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スクランブルエッグ

オーストラリア、ブリスベンの駅を出て、丘をずいずい登って公園を突っ切ったところにそのホテルはあった。

ヨーロッパっぽい石造りを模した建物で
シーツはピンク色を基調としたモザイク柄。
それまで家族旅行で行ったことがあるのは温泉旅館がほとんどだった私は
「外国に来たって感じ!!」
と鼻息が荒くなるほど興奮していた。
小学6年生、初めての海外旅行だった。

家族旅行で海外に行ったことがあると言うと
「お金持ちなのねー!」
と言われることがあるが、そんなことはない。

きちんと円高の時期を狙って
清水の舞台から飛び降りるように連れて行ってくれたのだと思う。
まぁそれでも清水の舞台から飛び降りれば行ける程度のお金はあった
というのも事実なのだろうとは思うけれど。

そのホテルは朝食のビュッフェが付いていた。
日本のホテルでも今は一般的なスタイルだけれど
小学生の私にとっては珍しかった。

並んでいるのは(当たり前だけれど)洋食ばかりで
海苔も納豆もお味噌汁もない。

本で読んだことがある「カリカリのベーコン」を見て私は
「とっても外国って感じ!!」
と色めき立った。

何の本だったか忘れたけれど
「カリカリのベーコン」という描写があって
とても美味しそう!!と憧れるものの
家でベーコンを焼いてもカリカリにできない。
いい感じに焼いても厚みのせいかふにゃりとしたまま、
カリカリを目指して炒める時間を伸ばせば焦げる。
本の中のそれと私の知っているベーコンは別物なのかもしれない・・・
としょんぼりしつつも夢見ていた「カリカリのベーコン」がビュッフェにはあった。
ウッキウキでお皿に盛りつけた。

けれど私を感動させたのは憧れのカリカリベーコンではなく
その隣にあったスクランブルエッグだった。

お皿に乗せた理由は簡単で、憧れのカリカリベーコンに合いそうだったから。
卵は毎日食べているから食べたくて、その隣のゆで卵より合いそうじゃん?
という程度の話だ。

とろとろなのにドロドロではない
クリーミーで塩加減が絶妙
きちんと火は通っているのに飲めるほど滑らかで
単体で食べてもパンに乗せて食べても美味しい。
なにこれ!最高!!!

開眼した私は滞在期間中毎朝スクランブルエッグを食べた。
何なら毎朝その分量は増えていった。

オーストラリア旅行から帰った私は
あの憧れのスクランブルエッグを作りたくて奮闘した。

それまで私が食べてきたのは
スクランブルエッグではなく炒り卵だった。
それはそれで美味しいのだけど再現したいのはスクランブルエッグ。

とろりとしていたから火が弱いのかもしれない。
それだと白身の部分が固まらなくてドゥルっとする。違う。

クリーミーだったから牛乳が入っていたのかもしれない。
悪くないけれど、濃厚さが足りない。違う。

ふんわりした口当たりだったのは油がたっぷり敷かれていたからかもしれない。
ぷわっと膨らみはするものの滑らかさが損なわれる。違う。

インターネットで検索などできなかった時代の小学生の割には
結構試行錯誤して「あのスクランブルエッグ」に近づく努力をした。
普段、およそ努力と呼べるものは苦手かつ嫌いだったことを考えれば
よほど心を打つ食べ物だったに違いない。

この試行錯誤は
スクランブルエッグの作り方における私なりの新情報を手に入れる度になされた。

「これは結構近いと思う!」
というものができたのは18歳、大学生の頃で
その作り方は
卵はしっかり泡だて器で白身を切り
生クリームと牛乳を足し(生クリームだけだともったりし過ぎた)
ざるとキッチンペーパーを使って漉したものを
湯煎したボウルにバターを溶かして流し込む、
最初からあまり混ぜ過ぎないように
「もう一声熱を入れたいな」と思うくらいの緩さで引き上げる。
というもの。

ずっとそれが心を占めていたわけではないけれど
飽きっぽい性格の割には思い出すたびにチャレンジして得たやり方だった。

けれど美味しいは美味しいけれど如何せん手間がかかりすぎる。
原価も高い。
牛乳はともかく生クリームが中途半端に余るのも困る。
私は私なりのスクランブルエッグの作り方を見つけた後は
逆に作らなくなった。

それからまた時間が経過して日本にbillsが入ってきた時のこと。
パンケーキ流行の中上陸!!という感じで1店舗目は神奈川県の七里ヶ浜。
お洒落だなぁ、美味しそうだなぁとは思うものの
私は並ぶのが大嫌いなので、わざわざ行こうとは思わなかった。
自宅からも遠いし。

けれど程なく都内の行きやすい場所にもできた。
しかもその際私は知ってしまったのだ。
「billsは、かのレオナルドディカプリオが
 「世界一美味しいスクランブルエッグ」と称し
 オーストラリアでの撮影中毎朝通ったらしい」
ということを。

色めき立った。
billsはオーストラリアのお店だ。
私が惚れたスクランブルエッグのホテルもオーストラリアのブリスベンだった。

もしかしたらあのスクランブルエッグが食べられるのかもしれない!!
日本で!!!!

私は友人と連れ立っていそいそとbillsお台場店に行った。
平日のオープン時間に合わせて。

天気が悪かったのも相まってか
席にはすぐ案内してもらえた。

オーダーしたのはスクランブルエッグとリコッタチーズパンケーキ。
どちらも食べたかった私と友人は
どっちも半分こしよう!!と言い合った。

そして届いたスクランブルエッグをウキウキで出迎える。
そうそう、こんな見た目だった。
固まり具合と言い、黄色と白の混ざり具合と言い
あの時のにそっくりだ。
ワクワクして口の中に入れて丁寧に咀嚼する。

・・・・違う。

美味しいのだけれど違うのだ。
足りないのか過ぎているのかも分からない。
でも、同じ国の美味しい料理だからって
同じものが出てくるわけではない。
そんな当たり前のことにちょっとしょんぼりした。

思い出補正もあるのかもしれない。
だとしたらあの味にはもう会えないのかなぁ・・・。

しょんぼりしながらもうひとつの品物
リコッタチーズパンケーキを口に入れる。

美味しい!!!

こっちはびっくりするぐらい美味しい。
流行っていたのでそれなりに何軒かでパンケーキは食べていたのだけれど
ダントツでbillsは好みだった。

その衝撃は初めてブリスベンのホテルでスクランブルエッグを食べた時に似ていた。
知っているはずの料理なのに全然別物!という驚き。
口当たり、のど越し、塩味と甘さ
全てが絶妙で少しでもズレたら「違うもの」になってしまうバランス。

自分でも作ってみたい!と思う反面
きっとこれは食べに来た方がずっと効率的で確実に美味しいものが食べられるなぁ。
と判断するところが大人になったと言えば大人になったのかもしれない。

その日「あのスクランブルエッグ」には出会えなかったけれど
新しい衝撃の美味しさに出会うことができて私はご機嫌だった。
過去への執着が新しい「素敵」を連れてきてくれたことが嬉しかったから。

結局その後も「あのスクランブルエッグ」には出会えていない。
でも、ホテルの朝食バイキングでは必ずスクランブルエッグをお皿に乗せてしまう。
その時はいつも「あのスクランブルエッグに近いと嬉しいな」と思っている。

きっとこれからも「スクランブルエッグが美味しい」と噂のお店を聞けば
いそいそと出かけるだろう。
「あのスクランブルエッグ」に出会えるかもしれないドキドキと
「全然違うけど嬉しい誤算」を期待するワクワクを携えて。

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