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ブラックホール ドラマ『滅相も無い』

 こんばんは、限界課長/編集者をしている28歳、Mizukiです。今日はいつにも増して独り言です。ふぅ……🕳

 この記事を読んでいる方、TBSドラマの『滅相も無い』を観ていますか? 今期の火曜日の深夜(水曜日の1時半)に毎週放送しています。これは、ブラックホールの強烈なモチーフを横目に、「人生とは何か」を見つめるドラマです。

ドラマ『滅相も無い』とは?

 脚本/監督は加藤拓也。あまり詳しく無いけど、ドラマ『平成物語』などを手掛け、劇団も持つ映像作家らしいです。この演出も舞台の映像化みたいなニュアンスがして面白いです。

 深夜なのに出演が地味に豪華で、中川大志、染谷将太、上白石萌歌、森田想、古舘寛治、平原テツ、中嶋朋子、窪田正孝、堤真一らが集まっています。

 ある日突然、各地に現れた“巨大な穴”に入ると決めた地球の男女の人生を一人ずつ振り返るという、謎シナリオになっています。この穴は正体不明で、入ると戻る者が居ないという……穴が何なのかは分かりませんが、おそらく普通にブラックホールの都市伝説がモデルなのではないでしょうか。

 このドラマを観ていると、穴が何なのかはどうでもよくなります。

 ところで、このドラマで穴に入る男女の人生はかなり平凡なものばかりです(この世に非凡な人生など、あるのかさえ疑問ですが)。それらを眺めていると「人は何のために生きるのか」という哲学や心理学のAtoZを感じ取れます。

私のブラックホールとニヒル

 『滅相も無い』を観ていると、ブラックホールの存在によりあらゆる人生をニヒルな視点でとらえてしまう……穴はそんな効果を常に放っていると感じます。いろいろな人が執着していた何かを手放したり、手放さなかったりするのですが、どれもデカルトでしかない感じ。ただそういう小さな出来事や悩みに価値を感じることができなければ、人生が無価値なものになる、ということも同時に突き付けてくるのです。

 わたしは、何かに価値を見出すことができているのでしょうか。多分、今だに価値を見出すことを怖がっているところがあります。

 個人的な話ですが、わたしはブラックホールを、小学五年生のころに塾の理科の先生から教わりました。銀の細い丸眼鏡をかけていて、茶髪でふわっとした髪型なのにガリガリの高橋先生です。

 ブラックホールがあまりに広く、地球があまりに小さく、人間がちっぽけだと気付いたのはそのときで、授業の後に「ブラックホールに閉じ込められている気分だ」という感情を必死に伝えに行きました。多分面倒くさがられましたが、自習室の前で話を聞いてくれました。

 さらに私は「地球がいつ爆発して死ぬか分からないのに、私たちは何のために生きてるのか。受験してどうする?」と聞いたら、今度は「何か哲学的な話になってきてる(笑)。」と鼻で笑われて答えを濁されました。

 わたしはその日から、めちゃくちゃに高橋先生と算数と現実的な理科が嫌いになりました(高橋先生からは理科だけでなく算数も教わっていました)。

 懐かしい。

地球が飲み込まれるまで

 太陽に飲み込まれるまで、ブラックホールが大爆発するまで、楽しく生きようと思った小学校高学年の私(低学年時より少し楽観的に)は、もう少し早くそのときが来ると思っていました。

 今思えば、ノストラダムスの大予言1999年からの日のカウントダウンをしながら隕石落下によって死ぬための心の準備をして、あの何も起こらなかった日の経験があったのに懲りないなと思います。

 ちなみに、あのときの朝に、何事もなかったかのような時間が流れた絶望感、カウンドダウンまでしたのに手のひら返してきたテレビの振る舞い、いつも通りの母、すべてに違和感を覚えたのが今だに忘れられません。

 とにかく「いつまで経っても滅亡しないやん!もう私28歳なんだけど」という厨二時代の終末願望を口にしてスッキリしたかっただけです。すみません。

 それにしても、ウラン用意してこんなに環境汚染をして、新しい冷戦まで始めて……言い始めるとばかばかしいことばかりしてしまう人間。ずさんな行いばかりしているのに、地球はなぜこんなに強く在り続けるのでしょうか。

 わたしは『滅相も無い』のような穴がこの世の中に現れたら、押し込んでしまいたい方々がたくさん居ます。

 いっぱい押し込んでから、私自身も入って、生きることの執着から逃れたいです。

 ところで……自分の意思で生まれていないのに、生きることに執着してしまうのはなぜでしょうか。わたしは、命が命に手を伸ばすからだと思っています。

 よし、あと4分で始まる。観てから寝よう。


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