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わたしはどう生きるか:考えて生きること

壮大なタイトルをつけてしまったが、大層なことを書くつもりはない。
ちょっとした、思考の根底にあるものだ。

考えて生きるvs考えずに生きる

どう生きていこう、と考えたら大きく2つに分けられる。

  • 考えて生きる

  • 考えずに生きる

の二つだ。
考えて生きる、ということは、計画的に生きるとも言い換えられる。カレンダーを見て、予定を埋めるか、今日のtodoリストを作って、それを実行して生活することだ。その反対は、その時の気持ちや思い浮んだこと、目に入ったものに沿って生きていくことだ。他人から誘いがきたら、それに載ってもいい。
どっちがいいか、という話をしていきたいが、まず自分の中で明白な答えがひとつある。

もし考えずに生きてうまく生き、幸せを得られるのであればそっちの方がいいに決まっている。

考えることはエネルギーを使い、時に時間も使う。さらに自分の決めたことに縛られ、苦しくなることもある。人生がうまくいくとわかっているなら風の吹くままに生きたほうが絶対良いのだ。

では今現在私がどっちの選択を多くとるかといったら、「考えて生きる」ほうなのである(とはいえ昔よりは「考えないで生きる」割合は増えたと思う)。なぜそうするのか?すぐに思い浮かんだ解答は、そっちの方が良い人生を進めるからである。考えないで生きると、休日を無駄にする。平日も無駄にするかもしれない。将来苦しむかもしれない。物をなくすかもしれない。車にはねられるかもしれない。しかし、考えて生きるから良い人生を歩めるとも限らないことがわかってきた。
それでも私が考えつづける理由は、おそらく「安心するため」であろう。課題を解決することも1つの目的だが、その先にはやはり安心がある。私は「安心」を期待するから考え、時には悩むのだ。逆に、安心にたどり着けない悩みは止まらず、ただ心と時間を食いつぶすものになってしまう。

どちらが正しいか?

「安心」が見えない悩みは意味がないとわかっていても、やはり私は「考えて生きること」を選択してしまう。本当にそれが正しいのか?
こればかりは人生の何に重きを置いているかによると思う。これについてはこの記事で深く書かないが、自分の性格に合った行動をすれば、それが正解の一つだと私は考えている。
幸運なことに、自分を理解するためのツールを使いながら(これがMBTI、INFJというやつだが)、自分の本性が言語化できつつある。それによると、自分はある程度長期的なビジョンはあったほうが安心できるらしい。一方、近い将来の計画をぎちぎちに立てたり、今見えているもので判断して可能性を潰す事は心地よくないらしい。

つまり、考えることが良い事とも限らないし、その逆もしかりである。
何も考えずに風の吹くままに生きて、幸せそうにしている人を見て、「考えることを辞めたほうが幸せになれるのに」と羨ましがったことがある。けれど、私のような性格の人がその人を真似しても、意外に苦しくなるだけなのだ。

「心の赴くままに」の真意

「心の赴くままに」という言葉は意外に奥深い。「無計画に、自由奔放に」と同義に思ってしまうが、人によっては別の意味なのだ。心の赴くままに計画を立てる人もいる。それをきっちり実行してすっきりする人もいれば、やっぱり自由に動いて爽快感を得る人もいる。

「じゃあ私はどうすればいいのか?」方法をこの記事にまとめるために考えようとしたとことで、この行為自体も考えて(計画して)いきているんだな、と感じてしまった。こればかりは記事にまとめる、という行為では達成できない。noteではなく自分の心と向き合い、心地よい方向を選べるように実践するしかない。まとまりのない記事というものはどうも気持ち悪いが、私が良く生きるため、このような終わり方になることを失礼したい。
さあ、風呂に入ってリラックスしよう。

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