なぜ親という生き物とわかりあえないのか

親という勘違い種
誰もが子供時代に一番接するのが親という生き物である。そして、かなりの幸運に恵まれない限り親という生き物とわかりあうことに苦労する。
いや、わかりあうことすら出来ないまま大人になり、お互いに歳を重ねて良い距離感を見つけることの方が多いかもしれない。

大半の親という生き物は子供のことが理解できていない。それどころか、自分の決めた型に当てはめようとし、子供はそれに反発する。
親が子供を怒る時、子供のために声を出している人はどれくらいいるのだろう。
子供の行動が正しいか正しくないかではない。
自分の思い通りに育っているかどうかで声を荒げている。
誰が幸せになれるだろうか。子供だって一人の人間であり、他人である。血の繋がりなど、人権の前では薄い繋がり。
つまり血より濃いものが人権だ。そこを理解していない勘違い種がどれだけ子供を苦しめているのだろう。

「勉強しろ」親が持つ裏の欲求
テレビ、動画、漫画、スマホ、何を見ていても大半の親は「勉強しろ」と言う。
その日の宿題は終わったと言っても復習しろだの、予習しろだのと、あの手この手で勉強させようとする。
これを愛情と勘違いしている親も多いのではないか。
「あんたのために言っている」
次のセリフはこれである。

本当にそうか?

まず、自分の子供は勉強をする真面目な子でなければならない。いい学校に入らなければならない。そうしなければ生涯年収が下がってしまうから。
それは事実だし、企業だって一流大学の卒業生がほしい。
でも、大半の親は企業のために子供に厳しくしているんじゃない。
自分のためだ。正確には自分の老後のため。

「老後を快適に過ごすためには2000万円の貯蓄が必要です」
「年金の支給開始年齢を引き上げる必要があります」

これが今の日本。身勝手な大半の親達は危機感を抱いた。

「子供に養ってもらわなければ」

本人達も気づいていないかもしれない。だが、これが大半の親達の裏の欲求だと考えている。
そして、理不尽に厳しくすれば厳しくするほど、その欲求は叶わぬ願いとなることには気づいていないのだ。

そんな親の老後の面倒、見たいですか?

自分の成功体験が通用しないことに気づかない者達
親から本人達の成功体験を聞かされたことはないだろうか。自分達はこんなに頑張った。だから家が買えた。だから幸せだ。

その成功談はこの国の未来で役に立つのか?

今、親となっている世代が語る成功体験の舞台は過去である。
コンビニや工事現場に外国人はおらず、スマホも無い。中国は人件費が安く、スマホアプリではなく家庭用ゲームが元気だった。
そんな時代の成功体験をなって親と同じ努力をすれば、子供も成功できるとでも思っているのだろうか。
時代が変われば働き方が変わり、生き方が変わり、努力の方法も変わる。
今の時代でも通じる成功体験を抜き出すのはいいが、全てそのまま使えるわけがない。

「産んでやった」という驕りが人権意識を曇らせる
まず、子供に対して「誰が産んでやったと思ってる」と言ったことがある人は、子供に対して謝罪してくるように。
あなた達は子供を「産んだ」のではない。
「産ませていただいた」のだ。

「誰が育ててやったと思ってる」
違う。
「育てさせていただいている」のだ。

親には子供を作るかどうかを決める権利があった。機会があった。
だが、子供には「産まれてこない」という選択肢が無い。勝手に作って、勝手に産んで、その挙句にキレ散らかす。
ケンカを売っているとしか思えないではないか。
産まれててくれた子供に感謝し、子育てを経験させてくれた子供に感謝し、一人の人間として向き合えば、子供にも人権があるということ、物事の決定権があることがわかる。

これから大人になる君達へ
今、親に悩まされている子供たちへ。
君達が大人になるまで何年あるだろうか。
親とわかりあえなくても、大人になるまで生きて、自由を体験してほしい。
一人暮らしを始めた瞬間から、君達は自由になるのだ。もちろん自分で生活を支える必要はある。その苦労と引き換えに誰にも束縛されない自由を得るのだ。
大人になるまでは親を利用していい。学費も生活費も出させていい。幸せになるための投資もさせていい。君達を産んだ責任を果たさせているだけなのだから。

そして、親が老いた時、面倒を見るかどうかは、それまでの親の言動で君達が決めていい。
子供に面倒を見てもらえる親だったかどうか。
胸に手を当てて考えさせればいいのだ。

忘れないでほしい。
君達は一人の人間で、人権があり、何に縛られる必要もないということを。


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