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「違う」からこそ、ふたりでいると『世界が広がり、より豊かになる』

こんばんは、高井咲友莉です。

昨日の夫の記事を読んでいて、
そうだった、そうだった、と思い出しました。

そう、本当にことごとく
「よく夫婦やってるね」
と言われるんですよね。笑

それでも
氣づけば10年以上経っているわけで、

ふたりの関係性が
続くも終わるも、

“相性が問題なのではない”

ということが分かります。


●“違う”からこそ、よかったこと

わたしたちは
大学生のときに
お付き合いがスタートしまして、

お互い一人暮らしだったので、
大学を卒業して同棲を始めるまでは、
どちらかの部屋で
過ごすことが多かったです。

夫が料理をつくる人なので、
彼の家にいることの方が
多かったように記憶しているのですが、

その頃、
テレビを見ることがあると、
彼は格闘技をよく見たがってたんですよね。

実は、うちの父も
格闘技(K-1とか)を実家でよく見てて、

わたしはそれを見るたびに、
「見るからに痛そう・・
 これのどこがおもしろいんだろう??」
と、とっても不思議でした。

でも、父は寡黙な人だったし、
わたしも父が格闘技を好む理由を
特に訊いたことがなかったので、

父が格闘技を見ているときは、
違うことをするか、
別の部屋に行っていました。

が、彼も格闘技を
好んでいて、見たいと言う。

“また、格闘技か〜。
男の人って、好きなんだなぁ”

くらいに思っていたのですが、
違ったのは、ここからでした。

彼(夫)は、父と異なり、
めちゃくちゃよくしゃべる人です。笑

48時間でも話せる、と
本人が自分で言うくらい、
本当によく、しゃべります。

そんな夫が、
格闘技を見ながら話し始めたのは、
「選手のこれまでのヒストリー」と
「選手間の、これまでの因縁」
といった、物語だったのです。

わたしたちは
お互い心理学科を出たくらい、
互いに心理学や人間心理が好きでしたから、

そういった人の物語については
わたしも大好物なのです。

そして、夫が話すレベルは、
時に解説者が話すレベルを超えてるな、
と思うほど詳細かつエモーショナルで
わたしにとっては、
とてもおもしろかったのです。

そうした話を聞いてから見る格闘技は
一味も二味も違いましたし、
何より、実家では見ることのなかった
格闘技を見てみよう、という氣になったことが
わたしにとっては革新的で、

その後も、
夫の解説付きで見る格闘技なら
おもしろいから観よう、
という氣持ちになっていたのでした。
(実際の、生の試合を
観に行くまでになりました笑)

これは、わたしにとっては
「夫がわたしの世界を広げてくれた」
という解釈になっています。

「新しい世界を教えてくれた」

二人でいることによって、
人生がさらに豊かになった
ひとつのいい事例だと思っています^ ^


●パズルピースがハマる人と出会うために

このために必要なのは、
「自分を知る」ということです。

たとえば、
女性にとっては
なかなか言えないこと、
言いづらいことのひとつに

“家事が嫌い”
“家事をやりたくない”

というものがあると思います。

上にも少し書きましたが、
夫は、付き合っているときから、
なんなら出会ったときから、

「料理をつくる男の人」

でした。

彼の家にはじめて遊びに行ったのは
共通の女友だちからの誘いだったのですが、
その誘い文句が、

「彼の料理、
 めちゃくちゃ美味しいから
 遊びに行かない?!」

でした。笑

彼女とわたしの共通点は、
“おいしいものが大好き”なところ。

即決で、遊びにいきますよね。笑

そこで、驚いたのが、
出てくるお料理のバラエティーも
すごかったのですが、

最後に出てきたシフォンケーキ。

「えー!わざわざ!!
 すごいですね、焼けるんですね」

なんてことを言ったと思います。

そしたら、
当時の彼から出てきたことばが

「あ、卵が大量に余っちゃって、
 使わなきゃいけなかったから」

だったんですよ!!笑

これはすごく衝撃的で、
(え、卵焼きとかじゃなくて?と)
今でも鮮烈に覚えています。

でですね、
わたしは別に、料理が嫌いではないし
やろうと思えばできます。

だけど、好きじゃないし、
それを“おいしい!”と食べてもらっても、
別に自分のよろこびに直結しない
のです。

そして、
彼と付き合うことになったとき
相変わらず彼が作っていましたが、

わたしはどこか無意識的に、
(母が専業主婦だったことも大きいですが)

“いつか結婚することでもあれば、
結婚後は、わたしがつくるんだろうなー”

くらいに思ってたんです。

実は、同棲しても、結婚しても、
ずっと彼がつくってくれてるのですが、

それでも最初の数ヶ月か
1年くらいは疑っていたと思います。

“今はつくってるけど、
それはこれまでつくっていたからであって
いつかはわたしに来るんだろうな”と。

ところが、そんな日は、
今日に至るまで一度も来ておりません。笑

彼は、本当に心底、料理が好きで、
むしろ、千切りで瞑想状態に入れるとか
おもしろいことを言いますし、

なにせ、はっきり分かっているのは、
「おいしいと食べてくれる人に
 つくるのがいーんだよね」
ということ。

これには、わたしは最適任です!笑

わたしはむしろ、
料理するくらいなら
洗い物をする方が好きなので
(水に触る家事は結構すき)

洗い物が大嫌いな夫にとっては、
嬉しいことのようでした。

それまでは、
つくるのも自分だし、
洗うのも自分、だったそうなので。
(いい人ですよね〜^ ^)

つまり我が家は、
料理は夫、洗い物はわたし、という風に
パズルがピタッと組み合わさっています。

でも、これは、
夫は料理が好きで、
それを全うしていたからですし、

何よりわたし自身が、
変な思い込み(料理は妻がする)に
囚われ続けることなく、

“自分は料理が好きではないし、
おいしいと食べてもらっても
特によろこびとして感じていない”

という
「自分を分かっていた」し、

夫にもそのまま言っていたので、
うまく組み合わさったのだと思っています。

これが無理をしたり、
変な思い込みのまま
がんばって料理をしていたとしたら・・

夫は大好きなことを
引っ込めていたでしょうし
(それくらい、パートナーの意思を
優先してくれるやさしさがあるので)

わたしは好きでもない料理をして
すごくテンションが下がっていたか、
その日々の積み重ねによって
イライラを爆発させていたかもしれません。

「自分を知ること」と、
「それを相手に明確に伝えていること」

これはどちらも
パートナーシップにおける要だと
わたしたちは考えていて、

ぶっちゃけ、
このふたつができていたら、
しあわせなパートナーシップは
ずっと継続できる
と思っています。


●少し話を戻しまして・・わがままでも可愛い?問題について

ちょっとキリのいいところで、
途中になっている話題について、
書いていきたいと思います。

  • わがままでも可愛い

  • わがままだと可愛くない、嫌われる

この違いについて!

「わがままだと可愛くない、嫌われる」

と思っているときって、

実は、自分がいちばん、
自分の素直さや正直な氣持ちを
ゆるせていないとき

感じてしまいやすいことです。

「わがままを言ったら嫌われる!」
というのは、ことばを変えれば、
“わがままを言う自分なんて大嫌い!”
と自分に言ってるようなもの。

「わがままを言う自分なんて
 認められないし、ゆるせない。

 だから、人がそんな自分を
 好いてくれるなんて、
 可愛く思ってくれるなんて、ありえない」

そんな風に思います。
(これを心理学では「投影」といいます)


なので、実は

「わがままでも可愛い」
となるのは簡単で、というか、

自分の中で解決できることでして、

『自分のわがままを
 自分でゆるす。自分で認める』

これだけなんですね。

自分でゆるせた分だけ、
自分で認められた分だけ、
「わがままでも可愛い」世界が
自分にこんにちは!って言ってくれます♪

そして、氣づきます。

『今まで、自分が
 わがままだと思っていたことは、
 実はわがままなんじゃなくて、
 素直にそう感じている、とか
 正直にそうしたい、とか
 そういうことであって、
 別に言っていいことだったんだ』

ということに。

さらには、

『言ってみてダメだったら、
 (相手の反応がいまいち、とか)
 ダメだったときに考えればよくて、
 まずは言ってみよう!』

と思えるようになります。


そして、
実際にそれを実践してみると、

案外、人は
わたしの素直な氣持ちや
正直な氣持ち、
“こうしたい”ということについて

寛容だし、
ゆるしてくれるし、

なんならやりたくないことは
代わりにやってくれるし、

それは相手にとっては
やりたくないことじゃなくて、
得意なこと
だったりして・・

なんだ、本当に
遠慮とか我慢とか、
しなくてよかったんだ、

と腑に落ちていきます。


さらには、

できないことは「できない」と
正直に言うことによって

それを得意とする人たちに、
その人たちが“活躍できる場や機会”を
プレゼントすることができる

ということにも
氣がつけるようになります。


これってもう、
“わがまま”では、ありませんよね^ ^

素直で正直で、可愛い人、
みんなが助けてくれる人、になっています♡


つまり、
「わがままで可愛い人」
というのは、

自分の氣持ちを
正直にまっすぐ認めていて、
素直に表現している人
、なのです。

そしてこれは、
誰にでもできることです。

赤ちゃんや
学校に上がる前の小さい子、
も同じですよね。

時に自分に素直すぎて、
「えーそれは今は無理!」
なんて、大人(親)は言いたくなりますが笑

でも、それを“可愛い”と思うのは、
悪氣なく、
自分の氣持ちにまっすぐ
である、
ということが分かっているからだと思います。

そのころをわたしたちは
誰もが通過してきて
今、大人になっているわけなので、

自分の氣持ちを
正直にまっすぐ認めていて、
素直に表現している状態

には、なると決めたら
誰にでもなれるものだと思っています^ ^

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