一方的に語ることは無駄話になる場合があります。

②不悪口(乱暴な言葉を使わないこと)

事実を語る場合でも、会話の場合は相手がいて成立するコミュニケーションなので言葉や表現などには気を使う必要があります。

「あなたはバカなので賢い私の話を黙って聴いて学びなさい!」などと高圧的に乱暴な言葉や態度で語りかけてしまうと相手が腹を立ててコミュニケーションが成り立たないということになりかねません。

内容は正しくても不適切な語り方をした場合は不善行為(巧みではない行為)をしたことになります。

③不両舌(他人を仲違いさせるようなことを言わないこと)

例え事実であっても、他人の秘密や過失を吹聴することは関係者に不利益を与える場合もあるので品の良い行為ではありません。

相手を攻撃して貶めることや自分が利益を得ようという意図で、他人の過失について所構わず吹聴することは悪口ですし両舌になります。

まとめると、事実であって聞く人の利益になることについては、タイミングをみて語るか語らないかを判断して、語る場合は言葉や表現に気を使って適切に語ることが重要になります。

不妄語戒の目的は、偽りを語らないように気をつけることで不適切な言葉を語ることでトラブルに発展することを防ぐことと、適切な言葉を適時に適切な表現で語るように理性的に訓練することで、不適切な言葉を生み出す基になっている激しい欲や怒りの感情と思考を制御することです。


⑤不飲酒戒 判断能力を失わせる原因になる酒や麻薬などを避ける

「五戒と不善と悪」でも指摘しましたが、五戒の中で不飲酒戒は他の四項目とは少し異なる性質の戒です。

飲酒行為自体は他の生命に直接危害を与える悪行為とは言い難いのですが、酔うことで放逸状態に陥り判断能力を失う危険があることと、依存症に陥る危険があるので戒めているのです。

仏陀は在家者に対しては、酒などを絶対に摂取してはならないとは説かずに、酔いすぎて放逸状態にならないように避けなさいという表現をしています。

医療目的で麻薬成分の含まれる医薬品を適切に服用することや、ごくまれに少量の酒を嗜む程度に飲むことは不飲酒戒に違反したことにはなりません。

仏教では理性を非常に重視するので、アルコールや麻薬類などの判断能力を失わせる原因になる物質を摂取することを避けるように戒めているのです。

アルコールや麻薬類は、過剰摂取では急性中毒を引き起こしますし、長期的な摂取では身体や精神に深刻なダメージを与えて重度の依存症に陥る危険があるので使用しない方がいいのです。

日常的に飲酒する習慣があると、仏教を学んだり瞑想を行うことに支障が出るので実践に非常に悪影響をもたらします。

不飲酒戒は、酒や麻薬類を摂取することで理性と判断能力を失って他の戒を破って罪を犯さないように予防することと、酔って智慧を育てるための実践が出来なくなることを防ぐための戒めです。


まとめ

このように、仏教で語られている戒にはそれぞれ定義があり、目的や意義に基づいて実践可能な訓練方法として戒を設定しています。

例えば、戒について学んで意義を理解した上で戒を守るように心がけて生活することで功徳が積まれて心が成長します。

最初は戒の項目をただ闇雲に守る状態から始まるかもしれませんが、理性的に巧みな形で戒の実践にとりくむことで他の生命に対する慈しみと智慧を育てるより高度な実践に進むために必要な精神的な余裕と力が生まれるのです。

不殺生戒を例にすると、実践を続けて自らの心が清らかになって他の生命に対する殺意が起こらないような精神状態に達したら不殺生戒という訓練は完了したということになるのです。


大事なポイント

・仏教には不善(アクサラ:Akusala)と悪(パーパ:Pāpa)という概念があり、戒で戒められている項目は基本的には悪行為に分類されるものが多いのです。

・同じ行為でも意図や目的によっては悪行為になったり不善行為になったりする場合があります。

・仏教で語られている戒にはそれぞれ定義があり、目的や意義に基づいて実践可能な訓練方法として戒を設定していますので、実践をすることで理解を深めて戒を生き方として備えることに成功したならば戒の訓練は完了したということができます。


終わり

今回は、仏陀の次第説法の二番目のステップである戒について説明させていただきました。

次回は、10マインドフル・ステップス 仏陀の次第説法③天の話をしたいと予定しています。

ここまで読んで下さった方々に智慧の光が現れますようにと御祈念申し上げます。