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わたしにとっての躁

今日は仕事を15時に切り上げて、ダッシュで会社の隣駅の眉毛サロンで眉毛をワックス脱毛してもらい、またダッシュでインスタで調べた渋谷のびよーーいん(※わたしの記事にはよく病院が出てきますが今回は病院ではありません)に来た。いまは髪を真っ赤に染めて貰ってて暇だからnoteを書こうと思う。

眉毛をワックス脱毛されている間は、明るい照明の中目を閉じている状態である。
照明を暗くしたらスタッフさんが施術できないし、眉毛の下など、かなり目に近いところの毛も抜いたりするので、美容院でシャンプーをしてもらう時のように顔に謎の紙を載せられることもない。

その状態で今の精神の状態について考えてみた。ほんのり、”わたしが躁だと思っている状態”だと思った。
わたしは、双極性障害について医師に診断を受けた訳ではなく、ただわたしが語る日常のいくつかのエピソードに、医師も軽くそういう症状はあるのかもね。と小さめに呟くに留まった。

わたしの体に神経を集中させて、躁がどういう状態なのか感じてみる。こういうことをいうとなんかスピってるみたいに思われそうだけど、わたしはこれをよくやる。特に精神が乱れているときに、自分の現在地を確認するのに役立つ。

わたしの躁は、心臓のあたりがふわふわ浮いてるように感じる。でも、臓器が浮いてるんじゃなくて、どちらかというと意識の方がふわふわして、胸の中に意識が収まってくれない、それがとても居心地の悪い感じがする。
いちばんみんなが分かってくれそうで的確なたとえは、遠足の前の日のわくわくして寝れない感じ。
あれ、ただいつもよりちょっと夜更かししちゃった程度ならいいんだけど、夜更かしどころか朝まで目がバキバキだし、しかもそれが数日〜2週間くらい続くような感じ。もちろん今毎日朝まで眠れてない訳ではなく、これは大袈裟な例えだが、そりゃ疲れるよねえ、、、
あと、なんか心臓の鼓動がいつもよりはやく、つよくきこえる、
でも前に、ほんとに頻脈なの?って親に言われて病院か自分でか測ったことがあって、その時は正常だった。
「なーんだ、健康じゃん」って言われたのが、親にとっては健康でよかったねって意味だったんだと思うけど、わたしは何も分かってくれないんだな、とうけとってしまって、悔しかった。

話は逸れるけど、ネット上とかで、やたら死にたがってる人だったり、かまってちゃんだったり、嘘つきだったり、そういう人のことを、どうせしなないとかどうせうそだとか言う人がいる。
わたしはそれは半分あってて半分まちがっていると思っている。
だって、ほんとに死ぬ気がなくたって、SNSでしにたいって言わないと満たせない承認欲求がある時点で、それってある程度異常というか、異常というと批判的になるけど、困ってる状態には変わりないんじゃないかなって。
半分あってるって言ったのは、それで巻き込まれて迷惑かけられた過去を持つ人には、そんなこと関係ねえってこと。だから、そういう人にちゃんと正面から接するべきだ、とは思えないしだれにも強制できないけど、そういう目線を持って静観出来ないかなあ、批判的な反応を繰り返す人ほど、どこか病んでるんじゃないかなあって思ったりする。

話が盛大に逸れた。
また逸れるんだけど、この話は、わたしが「体調が悪い」と言った時に、事細かに症状と体温を説明しないとわかって貰えない、だられてると言われる、休むことを批判される環境へのアンチテーゼ(使い方合ってる?)として出してみた。ちょーどどっかで書きたかったし。

話をちゃんと戻してまとめると、「わたしのいう躁」はこういう特徴がある。これに医学的な診断、根拠、分類などは全くないので、注意して欲しい。

  • 意識が胸から飛び出してふわふわして、胸に収まらないことが居心地が悪い

  • 体はどちらかというと軽い

  • 頻脈に感じる、微熱がある時もある

  • 眠りにくい、処方された睡眠導入剤を飲んでも眠れないこともある

  • 普段出来ないことをやりたくなったり、普段話さない人にLINEを送りたくなったりする

  • 人と衝突することがある(ただし、第三者に確認してもらってもその人にも私にも悪いところがあると言われるので、わたし100%理不尽マンでは無いと思うけど、普段なら黙って切るかもね。)

  • 日常を大袈裟に幸せだと感じる

  • 頭がぐるぐる回って、仕事が出来すぎる。就業時間以降も仕事のアイデアが急に降ってきたりする、お風呂とか。

  • 双極性障害の患者さんのエピソードに語られるほどには全く至らないが若干財布の紐が緩くなる。もともとビビリやからあんま高い買い物しないから、そのせいで被害が少ないのかもしれない、、、

  • まとめるならとりあえずふわふわして落ち着かない、焦燥感、離人感。

書き出したら意外とあったわ。
まぁこんなことを自覚したら、意識的にゴロゴロしたり仕事を切り上げたり休むようにはしてます。
やたら色々診断をつけたり変えたりして薬を増やしたくないという主治医の慎重な方針も分かる。でもその態度が、主治医にわたしのすべてを話すことを躊躇される。ちょっと現実より良い生活語っちゃうよね。

いまでも、やなことがあったらもう死のう、って思ったり、いいことがあったら人生楽しいな、と思ったりコロコロ変わる。でも前みたいな「切実ないなくなりたさ」「絶対死なないといけないかのような義務感」は消えたと思う。躁は躁で収まりがつかなくて居心地が悪いけど、何とか今のところは自分で自分を操縦出来る域にいると思うから、ぼちぼち生きたいなって思う。

ピノキオピーさんの大好きな曲でしめよ〜!

こみゅにけぇしょん 狙いすぎは滑って
おぉでぃしょん 審美眼も老眼になって
恥の多い生涯なんて 珍しいもんじゃないし
大丈夫だよ

またね〜!

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